長崎
Nagasaki, Japan





長崎は、僕にとってはとても思い出深い街です。
中学の時、東京発長崎行きの夜行列車に憧れ、
車中泊2泊で、行った街です。

その長崎に2002年の夏に、再び行ってきました。

長崎は、第二次世界大戦の時、
広島とともに原爆が投下された街です。

広島のページはこちらです。

原子爆弾の悲惨さも身をもって体験し、
平和の理念を世界中に発信している街です。
長崎はまた、歴史の町です。
江戸時代、海外への唯一の窓口だった長崎。
江戸から明治に移り変わるときも、
重要な役割を果たしています。

そんな二つの顔を持つ長崎の街を
紹介しようと思います。

長崎の路面電車、長崎電気軌道の
乗車記はこちらです。



浦上周辺 (Uramaki)
Sep. 06, '02


思案橋 〜 眼鏡橋
(ShianBashi - MeganeBashi)

Sep. 06, '02


大浦周辺 (Ohura)
Sep. 06, '02


諏訪神社 (Suwa Shrine)
Aug. 07, '05


オランダ坂 (Oranda Saka)
Aug. 07, '05





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浦上周辺
(Uramaki)



長崎に着いてまず目指したのは、原爆資料館でした。
原爆の中心地に建つモニュメントから程近い
丘の上に原爆資料館は建っています。




これは原爆中心地の碑です

新しく建てられた資料館に入ると、
最初の展示物は原爆の投下されたその時、
1945年8月9日、11時02分を指したまま
被爆し、溶けて変形した時計でした。

たった一つの爆弾で、瞬時に
7万人もの人たちが犠牲となり、
その後現在に至るまで後遺症に悩む
多くの人を産み出したのです。

資料を見ていくうちにその悲惨さが
ひしひしと伝わってきました。


原爆中心の碑から、資料館とは逆の方向の
小高い丘に登ると、平和公園です。



この像は原爆の脅威と平和を
祈願しているそうです。

当時爆心地に近いこのあたりは、
壊滅的な被害を受けたそうです。

平和公園のあった場所も
当時は刑務所だったそうですが、
職員や収容されていた人は
全員即死だったそうです。


平和公園で平和祈願をしたあと、この界隈に
今も残る原爆の跡をいくつか訪ねてみました。

まずは平和公園から東側の山の中腹に
聳えている浦上天主堂に向かいました。

赤いレンガの整った教会の建物の手前に
3体の石の天使像が建っています。



みんな熱線に焼かれ黒ずんだ色をしており、
あるものは頭の部分がなくなっていました。
また点々とついている白い染みは
黒い雨の跡との事です。


浦上天主堂の次は、路面電車に乗り、
南に向かい、山王神社を目指しました。

これも山肌の中腹に建っている神社なのですが、
神社の手前に片足の鳥居が建っています。



鳥居の片側が爆風で吹き飛ばされたものの、
奇跡的に倒壊を免れたものです。

67年が過ぎ、原爆の投下された当時の
悲惨な状況を残しているものは少なく、
近代的なビルが立ち並ぶ長崎の街並みからは
その悲劇が現実にあったという事を窺い知る事は
ほとんど不可能になっています。

でも、この旅行で、その悲惨な状況や、
そして原爆の悲惨をを復讐ではなく、
平和実現の為に今も尽くしている事を
改めて認識出来て、貴重な旅になりました。



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思案橋 〜 眼鏡橋
(ShianBashi - MeganeBashi)



そして長崎は歴史の街でもあります。
江戸時代、鎖国していた当時の日本で
海外との唯一の窓口だった街です。

オランダ、そして中国の商人を通じ
海外の情報がこの長崎を通じて
もたらされていました。

幕末、欧米の列強が日本に開国を迫った頃、
長崎が歴史の表舞台に立ちました。

そんな歴史の香る長崎の街を歩いて見ました。
まずは、街の東の風頭山の麓にある
宗福寺に向かいました。



宿泊したホテルから歩いてすぐのこの寺は
17世紀に、当時在留を許可されていた
中国人によって建立されたものです。

写真はその山門ですが、日本の寺院建築とは
大きく趣が異なっています。

急な階段を上ったところの第一峰門や
本殿にあたる大雄宝殿は国宝になっています。


風頭山の麓には、この宗福寺から
多くのお寺が連なっています。

いわば長崎の東山と言った感じです。
南北に走る狭い通りの山側に
次々に由緒あるお寺が現れました。



これは興福寺の大雄宝殿(重文)です。
この興福寺では庫裏の一部が公開されていて、
庭を眺める事が出来ました。

この日は、朝から強い日差しが
照りつける真夏の陽気だったのですが、
庭を眺めていると、心地よい風が吹いてきました。
そして、遠くから船の汽笛がなり、
港町の情緒が味わえました。


この興福寺から少し歩いたところに
風頭山に向かって、細く長い階段が続いています。



この階段は「竜馬の道」という名前が付いています。
坂本竜馬が興し、その後有名な海援隊の元となった、
日本で最初の商社「亀山社中」が
この坂を登ったところにあるのです。

真夏の気候の中、汗をかきながら、
この坂道を上っていきました。

長崎の街並みが見下ろせるようになり、
汗でポロシャツの色が変ってしまう頃、
亀山社中の跡に着きました。



亀山社中は、普通の民家と
見紛うような一軒家でした。

今から140年程前、新しい日本を作るという
希望に燃え、坂本竜馬もこの急な坂道を
上っていたと思うと感慨もひとしおです。

この亀山社中から更に階段と山道を登った
風頭公園に坂本竜馬の銅像が建っていました。



腕を組み、長崎の街を見下ろす坂本竜馬。
幕末に日本を大きく変えた男、坂本竜馬。
海援隊を作り世界に羽ばたこうとした竜馬は
長崎港を行き交う船を見ながら
何を思っているのでしょうか



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大浦周辺
(ShianBashi - MeganeBashi)



新地の中華街でお昼を食べた後、
長崎の南にある大浦天主堂を目指しました。

長崎東急ホテルの横の坂を登っていくと
白い瀟洒な教会が見えてきました。
国宝大浦天主堂です



この教会は、豊臣秀吉のキリシタン禁止令によって
処刑された26人のキリスト教徒にちなんで
1865年に建てられたものだそうです。

ステンドグラスから淡い光が差し込む
天主堂を後にして、敷地の隣にある
グラバー亭に向かいました。

その途中、教会の隣に建っている
ラテン神学校に何気なく
足を踏みいれてみました。

神学校の建物では大浦天主堂にまつわる
色んな展示がされてされていたのですが、
その中でコルベ神父の展示に目がとまりました。

コルベ神父はポーランド出身で、
第二次大戦の始まる前6年ほど、
大浦天主堂で布教活動をしていたそうです。
故国に戻った時に、反ナチス運動をしたと言う理由で
アウシュビッツに送られたのですが、
その時、脱獄事件が起こったとき、
見せしめの為に断食刑に処せられそうになった、
妻子ある若いユダヤ人の身代わりに
断食刑を望んだそうです。

神学校の一角で、この話に接した時、
時が止まったかのような感じがしていました。


大浦天主堂に隣接して、グラバー園があります。
徳川幕府が開国した後、長崎に移り住んできた
アメリカ人やイギリス人の住んでいた
西洋館を集めているところです。

それらの西洋館の中でも一番の見所は
やはりグラバー亭です。



庭に綺麗に花が植えられています。

グラバーはアバディーンの出身で、
徳川幕府の対抗勢力、薩摩・長州両藩に肩入れし、
軍艦や武器・弾薬を供給していた商人です。

グラバーこそ明治維新を実現させた、
影の仕掛け人といったところでしょうか。


グラバー亭から望む、長崎港の景色。



こののどかな景色をみながらグラバーは
何を考え、何を感じていたのでしょうか。



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諏訪神社
(Suwa Shrine)



そして、この長崎を2005年の夏に再訪しました。
今回の目的は、長崎を走っている路面電車の全線乗車です。

でも、その合間に、諏訪神社とオランダ坂の観光もしてきました。


諏訪神社は、長崎の代表的なお祭り、
長崎くんちが行われるところです。

路面電車を諏訪神社前で下車し、
本殿へと繋がる長い階段を上っていきました。



お祭りの時には、この階段が多くの人で埋まるのでしょうか。

そして、汗だくになってたどり着いた本殿。



由緒ある堂々とした建物です。

この本殿からは、長崎の街が一望出来ます。
谷あいに発展した長崎の街。
狭い谷に、多くの建物が密集しています。

この諏訪神社の向かいの山は、風頭山。
3年前、亀山社中や坂本竜馬の銅像を訪れるために
汗だくになって上ったところです。

その時を懐かしく思い出しながら、
長崎の街を眺めていました。



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オランダ坂
(Oranda Saka)



諏訪神社を訪れた後、再び路面電車に乗り、
大浦天主堂近くの石橋で、全線乗車を果たしました。

ここからオランダ坂を目指しました。
3年前も、グラバー園を訪れた後、オランダ坂に向かったのですが、
暑さと疲れで、入口のところで断念して引き返していたのです。

路面電車の石橋停留場からは、
オランダ坂はすぐ近くです。

坂を上り始めてすぐのところに、
東山手洋風住宅街があります。



瀟洒な洋風館がいくつか集まっていて、
この一角は、外国に来たかのような感じです。

ここから急な坂を上っていきます。
夏の強い日差しで、少し歩くだけで、汗が吹き出てきました。

坂の頂上辺りで、狭い階段が更に
山の頂上に向かって続いていました。



何の変哲もないような路地ですが、
ガス灯を模した街路灯があり、趣があります。

以前は、この坂の上に教会があり、
この教会に向かう西洋人が多かったので、
このあたりをオランダ坂と呼ぶようになったそうです。

そして、領事館だったという東山手十二番館に
下っていくと、オランダ坂の表側の入口です。



ソテツが植わっていて、南国ムードが漂っていました。



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