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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



特急「かもめ」 (博多 - 長崎)
Limited Express 「Kamome」
(Hakata - Nagasaki)



乗車日:July. 31, 2002






2002年の夏の旅行は長崎でした。
名古屋から博多まで「のぞみ」に乗り、
長崎行きの「かもめ」に乗り換えました。

特急「かもめ」は、戦前から長崎行きの
特急として名を馳せていた列車です。

新幹線が出来る以前は京都始発でしたが
新幹線の延伸に従い始発駅が西に移り、
今は博多始発になっています。

JR九州では、西鹿児島行きの
特急「つばめ」と並ぶ看板列車です。

2000年3月のダイヤ改正で885系と呼ばれる
白い塗装の振り子式の新しい車両が登場しました。
僕の乗ったのも、この通称「白いかもめ」でした。


名古屋から「のぞみ1号」に乗り、博多着10:53
接続する「かもめ13号」は11:02です。
乗り換え改札を抜け、少々焦り気味に
在来線のホームに向かいました。

「かもめ13号」は6両編成。
既に列車は3番線に入線していました。

「かもめ」に乗り込んでみて驚きました。



外観のモダンな感じとは打って変わり、
障子をイメージした様な白い背景に
古風な字体で"へや"とか"かもめ"とか書いてあります。

床は木目で、シートは皮製の豪華な雰囲気です。
JR九州の車両はとてもグレードが高そうです。




席に落ち着くと程なく発車しました。
しばらく車両基地に向かう先ほど乗ってきた
「のぞみ」の車両と並んで走っていました。
鉄道ファンの僕にはゾクゾクするような眺めです。

車内はほぼ満席の状態で、出張の
サラリーマンの姿が多いようです。

福岡市の街並みを早いスピードで走りぬけ、
郊外の景色が広がったと思ったら、
木々が生い茂る堤防が車窓をかすめました。

堤防に見えたのは、7世紀に築かれた水城の跡です。
博多からの鹿児島本線に乗るのは、ほぼ10年ぶりなのですが、
以前は水城が見えるのに、もっと時間がかかっていた筈で
「白いかもめ」の快速ぶりを認識しました。

筑豊本線との分岐駅、原田(はるだ)駅を通過。
昔は寂しかった駅前に、新しく分譲住宅が建ち並んでいました。


博多から20分。
あっという間に長崎本線が分かれる鳥栖に到着です。
駅前に立派なサッカースタジアムが立っています。
J2の「サガン鳥栖」のホームスタジアムです。

鳥栖を発車してしばらく経つと、車窓右手に
広々とした芝生の公園が見えてきました。



吉野ヶ里遺跡です。
緩やかに起伏する丘の向こうに
弥生時代に確かにここに人が住んでいた証。
悠久の昔に思いを馳せたのですが、
快走する「かもめ」からでは、あっという間に
吉野ヶ里遺跡は遠ざかってしまいました。

吉野ヶ里遺跡の様子はこちらです。


高架の佐賀駅を過ぎ、やがて肥前山口に到着です。
駅の周囲にはあまり集落が見当たらないのですが、
この駅からは佐世保に向かう線路が分岐していて、
特急の停車駅になっています。

となりのホームのベンチに、ぽつりと
座っている男の人の姿がありました。




この辺りは肥沃な佐賀平野です。
緑一色の田圃が広がり、田圃には水路が張り巡らされています。



肥前山口を過ぎたあたりから山が近づき、
肥前鹿島を過ぎると、海岸沿いを走るようになりました。

それまでとは打って変わって、カーブが続きます。
この車両は振り子式なのですが、
カーブを曲がる時に違和感はなく
スムーズに曲がっていきます。

小さな入り江と岬が交互に現れ、
海水浴を楽しんでいる人たちを
車内から見ることが出来ます。

多良 - 肥前大浦間で、上りの「かもめ」と交換しました。



やがて、車内から有明湾越しに
雲仙岳が見えるようになりました。



雲仙岳はやや霞んではいましたが、
その雄大な姿を見せていました。

雲仙の様子はこちらです。



雲仙岳の姿に見とれるうちに、
有明湾に巨大なコンクリート製築堤が見えてきました。
諫早湾淡水化計画の為にに作られた防潮堤です。
どの程度有効に活用されているのか、
議論の的になっているのですが、
豊かな漁場だった諫早湾が
元の姿に戻る事は無いようです。

諫早を過ぎると、山間となり、
それを長いトンネルで抜けると、
もう長崎の街です。

12:53、定刻に長崎駅に到着しました。



博多から153.9km、1時間51分の快適な旅でした。


長崎の街歩きの様子はこちらです。
長崎の路面電車、長崎電気軌道の乗車記はこちらです。




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