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マリンライナーは、瀬戸内海を挟む
岡山と高松を結ぶ快速列車です。
運行が開始されたのは1988年4月に
本四備讃線が開通した時からです。
岡山から途中の茶屋町までは宇野線、
茶屋町 - 宇多津間が本四備讃線、
宇多津 - 高松間が予讃線となっています。
この区間は"瀬戸大橋線"という
通称が使われています。
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岡山 - 児島
(Okayama - Kojima)
快速「マリンライナー」の始発駅の岡山駅。
山陰方面に向かう特急「やくも」や四国に向かう
特急「しおかぜ」や「南風」が発着する
在来線ホームで快速「マリンライナー」も
存在感を示しています。
高松側連結された2階建車両を先頭に
5両編成の快速「マリンライナー」の様子です。
岡山 8:24 発の「マリンライナー9号」です。
このJR四国5000系の先頭車両が未来的な
デザインで、なかなか気に入っています。
快速「マリンライナー」の先頭車の2階建車両には
岡山の英雄・桃太郎に因んだエンブレムが付いています。
岡山駅を発車し、車両基地を眺めながら高架となり、
回り込む様に多くの線路を跨いでいきます。
山陽本線と別れ、宇野線へと分け入っていきます。
岡山の市街地を高架で駆け抜けて行きました。
ビルが建ち並ぶ岡山の市街地の様子です。
岡山の散策記はこちらです。
二駅目の備前西市を過ぎると、市街地から
急に田圃の広がる光景となりました。
広々とした田圃の景色を眺めるうち、
岡山から7分で最初の停車駅、
妹尾に到着です。
岡山市の南は、かつて瀬戸内海が
深く入り込む広大な入り江でした。
戦国時代から少しずつ干拓が進み、
明治以降は広大な面積が干拓されています。
岡山南部の干拓の歴史は
(社)農業農村整備情報総合センターの
こちらのサイトに詳しく載っています。
妹尾からも広々と耕地が広がりました。
広い区画の耕地に実っているのは麦でしょうか。
どことなく日本離れした光景です。
この辺りはイグサの産地と
しても知られているようです。
早島を過ぎ、麦畑もやがて水田へと
変わり、日本的な風景になりました。
妹尾から7分程で、茶屋町に到着しました。
この茶屋町駅は宇野線と本四備讃線の接続駅です。
2面3線構造の駅で、二つのホームに挟まれた
真ん中の発着番線が宇野行きの列車用です。
岡山と宇野を結ぶ宇野線は1910年(明治43年)に開業しています。
かつては宇高連絡船を介して本州と四国を結ぶメインルートでした。
1988年(昭和63年)に本四備讃線が開業すると
茶屋町 - 宇野間は支線のような位置づけとなり、
日中は、1時間に1往復の列車が
この区間を行き来しています。
快速「マリンライナー」は茶屋町から本四備讃線を走ります。
高架の複線となりスピードを上げて走りました。
車窓からは再び、干拓地の
広大な田園風景が広がっています。
しばらく走ると、進行方向左手に
宇野線の線路が見えてきました。
快速「マリンライナー」は、ここで岡山平野と別れ
トンネルをいくつも抜けて走るようになりました。
トンネルとトンネルの間の小駅を通過し、
茶屋町から僅か8分で児島に到着しました。
本四備讃線の本州側の最後の駅です。
快速「マリンライナー」は短い停車時間の後に
瀬戸大橋へと向けて発車しました。
児島 - 坂出
(Kojima - Sakaide)
児島駅を発車すると、いよいよ瀬戸大橋です。
発車してしばらく、左手に海が見えています。
やがて鷲羽山を貫く長い鷲羽山トンネルに入りました。
この鷲羽山トンネルを抜けると、高台から
飛び出す様に瀬戸大橋に入りました。
先頭車両から眺める瀬戸大橋の入り口の様子です。
列車で何度も四国に渡っていますが、
瀬戸大橋を渡り始める瞬間はいつも胸が躍ります。
瀬戸大橋は上部を高速道路が走り、
その下が鉄道橋になっています。
新幹線の複線の線路と在来線の複線線路の
4路線分が敷設出来る構造になっているようですが
現在は、中央の2線分しか線路が敷かれていません。
橋梁の鉄骨が車窓を過るなか、
瀬戸内海が車窓に広がりました。
小さな島々が浮かび、とても絵になる光景です。
瀬戸大橋は瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の
5つの島の間に架かる6つの橋梁を言います。
橋梁部の長さは合計 9,368mにもなります。
橋台として使われている櫃石島の様子です。
瀬戸内海に架かる6つの橋のうち、
最初の下津井瀬戸大橋を渡っただけですが
この下津井瀬戸大橋で県境を越え、
この櫃石島は香川県に属しています。
鉄道の駅はありませんが、高速道路の
インターチェンジなどは設けられていて
島の人々の利便性は確保されているようです。
櫃石島を過ぎ、瀬戸内海に架かる
長大橋を次々と渡って行きます。
先頭車両で眺めていると、瀬戸大橋は
直線ではなく、カーブしている事が判ります。
車内からは瀬戸内の小島が次々に現れます。
与島を過ぎ、全長1,611mの
北備讃瀬戸大橋を渡り始めました。
島々の間には瀬戸内海を航行する
大型船の姿を見る事も出来ました。
そして、まるで雲の中に浮かんでいるような
瀬戸内海の島々の様子です。
こうした光景を眺めるうち、最も長い全長1,723mの
南備讃瀬戸大橋も渡り終え四国に上陸しました。
四国北側のこの辺りの海岸線には、
石油化学工場や造船所などのコンビナートが出来ていて、
それまでの瀬戸内海の眺めとは一変した光景でした。
車窓左手遠くには、三角形の讃岐富士も
姿を見せ四国に来たことを実感します。
ところで本四備讃線は茶屋町と
宇多津を結ぶ31.0kmの路線です。
終点の宇多津は瀬戸大橋からは西にあり、
松山や高知へ向かう特急列車はそのまま
直進して進めますが、東側の高松に行くには、
宇多津から方向を変えなければなりません。
この為、瀬戸大橋を渡り終えると、
岡山方面から高松方面に直進して進めるように
宇多津へ向かう路線から別れ、坂出へと
向かう短絡線が建設されています。
岡山から松山に向かう特急「しおかぜ」の乗車記はこちらです。
岡山から高知に向かう特急「南風」の乗車記はこちらです。
複線の高架線から坂出に向かう二つの線路が
分岐し、宇多津に向かう線路の下をくぐって行きます。
(下の写真、左側)
宇多津への路線が分かれると、宇多津方面から
高松方面に向かう路線が近づいて来ました。
三角線を形成する路線はいずれも複線の
高架線なので、とても規模の大きな立体交差でした。
快速「マリンライナー」はまもなく坂出に到着です。
2016年2月、夕方に快速「マリンライナー」に乗車しました。
丁度、夕陽が瀬戸内海に沈もうとしている時間です。
瀬戸大橋は何度も渡っていますが、こうした光景を
眺められるチャンスはなかなかありません。
橋台の近くでは、橋桁に遮られることなく
夕陽を眺める事が出来ました。
坂出 - 高松
(Sakaide - Takamatsu)
岡山から40分弱で坂出に到着しました。
坂出に到着した、快速「マリンライナー」です。
この坂出から予讃線を走り高松に向かいます。
坂出からは、讃岐富士がとても近くに見えていました。
この辺り、讃岐富士の様な
三角形の山が幾つも見られます。
瀬戸大橋を渡っている時の瀬戸内海の眺めや
渡り終えた直後の近代的な連絡線の光景とは異なり、
再びのどかな景色が車窓に現れています。
この山は城山です。
朝鮮式山城跡と言われ、
国の史跡になっています。
城山の麓の讃岐府中駅で
下り普通列車とすれ違いました。
この辺りは、古くから開けていたようで
讃岐国の国府や国分寺・国分尼寺が
置かれていました。
古から豊かな土地だったと思われます。
その讃岐平野を走るうちに住宅が増え
高層ビルが見えてくると高松駅に到着です。
かつては宇高連絡船の波止場もあった高松駅ですが
今は、駅も位置も海岸から離れたところになっています。
駅の位置は変わっても、連絡船の時代と同じように
頭端式と呼ばれる行き止まりのホームが並んでいました。
2001年に完成した新しい近代的な高松駅の駅舎です。
高松の散策記はこちらです。
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