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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



弘南鉄道 大鰐線
(大鰐 - 中央弘前)

Konan Railway, Owani Line
(Owani - Chuo Hirosaki)








弘南鉄道大鰐線は、青森県西南部の大鰐と
中央弘前を結ぶ、営業キロ13.9kmの路線です。

開業は1952年1月26日です。

全線をほぼJR奥羽本線が並走しており、
競合関係にあります。






但し、中央弘前駅が弘前の中心に近い事や
JR奥羽本線が1時間半から2時間に一本という
列車ダイヤに対し、60分毎という運転頻度の点で
弘前近郊の輸送については優位に立っていると思います。

この大鰐線も、地方ローカル線の定めというか、
乗客数の減少が続いており、2013年6月には
一旦、廃線の方針も打ち出されたようです。


2009年10月10日、秋田内陸縦貫鉄道に乗車した後、
鷹ノ巣から大鰐温泉まで奥羽本線の特急で移動し、
この大鰐線に乗車しました。

秋田内陸縦貫鉄道の乗車記はこちらです。



大鰐 - 津軽大沢
(Owani - Tsugaru Osawa)


JR奥羽本線の特急「かもしか」を大鰐温泉で下車し、
隣接する弘南鉄道の大鰐駅に向かいました。



弘南鉄道大鰐駅は駅構内を
挟んで南口と北口がありますが、
JRに隣接する南口は無人でした。



駅舎は分かれていても、JRと弘南鉄道は
構内を共用で使用しているので、
無人の弘南鉄道の改札口から
駅構内に入る事が出来ます。



狭い待合室のある小さな駅舎です。

駅構内の入り口の扉の上に時刻表が
掲げられていますが、朝9時までは30分毎、
それ以降は毎時一時間のダイヤになっています。

鷹ノ巣から乗車した特急「かもしか3号」が
大鰐温泉に到着したのが、14:36。

大鰐線の発車時刻は日中は毎時30分なので、
50分以上の待ち時間がありました。



2両編成の列車が停車していましたが、
まだ発車時刻まで間があるので、
ホームには誰も居ませんでした。



赤い帯を巻いた先頭車の様子です。
ヘッドプレートには「いでゆ」と書かれています。
50分以上も待ち時間があったのですが、
何ともなく過ごすうちに発車時間が近づいてきました。



信号も青に変わり、いよいよ発車です。
乗車する人は殆どなく車内はガラガラの状態でした。


大鰐駅を発車すると、大鰐の町を流れる
平川に沿って走るようになりました。



山肌には大鰐温泉スキー場のゲレンデも見えています。
大鰐は青森・秋田県境の山塊と津軽平野との境目にあります。

大鰐駅南側の山々を背に、大鰐線は
平川に沿った平地を走っていきます。

ススキの穂がたなびく線路際の様子です。



平川に沿って走るうちに次の宿川原駅に到着しました。
短いホームがあるだけの小さな駅でした。



宿川原を出ると、田圃が広がりました。



違った形の稲木が並んでいます。
最近は、こうした景色もなかなか見られなくなっています。

そして車窓に広がるリンゴ畑です。



津軽平野はリンゴの産地です。
大鰐線沿線にも頻繁にリンゴ畑を見かけました。

鯖石を過ぎ、広々と田圃が広がりました。



石川プール前を過ぎると、平川を渡ります。



大鰐線の線路は、津軽平野の南端となる
山際に沿うように西に向かって走ります。

石川駅に差し掛かった際の様子です。
正面遠くに岩木山が見えてきました。



石川駅は交換可能駅です。

列車は右側の線路を進んで行きました。
日本の鉄道の多くは、左側通行になってるので
一瞬、進入する線路を間違えたのか?と思ってしまいます。

石川駅を発車すると、高架橋となりました。
失礼ながら、のどかな景色の中を走る
弘南鉄道には似つかわしいような高架橋です。



しかし、1952年(昭和27年)に出来たこの高架橋は
やや古びていて、ちょっとスリルもありました。

この高架橋でJR奥羽本線をオーバークロスしました。



JRの車窓からは何度かこの高架橋を眺めています。

寝台特急「日本海」の乗車記はこちらです。


やがて義塾高校前駅に到着しました。



この駅は東奥義塾高校の最寄駅です。
数人ほどですが、高校生がこの駅から乗り込み、
今まで静かだった車内が一気に賑やかになりました。

この辺りは正面に岩木山、進行右手には
広々とした津軽平野を眺めながら走りました。



青空も広がり陽も差してきました。

車両基地のある津軽大沢駅に到着しました。



この駅も交換設備のある駅です。
石川駅と同じように、この駅でも
進行右側の線路に進入しました。



津軽大沢 - 中央弘前
(Tsugaru Osawa - Chuo Hirosaki)


津軽大沢を出ても、岩木山と津軽平野の景色が広がりました。



とてものどかな景色です。
大鰐線の列車は、淡々と走っていきます。

車窓のススキの穂がたなびく様子も
とっても心和む景色でした。



車窓右手遠くには八甲田山も見えるようになり
晴れ間も広がった事もあり、雄大な景色です。

千年に到着しました。



この千年も列車交換が可能な駅になっています。
大鰐線では全部で14の駅がありますが、そのうち
6駅で列車の行き違いが可能になっています。

日中一時間のダイヤではこれほどの交換設備は
必要とないと思いますが、乗客数が多く
運転本数が多かった昔の名残でしょうか。

2002年までは、中央弘前とこの千年の間に、
区間列車も運行されていたようです。



この千年で、おばあさんが下車していきました。


千年駅を発車すると、住宅地が広がり
弘前の市街地に足を踏み入れたようです。



一旦、青空も広がっていたのですが、雨粒が
車両前面の窓ガラスを濡らすようになりました。
日本海側の冬の天気故でしょうか。

路地裏のようなところを走り、聖愛中高前に停車し、
弘前学院大前駅に近づきました。



弘南鉄道には学校名を冠した駅名が多く、
この弘前学院大前駅で3駅目です。
学生が、弘南鉄道の主な利用客故でしょうか。

そして次の停車駅・弘高下駅に到着しました。



弘前の街は、学生時代の1980年代前半に
何度か訪れた事があるのですが、
その時以来、約30年ぶりの事になります。

街の様子の覚えもなく、どこをどう走っているのか、
はっきりわからないまま終点の中央弘前が近づいて来ました。



弘前市内を流れる土淵川に沿うようになり、
進行前方の丘の上に立派なjホテルや
銀行の建物が見えてきました。



中央弘前駅は、この建物のある丘の下にありました。

中間駅では、何度も交換設備のある駅を見かけたのですが、
中央弘前は単線のホームで、古びた佇まいでしたが
素っ気ない感じの終着駅でした。



中央弘前に到着した大鰐線の電車です。



この後の弘南線の時間が迫っていたので、
駅前に停まっていたタクシーに乗ってしまい、
駅をゆっくり観察する事は出来ませんでした。

弘南線の乗車記は
こちらです。
弘前の散策記はこちらです。



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