松島
Hiraizumi, Japan









松島は仙台から20km程東北にあり、
松島湾に浮かぶ大小260余りの島々があり、
その景観から日本三景の1つに数えられています。

松島の地図は こちらです。


松島は丘陵地が海に落ち込み、
丘陵地の頂が島として残っているそうです。
このあたりは地質的に侵食を受けやすく、
波を受ける島々の波打ち際は色々な形に侵食され
長い年月の間に、様々に姿を変えているそうです。

"松島"の範囲は広く、松島の4大観と呼ばれる
富山(とみやま)、扇谷、多聞山そして大高森は
7〜8km四方程の範囲に広がっています。


芭蕉や西行も訪れたこの景観の地、松島には
学生時代を含め何度も訪れたのですが、
2007年12月に訪れた時の様子を紹介します。

この時は、多くの見所が集まる松島海岸を中心に
訪れたのですが、4大観は訪れていません。
いつの日にかまた訪れる事が出来ればと思っています。



松島海岸 〜 五大堂
(Matsushima See Side and Gotaido)

Jan 04, '09


瑞巌寺 (Zuiganji Temple)
Jan 05, '09


円通院 (Entsuin Temple)
Jan. 09, '09


福浦島 (Fukuurashima Island)
Jan. 10, '09


松島湾船の旅 - 松島港から塩釜港へ -
(Cruise in Matsushima Bay to Shiogama)

NEW ! Jan. 11, '09





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松島海岸 〜 五大堂
(Matsushima See Side and Gotaido)




松島へは仙台駅の地下ホームから
から仙石線の電車で向かいました。

冬の朝、7時頃の電車に乗りました。

仙石線の電車は東塩釜を出ると
海岸線を走り、松島の島々が見えてきます。

昇った朝日が海面に輝き、
朝から素晴らしい光景です。



時折、こうして松島の景色を眺めながら
仙台から40分程で、松島海岸駅に到着です。
ここから松島散策を始めました。

松島海岸駅前から海岸に行くと
目の前に絶景が広がっていました。



穏やかな海に浮かぶヨット、
その向こうに松島の島々が
浮かんでいます。

波止場には多くのボートが係留されていました。



この波止場を東に向かって歩いていくと
海岸線の丘の上に、謂れありそうな建物がありました。



観瀾亭です。
1590年代に伊達政宗公が豊臣秀吉から
譲り受けた伏見城の建物だそうです。
最初は伊達家の江戸の藩邸に移築したものを、
2代藩主伊達忠宗公が松島に移したそうです。

5代藩主伊達吉村公によって観瀾亭と命名されたのですが、
最近の発見で、1645年から1650年にかけて
再建されたものと考えられているそうです。


この先に五大堂があります。
五大堂は807年(大同2年)に坂上田村麻呂が
松島の美しさに魅せられ、多聞天を
祀ったのが始まりとされているそうです。

五大堂は島の上に建てられていて、
はすかし橋と呼ばれる
赤い橋を渡って生きます。



赤い橋は、下の海が見渡せる透かし橋で、
五大堂への参拝には見も心も乱れないように
足下を照顧して、気を引き締める為だそうです。

五大堂にわたる間の中の島に建つ
松島八幡宮の祠です。



千社札厳禁の標識が立てられ、
凛とした雰囲気が漂っていました。

この先にある五大堂です。



828年(天長5年)に円仁和尚が瑞巌寺を開基した際に
ここに五大明王像を安置したことから五大堂と
言われるようになったそうです。

現在の堂宇は、1609年(慶長9年)に
伊達政宗が再築したもので、
重要文化財に指定されています。

五大堂から眺める松島の様子です。



さすがに五大堂からの眺めは
素晴らしかったです。



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瑞巌寺
(Zuiganji Temple)




五大堂から少し戻り、西に向かうと仙台藩主・
伊達家の菩提寺だった瑞巌寺があります。

短い門前の先に瑞巌寺の総門が建っていました。



1609年(慶長14年)に伊達政宗に
よって建立された門です。

瑞巌寺の歴史は古く、828年(天長5年)に
慈覚大師円仁によって開創されました。
慈覚大師円仁はこの瑞巌寺以外にも、
中尊寺や毛越寺そして立石寺(山寺)と
東北の名刹を開創しています。

中尊寺の様子は こちらです。
毛越寺の様子は こちらです。
立石寺の様子は こちらです。

この時は、天台宗延福寺と称していたようです。
その後、13世紀半ばに時の執権・北条時頼が
法身性西和尚(真壁平四郎)を開山として、
禅宗の円福寺と改称し、それ以降
鎌倉幕府の庇護の下で大いに栄えたそうです。

室町時代に入り、寺勢が衰えていたのを
伊達政宗によって大伽藍が復興されました。

その後、1636年(寛永13年)には正宗公の
遺言で来松した名僧・雲居禅師の尽力で、
東北一のお寺と称されるようになったそうです。


この総門の向こうには、
まっすぐに伸びる参道と
その両側に高い杉木立が続いています。

総門を入った右手には瑞巌寺洞窟群があります。



10m程の高さの崖にいくつも洞窟が掘られ、
その前には仏像が供えられています。
こうした洞窟は、納骨や供養の為のもので
鎌倉から江戸時代にかけて作られたそうです。



岩の一部だけに朝日が当たって、
幻想的な光景になっていました。

洞窟群に沿って歩いていくと、総門から
まっすぐ伸びる参道に辿り着きました。



高い杉木立の間から朝日が差し込み、
身が引き締まるような光景でした。

境内に入ると、参道の左手奥に
洞窟に木枠の格子が嵌められた
法身窟という洞窟がありました。



瑞巌寺を再興した法身性西(真壁平四郎)と
北条時頼が出会った場所とされているそうです。
この洞窟では、1300年(正安2年)に京都・天龍寺を
開山した夢窓国師が訪れた際に無人の窟内から
お経を講ずる声が聞こえたそうです。

この洞窟には何かしら惹きつけられるような
不思議なものを感じました。


そして、中門から伽藍に入って行きます。



中門は切妻造りの四脚門で
重要文化財に指定されています。

中門の左手には御成門があります。



明治天皇松島行在所の碑が建ち
中門に比べると格式の高さを感じます。
こちらは、入母屋造りの薬医門です。

中門から入ってすぐのところにある臥龍梅です。



伊達政宗が朝鮮出兵から戻った際、
兜を植木鉢にして持ち帰った梅だそうです。
1609年(慶長14年)に落慶法要があった際に
伊達政宗が手植えしたと伝えられています。

そして、臥龍梅の真正面に、
国宝の本堂がその姿を見せていました。



1609年(慶長14年)に完成した正面39m、
奥行き25.2mの堂々とした建物です。

本堂の左手には御成玄関がありました。



唐様の建物で、威風堂々とした趣です。
この瑞巌寺の建物に圧倒されながら
さまよっていると、TVクルーの人たちも
境内にやって来ていました。

下の写真はどこで撮ったのか
正確な記憶がないのですが、
本堂の裏あたりの様子でしょうか。



正面から眺める堂々とした本堂とは趣が異なり、
京のお寺のような佇まいを感じました。

そして本堂の右手にある庫裡です。



この庫裡も国宝に指定されています。
こちらもどっしりとした構えの建物でした。


松尾芭蕉もこの瑞巌寺を訪れていて、
奥の細道には以下のように記しています。

十一日、瑞岩寺に詣。
当寺三十二世の昔、真壁の平四郎
出家して入唐、帰朝の後開山す。
其後に、雲居禅師の徳化に依て、七堂甍改りて、
金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。
彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる




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円通院
(Entsuin Temple)




円通院は伊達政宗公の
嫡孫・伊達光宗公の菩提寺です。

伊達光宗公は19歳の若さで夭逝しており、
二代藩主・忠宗公によって建てられています。

瑞巌寺の山内にあるお寺で、
瑞巌寺と同じ臨済宗妙興寺派の
お寺なので、瑞巌寺の別院なのでしょうか。


瑞巌寺を出て、西に少しばかり歩くと
円通院の山門の前に出ました。



堂々としつつも質素な茅葺の薬医門です。
円通院の事は知らずに門の前を通りかかり、
その門の雰囲気が良かったので、
入ってみることにしました。

山門を入ってすぐ左手に
「三宝の庭」がありました。



白砂で松島の海を表し、松島湾に実在する
七福神の島々を仏の庭として表現しているそうです。
周囲の山々を苔で表現し、天と地を結ぶ
天水橋が架かっているという構図のようです。

丁度、紅葉も綺麗で、とても心惹かれる庭でした。


この庭を過ぎると、右手に本堂の「大悲亭」です。



この建物は元々、光宗公の江戸納涼の亭で
それを1647年(正保4年)に解体移築したものです。
お寺の本堂の建物とは趣が異なっていて、
縁側に腰をかけて庭を眺めるのに丁度いい
造りになっています。

本堂の奥にある庭です。
落ち着いた風情の庭園です。
江戸の伊達藩邸にあった小堀遠州作の
庭園を移築したと言われているそうです。



円通寺を訪れた時には気がついておらず、
この写真にもよく写っていないのですが、
この後ろには「心」の字を表した池があります。

この庭からさらに奥に足を進めます。
黄葉が黄金色に輝く参道を進んでいくと
その奥に三慧殿がひっそりと佇んでいました。



この三慧殿は伊達光宗公の霊廟となっていて
重要文化財に指定されています。

黄金に輝く木々に囲まれた三慧殿は
安らかな極楽浄土にあるようにも思えます。

この三慧殿の厨子には白馬に跨る
光宗公の騎馬像が納められていて
この厨子の扉は作られてから
350年の間、開けられることはなかったそうです。

とても、静かで落ち着いた円通院でした。


円通院を散策した後、
瑞巌寺の山門を抜けて
松島の海岸に向かいました。



瑞巌寺山門がシルエットになって
浮き上がっていました。



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福浦島
(Fukuurashima Island)




松島海岸駅近くの五大堂の東に
朱塗りの橋と結ばれた、
ちょっと大き目の島があります。

この島が福浦島です。



五大堂を過ぎ、松島センチュリーホテルの
前を抜けると朱色の橋の袂の
レストハウスに出ます。

ここで200円の通行料を支払って橋を渡りました。
通行料を払うとは、ちょっと驚いたのですが
福浦島全体が県立自然公園になっている為でしょうか。


橋を渡って福浦島の海岸から眺めた松島の集落です。



日本を代表する観光地だけあって、
ホテルや旅館の姿が目に付きます。

福浦島には一周30分程の遊歩道がありますが、
この後、塩竃への船の時間がそろそろ迫っていて
足早に島を散策することにしました。

福浦島の西側を通って、島の先端に向かいました。
すぐ近くの経ヶ島が間近に見えてきました。



経ヶ島の向こう側に見える丘陵地は
松島四大観のひとつ、扇谷山と思います。
この日は波もなく、本当に穏やかでした。

塩竃への船の出航時間を気にしながら歩いていくと
弁天堂の古びたお堂が見えてきました。



そして福浦島から眺める松島の様子です。



手前左右に見えるのが引通島です。
その向こう遠くに見えるのが桂島です。

下の写真の左側にあるのが引通島です。
右側に細く突き出ている岬の上が
四大観の双観山です。



引通島と双観山の間、遠くに細く伸びているのが
これも四大観の一つの多聞山です。
手前に見える島影は、毘沙門島。
その右手に点々と繋がる島影は
伊勢島、小町島のようです。


穏やかな海に大小様々な島が浮かぶ様子は
さすがに日本三景の一つです。

この景色をのんびり眺めていたかったのですが、
塩竃行きの船の時間が迫っていて、
慌ただしく、引き返しました。



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