立石寺(山寺)
Risshakuji (Yamadera), Japan







"閑さや 岩にしみ入る 蝉の声"

奥の細道で芭蕉が詠んだ句で知られる山寺。
正式な名称は、宝珠山立石寺といい、
860年(貞観2年)に清和天皇の勅願によって
慈覚大師が開いた天台宗のお寺です。

慈覚大師ば、平泉の中尊寺や毛越寺も開いていますが、
この立石寺の創建には特に力を入れたそうです。
鎌倉時代には、300以上もの寺坊に
1000名以上もの修行僧が修行を積んでおり、
今尚、日本を代表する霊場ということです。

平泉の様子はこちらです。


JR仙山線の山寺駅から門前の小さな
集落を通って山寺に向かいました。
JR仙山線の様子はこちらです。


歩いて5分程で、山寺に到着です。



階段を上って、根本中堂に向かいます。
ここから奥之院まで、1015段の階段が続いています。



階段の上に聳える根本中堂は1356年(延文元年)、
初代山形城主・斯波兼頼(しばかねより)が再建したものです。
本堂内には薬師如来像の他多くの仏像が安置され、
建立当時からの法灯が絶える事無く輝いているそうです。

根本中堂から山門に向かう途中、
芭蕉の句碑と清和天皇の御宝塔がありました。



清和天皇の御宝塔は左隅にちらっと写っています。
この御宝塔は清和天皇の道徳を慕い、
国家安泰を祈って建立されたそうです。
芭蕉の句碑は、冒頭の有名な「蝉の声」の句碑です。

根本中堂の隣の日枝神社を過ぎます。



途中、芭蕉と曾良の像や、念仏堂、
鐘楼を過ぎ山門に至りました。


背後に深い山を抱え、ひっそりと建つ山門。
鎌倉時代末期の建立と伝えられています。



ここを過ぎると、山肌に階段が続いています。
杉の大木が山肌に聳え、薄暗くなっています。
その階段の途中に姥堂がありました。



この姥堂の本尊は奪衣婆(だつえば)の石像です。
ここから上が極楽という浄土口で、
当時はここで身を清め、奥之院を目指したようです。

階段は更に続き、周囲の鬱蒼とした
杉が覆いかぶさっているようです。

階段の脇には所々石塔が立ち、岩の表面も
墓碑のように彫られています。



祝日とは言え、シーズンオフの冬、
周囲に人は見当たらず、一人でこの参道の階段を
上っていくと、静けさだけが漂っています。

岩に巌を重ねて山とし、
松柏年旧り、土石老いて苔滑らかに、
岩上の院々扉を 閉ぢて物 の音聞こえず。
岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、
佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。


奥の細道で、芭蕉が記した文章です。

夏の日、蝉の鳴き声が 
この静寂に吸い込まれていく様子を、
なんとなく思い浮かべる事が出来たように思います。


杉の木々の間から、迫り来るような
険しい岩肌が見えています。



百丈岩と呼ばれるこの岩の上方に納経堂や
慈覚大師の廟所・開山堂が建てられています。


階段の続く参道は修験者の道でもあります。
岩が迫り、一番細い所は幅が僅か14cm程です。



開山の祖、慈覚大師の足跡を踏んで、
多くの修行者が登っていくので、
親子道とも子孫道とも呼ばれているそうです。

この幽玄な参道を登っていくと
「せみ塚」と芭蕉の碑がありました。



冒頭の有名な芭蕉の句を短冊にしたため
それを埋め、石の塚を立てたそうです。

この日は冬の寒さの中でしたが、静けさの中に佇んでいると、
夏に、蝉の声だけが周囲に木霊している状況が浮んできます。

「せみ塚」を過ぎると仁王門に至りました。



1848年(嘉永元年)に再建されたこの仁王門。
急な階段の先に立ちはだかり、威圧感があります。
門の仁王尊像は運慶の弟子によると言う事です。

仁王門の右側には穴が幾つも空いた奇岩があります。
この岩穴に建つ石塔には人骨が納められているそうです。
案内板には人骨とあるだけですが、
亡くなった修行僧のものでしょうか・・・

仁王門を過ぎ、再び階段を登っていくと
釈迦ヶ峰と呼ばれる岩場の修行場が見えてきました。



岩穴にへばりつくように建てられた胎内堂、
険しい岩山の上には釈迦堂が建てられています。
岩を登る修行の最中に転落して命を落とす
修行僧も多かったと伝えられているそうです。

ふと後ろを振り返ると、雲の間から光が差し、
谷の一部を照らしている様子が見えました。



既にかなりの高さまで登って来ていて、
谷を見下ろす雄大な景色の中に、
一筋の光が差し込み、神々しい光景でした。


この先には性相院、金乗院
そして中性院と伽藍が続いています。




その一番奥のところに奥之院がありました。
下の写真、向かって右のお堂が奥之院の如法堂です。
慈覚大師が中国で修行した際に持ち歩いた
といわれる釈迦如来と多宝如来を本尊としているそうです。



そして、左が大仏殿です。
この大仏殿には像高5メートルの金色の
阿弥陀如来が安置されているとのことでしたが
既に冬籠もりの支度がされていて、
拝顔は出来ませんでした。

奥之院から一旦戻り、切り立った崖の上に建つ
開山堂と五大堂を目指しました。



谷を遥か下に見下ろす断崖の
上に建つ納経堂と開山堂です。

左側の赤い小さなお堂が納経堂で、
立石寺で最も古い建物で、山形県の
重要文化財に指定されているそうです。

開山堂は慈覚大師の木像が安置され、
朝夕に僧侶が食飯と香をお供えしているそうです。

開山堂も冬籠もりの支度でしょうか、
白い幕がお堂の周囲にまかれていました。

そして、開山堂の横の階段を上ると、
五大堂に着きます。
ここは断崖絶壁の岩の上に、
舞台のようにせり出したお堂です。



お堂の中は、お札が一面に貼られています。

お堂の舞台に立つと、
目の覚めるような景色が広がっていました。



立谷川のつくる谷が一望の下に見渡せます。
20年も前に、このお堂から眺めた景色が
変わらずに目の前に広がっています。

20年前を思い浮かべながらこの景色を眺めていると
この20年間が、夢の中の出来事だった
かのような錯覚を覚えていました。

いつしか雨が降り出し、水煙で
この景色も見えなくなってしまいました。



東北地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る