高知
Kochi, Japan







南国土佐の城下町、高知。
明るい日差しが差し込み、
南国ムード溢れる街です。

この高知は、明治維新の立役者、
坂本龍馬の生まれた街です。
龍馬の史跡を中心に
高知の街を歩いてきました。


高知の繁華街と言えば、播磨屋橋です。
高知駅から路面電車(土佐電気鉄道 駅桟橋線)に乗り、
高知市を東西に横切る国道32号線との
交差点に播磨屋橋がありました。

土佐電気鉄道の乗車記はこちらです。



播磨屋橋は、堀の両側にあった豪商の播磨屋と
柩屋が行き来の為に架けた私橋だったそうです。



大通りのすぐ脇にあったので
なんだか飾り物の様な橋に
なってしまっていました。

夜のはりまや橋の様子です。





播磨屋橋から西に向かい、
高知城を目指しました。

高知城追手門から
東に延びる追手筋の様子です。



ここは江戸時代、土佐藩の武家屋敷が
建ち並んでいた所だと思います。

この追手筋では、幕末の土佐藩の
参政・吉田東洋が暗殺されています。



追手筋にある高知追手前高校の様子です。



吉田東洋暗殺の地は、
この高校の向かい辺りです。

幕末の土佐藩主・山内容堂公の生誕の地や
武市瑞山(半平太)の終焉の地なども
この辺りにあります。


幕末の土佐藩の歴史に思いを馳せながら
追手筋を西に向かい高知城に辿り着きました。



高知城は、高知の中心街の近くの
小高い丘の上に聳えています。



高知城天守と本丸御殿


高知城が築城されたのは、1608年。
山内一豊が掛川から移封された直後、
南北朝時代の古城が建っていたこの地を
居城と決め築城にかかったそうです。

高知城の登城記はこちらです。


城内の狭い階段を上り、天守閣の
最上階に行って見ました。



この日は晴れて暑い一日でしたが、
天守には爽やかな風が吹いていました。

その心地よい風を浴びながら見た
高知の街並みです。
天守の周囲に当時の建物がいくつも残っていて、
天守からの眺めは素晴らしいものでした。


高知城の散策を終え、西側の
搦手門から城外に出ました。



搦手門を出てすぐのところに
致道館の門が残っていました。



致道館は、幕末の1862年(文久2年)に
土佐藩藩主・山内容堂公の命で、
参政・吉田東洋が創設した藩校です。

開校当時は、文武館と呼ばれていたそうですが、
1865年(慶応元年)に致道館と改名しています。





この致道館から官公庁の建物が建ち並ぶ
一角を南に向かい、国道33号線に出ると、
土佐電気鉄道伊野線の枡形の停留場があります。

この停留所の近くの通り沿いに
石碑が立っています。
ここが坂本龍馬誕生の地です。



坂本龍馬、幕末の志士で、近年
彼ほど人気の高い人はいないと思います。

坂本龍馬がこの地で生まれたのは、
1836年(天保6年) 11月15日。
25歳の時の1862年(文久2年)に土佐藩を脱藩し、
勝海舟に弟子入りした事から、
討幕・維新の偉業に大きく貢献しています。

語るまでもないですが、薩長同盟により
討幕の勢力を結集し大政奉還の道筋をつくり、
江戸時代の日本の姿を描き出した人です。

残念ながら、1867年(慶応3年) に、
京都・近江屋で暗殺され、僅か
31歳の生涯を終えています。

龍馬が活躍した、京都、神戸
そして長崎の様子は下記です:

京都: http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kansai/Kyoto.html

神戸: http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kansai/Kobe.html

長崎: http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kyushu/Nagasaki.html

坂本龍馬が暗殺された 京都・近江屋の様子はこちらです。


龍馬の生家跡は高知城の西側に位置しています。



当時、土佐藩は藩祖・山内一豊の家臣団の
上士と、それ以前に土佐を治めていた
長宗我部氏に仕えていた郷士との間で
身分格差がありました。

身分の高い上士は高知城の東側に、
郷士は西側に住んでいたようです。

坂本家の本家の才谷家は、土佐藩でも
有数の豪商から1770年(明和7年)に
郷士の身分になっています。

坂本龍馬生誕の地から西に少し歩き
上町二丁目の停留所を過ぎた辺りが
才谷屋の屋敷跡だったようです。

ここには「さいたにや」という
コーヒーショップもありました。



土佐藩を脱藩し、近代日本の幕開けを
導いた龍馬も幼い頃は泣き虫だったそうです。

そんな龍馬も小さいころから
剣道の稽古に明け暮れていたそうです。

「さいたにや」から南に向かい、
高知の街中を流れる鏡川に架かる
月ヶ瀬橋の袂辺りに、龍馬が通った
日根野道場があったそうです。



石垣が続き、所々白壁も築かれています。
当時の様子が伝わってくるようでした。

堤防の向こうには鏡川が流れていました。
鏡川の流れと高知の街を取り巻く山々。

物心ついた龍馬はこの鏡川で毎日のように泳ぎ、
そして日根野道場で剣の修行に励んだそうです。



高知の街中にはビルが建ち並んでいて、
龍馬が生まれ育った頃を偲ぶ事は難しいのですが、
当時と変わらぬ鏡川と周囲の山々の景色を眺めながら、
まだ子供の龍馬が鏡川の河原を
走り回る姿を想像していました。


日根野道場跡から、坂本家墓所に向かいました。

土佐電気鉄道の路面電車に乗り、
上町5丁目で下車しました。



上町5丁目の停留所から北に向かい
永福寺の先の坂道を、更に北に向かいます。



永福寺の様子です。

坂本家墓所は、二ヶ所に分かれていたそうですが、
宅地開発で一箇所に集約されているようです。



龍馬の曾祖父母らのお墓は、
現在地に移されたようです。

龍馬の母・幸は、龍馬が12歳の時に、
父・八平直足は龍馬21歳の時に亡くなっているので
龍馬もここにお墓参りしていた事と思います。


再び播磨屋橋に戻り、
バスで桂浜に行ってみました。
桂浜は、バスで30分ほど、
太平洋に面した景観の地です。



バスを降り、お土産物屋さんを抜けていくと、
太平洋の荒波が打ち付ける桂浜に出ました。

この桂浜には坂本龍馬の銅像が建っています。



近代日本の礎を作った後、夢は大きく
世界へ羽ばたこうとしていた龍馬。

その遺志を表しているのか、龍馬の銅像は、
遠く太平洋の沖合いを見つめていました。


四国地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る