Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



万葉線
Manyo Line







万葉線は、以前に加越能鉄道が運営していた
高岡駅前 - 越ノ潟館の路線を引き継ぎ、
第三セクターの万葉線株式会社として
運営している路線です。

正確には、六渡寺駅迄の区間が高岡軌道線 8.0km、
六渡寺駅から終点の越ノ潟間4.9kmが
鉄道線の新湊港線となっています。




高岡軌道線は1948年に富山地方鉄道によって
地鉄高岡 - 伏木港間が開業し、1951年の国鉄新湊線の
廃止によって米島口から現在の六渡寺間が延長されています。

新湊港線は、1933年に全通した新富山 - 新伏木口
(現・六渡寺)間の富山地方鉄道射水線がその元です。


1951年の高岡軌道線の全通により、高岡と富山の
レールが繋がり、両市を結ぶ電車が走っていましたが、
大きな転機を迎えたのは1966年です。

この年に富山新港建設により、堀岡 - 越ノ潟間が廃止となり
高岡側の高岡駅前 - 越ノ潟間が加越能鉄道に移管されました。



分断された越ノ潟に停車中の万葉線の電車です。


その後、上述の通り、乗客の減少により加越能鉄道がバス転換を
表明した際に高岡市と旧新湊市が公共の交通手段を守る為、
2001年に第三セクターの万葉線株式会社を設立し、
2002年4月から加越能鉄道に代わり路線を運営しています。

万葉という名前は、この地に赴任し多くの歌を遺し
万葉集の編纂に関わった大友家持に因んで付けたそうです。

その後、2014年3月に高岡駅前の線路を駅構内まで
200m程延伸したり、最先端の連接式低床車両を
導入したりと、利便性向上を図る努力をしています。


この万葉線には1995年1月30日に乗車しましたが、
2010年2月に再度乗車しました。

1995年に加越能鉄道時代に乗車した際の乗車記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Train/Japan/Shitetsu_1/Kaetsunou.html


この時はフィルム写真の時代で、
あまり多くの写真も撮れなかったので
2010年に乗車した際の乗車記を紹介します。




高岡駅 - 能町口
(Takaoka Station - Noumachi Guchi)


2010年2月11日、前日の夜に上野駅発の寝台特急
「北陸」で金沢に向かい、金沢から普通電車で折り返し、
高岡の街を散策した後に、この万葉線の電車に乗車しました。

寝台特急「北陸」の乗車記はこちらです。
高岡の散策記はこちらです。

この時の北陸旅行は、高岡城の100名城のスタンプと
富山市内にこの前年に開業した富山都心線の
乗車が目的で、万葉線に乗るかどうか、
しっかり考えてはいませんでした。

富山地方鉄道の乗車記はこちらです。
高岡城の登城記はこちらです。

ところが、高岡の街の散策の前に乗車した
万葉線車内で、高岡駅前10:00丁度発の
電車に乗れば、終点の越ノ潟からフェリーが
接続し、富山地方鉄道の岩瀬浜まで
スムーズに乗り継げる事を知りました。

それで、急ぎ足で高岡の街の散策を続け、
10時少し前に高岡駅に戻ったのでした。




思っていた以上に見所満載の高岡市内の
散策を終えて予定していた万葉線の
電車にはギリギリで間に合いました。



乗車したのは古い型式の路面電車でした。

祝日の午前中、万葉線の電車には、
それ程多くの乗客は乗っていませんでした。



10時丁度に、越ノ潟行の電車は発車しました。
いつも路面電車に乗車する際の定位置、
車両の最後尾に陣取っての乗車です。

車内の案内は、新湊出身の落語家
立川志の輔のさんのアナウンスです。


発車してすぐに万葉線の電車は左に大きく
カーブし、高岡駅を背に進んで行きます。



2014年からは、高岡駅に乗り入れているので
この区間は、再び乗車しなければなりません。

高岡駅からの道は狭く単線になっています。
末広町の停留所を過ぎ再び大きくカーブし
国道156号線を進む様になりました。



カーブして最初の停留所は片原町です。
交換設備があり、道路にペンキで
安全地帯が示されているだけです。



この片原町は重要伝統的建造物群の
保存地区に指定されている山町筋の最寄で
次の坂下町は高岡大仏の最寄の停留場です。

高岡の散策記はこちらです。

坂下町の先で交換設備があり、高岡駅に向かう
最新型の低床式の電車とすれ違いました。



以前はここに高岡市庁前の停留所がありましすが
停留所は2005年に100m程東北側に移設され、
交換設備が信号所としてこうして残っています。

移転した停留所は急患医療センター前と改称されています。
位置的には高岡城址の西側すぐの所で、
古城西口という括弧付の名前になっています。


道路も幅が広がり、次の広小路から複線になりました。



上の写真右が志貴野中学校前、左が萩布です。

この辺りは、万葉線は真っ直ぐな道に沿って走り
車窓風景は単調ですが、次第に沿線から
ビルが少なく、建物の高さが低くなり、
郊外の景色に変わっています。


萩布の次の新能町停留所です。



この200m東にJR氷見線の能町駅があります。
富山ライトレールの様に、氷見線をLRT化し
この万葉線に乗り入れれば便利になると思います。


車内の様子です。



高岡駅を発車して以来、ずっとこの程度の
乗車率だったように思います。

次の米島口は、万葉線株式会社の本社があり、
ここに車両基地も設けられていました。



車両基地には新型の低床式連結車両と
旧型の路面電車が休んでいました。

朝方の小雨は一旦上がっていたのですが
また降りだしてしまったようです。


米島口を出ると単線となり、道路から離れ
専用軌道となり、右にカーブを切ります。



これまでほぼ北に進んでいましたが
米島口から東に進行方向を変えました。

勾配を上って行きます。



鉄道路線の景色となりました。
この勾配は、JR氷見線と貨物線を
オーバークロスする為のものです。



線路の南側には田圃が広がっていました。
150m程の間隔を置いて2つの線路を跨ぎました。

貨物線は引込線ではなくJR貨物の新湊線です。
新湊線は1951年まで旅客営業をしていましたが
現在の万葉線が米島口から先が延長開業した為
貨物路線になった経緯があります。


貨物線を渡り終え、地上に下りたところに
能町口の停留所がありました。



掘立小屋のような駅舎が建つ趣ある停留所でした。




能町口 - 越ノ潟
(Noumachi Guchi - Koshinokata)


能町口を発車すると、幅の広い道を横断し
細い道に乗り入れました。



ここから再び併用軌道になりました。
道幅も狭く単線となっていました。

新吉久で上りの低床式連接車両の
電車と行き違いをしました。



新吉久周辺では大きな工場がありましたが
やがて沿線に住宅が並ぶようになりました。



しばらく沿線に続く住宅の脇を走り、吉久を過ぎ、
再度専用軌道を走るようになりました。



専用軌道になると景色が一変し、
運河脇の工場地帯の景色になりました。

運河と見えたのは小矢部川で、川沿いの空き地は
以前は貨物線の操車場だったと思います。



小矢部川に架かる陸橋の対岸の袂付近は
義経記如意の渡り跡です。


義経記如意の渡しは、小矢部川の渡しでした。

義経と弁慶の主従が平泉に落ちる途中、
この渡しで平権守に身分を見破られそうになり
弁慶が義経を扇で打ちすえ危機を
乗り越えたという逸話があるそうです。

歌舞伎では勧進帳で安宅関でこの逸話が
演じられていますが、史実の混同があったようです。

この小矢部川の渡しは近年まで残っていましたが
あの陸橋が出来て、その役割を終えたそうです。


中伏木駅を発車しました。



中伏木を出ると周囲には人家は無く、
工業地帯の真ん中を走ります。

次の六渡寺駅で、上り高岡駅前
行きの電車と行き違いしました。



吉久を出た辺りで専用軌道を走っていましたが
正式には高岡駅前からこの六渡寺までが専用軌道線、
ここから先は鉄道路線の新湊港線となります。

六渡寺を発車すると、広い河口の庄川を渡りました。



庄川は高山市と郡上市の境にある飛騨山地から
流れだし、御母布ダムを経て白川郷の谷を下り
富山湾に注ぎこむ延長115kmの川です。

この広い川幅は大河の貫録十分でした。


庄川を渡ったところにある庄川口駅です。



ここからも専用軌道が続きます。
住宅の裏側の狭い隙間を進みました。



次の射水市新湊庁舎前駅です。



庄川口もそうでしたが、単線の駅では
線路の両側にホームが設けられています。

これは万葉線の車両はバスの様に進行方向の
左側にだけ乗降口が設けられている為です。

射水市新湊庁舎前からも民家の
裏庭の様なところを走りました。



この辺りは土地勘が無く、どこをどう走っているのか、
乗車している時には良く判っていませんでした。

この辺りは旧新湊市の中心に近いのですが
市域が複雑に入り組んでいて、すぐ南側まで
高岡市の市域が広がっています。

新町口を過ぎ、中新湊駅に到着しました。



交換設備もあり、上屋のある島式ホームには
まるで鉄道の駅の風格がありました。

この中新湊駅で、上り電車と行き違いです。

この中新湊駅は、旧新湊市の中心部に近く、
射水市の代表駅にもなっていますが、
中新湊駅の所在地は高岡市になっています。

中新湊を発車すると市街地を抜け
築堤を走るようになりました。



築堤の脇には漁網が置かれていて
港が近い事がわかります。

この先で、富山新港と日本海を結ぶ
運河の様な内川を渡りました。



内川を渡ると日本高周波鋼業の
大きな工場に沿って走るようになりました。



工場の正門前に東新湊の停留所があります。
通勤に便利なのですが、何人程が
通勤に万葉線を利用しているのでしょう。

工業地帯を真っ直ぐ東に進み
次の停留所の海王丸に到着しました。



この北500m程のところに
帆船の海王丸が展示されています。

いよいよ終点の越ノ潟に到着しました。



高岡駅前から12.8kmの距離を
およそ45分程かけての到着でした。


越ノ潟の先は、線路が繋がっていましたが
1966年に富山新港建設によって
その線路がぷっつり断ち切られてしまいました。

その後、富山県が運行するフェリーが運航されています。
乗車した万葉線の電車にもフェリーが接続していて
その船に乗って富山を目指しました。



万葉線のTOPに戻る

民鉄編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない