天橋立、京都府
Kuwana, Mie

天橋立は、日本三景の一つです。

天橋立は、京都府北部の宮津湾に細く突き出た砂礫です。
天橋立をなす砂嘴の長さは3.5km以上もあります。
宮津湾をほぼ仕切ってしまう程の長さとなり、
西側の阿蘇海は湖のようになっています。

日本三景の他二ヶ所は宮城の松島と広島の宮島です。
三か所とも、海の因んだ場所になっています。

松島の散策記はこちらです。
宮島の散策記はこちらです。

天橋立は、子供の頃に家族旅行で訪れて以来、
何度か訪れましたが、2012年4月にも再訪しました。
その際の様子をお伝えします。

天橋立をゆく
Feb. 07, '24

傘松公園周辺
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飛龍観展望所

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天橋立をゆく

2012年4月末に久しぶりに天橋立を訪れました。
この時は、福知山から京都丹後鉄道に
乗って天橋立に来ています。

京都丹後鉄道の乗車記はこちらです。

天橋立駅前でレンタサイクルして、
天橋立を縦走する事にしました。

まず向かったのは駅からほど近い智恩寺です。


撮影: 2012年4月

智恩寺は808年(大同3年)に平城天皇の
勅願寺として創建された歴史の古い寺院です。
元々は密教のお寺だったようですが、
南北時代以降は臨済宗のお寺になっています。

智恩寺は、天橋立の南端の文殊の切戸と呼ばれる
阿蘇海と宮津湾が繋がっている水路に面しています。


撮影: 2012年4月

舟を通すための旋回橋を渡ると、天橋立小天橋公園の
砂州があり、その先で、再び橋を渡ります。


撮影: 2012年4月

二つ目の大天橋を渡ると、天橋立の砂嘴になります。
天橋立では、砂嘴に沿って、松並木が続いています。
この辺りでは、多くの観光客がいました。


撮影: 2012年4月

しばらく行くと、歩く人の数が少なくなりました。
自転車のスピードを上げて走ることが出来ます。


撮影: 2012年4月

松並木を自転車で気持ちよく走りました。
単に走り抜けるだけでは勿体ないので、
天橋立に遮られている阿蘇海を眺めてみました。


撮影: 2012年4月

文殊の切戸で宮津湾と繋がっていますが、
阿蘇海ほぼ湖のようになっています。

海流による浄化効果がない事や、不法投棄などで、
汚染が進んでいると言われている阿蘇海ですが、
近年は、改善に向かっているようです。

天橋立には句碑や史跡などがいくつもあります。
下の写真は、与謝野寛、晶子夫妻の句碑です。


撮影: 2012年4月

与謝野寛は、父の出身地が、天橋立の西にある加悦
という事もあり、ちょくちょく天橋立に訪れていたようです。
夫婦で訪れたのは1930年(昭和5年)の事でした。

その先にある天橋立神社です。


撮影: 2012年4月

かつては智恩寺の境内にあったようですが、
室町時代中頃にはこの地に移されたようです。

近くには、磯清水、岩見重太郎仇討ちの場の碑がありました。


撮影: 2012年4月

磯清水は、砂嘴の天橋立にあって真水の湧く井戸として、
平安時代から知られていたようで、清少納言も
枕草子で取り上げられているようです。

岩見重太郎は、実在する人物としては薄田兼相とされています。
秀吉の馬廻り衆として仕え、大坂の陣に参戦し、
夏の陣で戦死しています。

wikipediaでは、1590年(天正18年)に親の敵討ちを、
天橋立で果たしたと記載されていますが、宮津市の
観光協会には仇討ちは1632年(寛永9年)となっています。

天橋立神社からしばらく進むと、
双龍の松がありました。


撮影: 2012年4月

二本の松が、まるで二頭の龍が天に上るような
様子だったようですが、2004年(平成16年)の
台風で、二本とも倒れてしまいました。

双龍の松は、天橋立の根元に近い位置にありました。
この辺りから宮津湾を眺めてみました。


撮影: 2012年4月

砂浜の向こうに、穏やかな宮津湾が佇んでいました。
天橋立の松並木と、この砂浜の景色は
まさに白砂青松の景色です。

天橋立の北側の根元に近い辺りに
天橋立の碑がありました。
歴史を感じる立派な碑でした。


撮影: 2012年4月

自転車なので、3.5kmの天橋立を20分程で走り終えました。
近くの阿蘇海の浜辺から眺める天橋立です。


撮影: 2012年4月

この景色も、穏やかな阿蘇海越しの白砂青松の眺めでした。

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傘松公園周辺

天橋立は、宮津湾を遮るように細く伸びた砂嘴ですが、
その付け根は、宮津湾の北側にあり、南側に延びています。

その天橋立の付け根に、丹後一宮の籠神社があります。


撮影: 2012年4月

籠神社の歴史は白鳳時代に遡るようです。

伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神が籠神社の
奥宮・真名井神社に鎮座し、その縁で、天照大神が
笠縫邑(奈良県北部)から遷られ、籠神社が
両大神を祀ることになったようです。

二の鳥居、三の鳥居をくぐり、拝殿に向かいます。


撮影: 2012年4月

籠神社は、伊勢神宮に天照大神が祀られる以前に、
近畿各地で祀られた元伊勢と呼ばれる神社の一つです。

三の鳥居を抜けた先の神門は立派な構えでした。


撮影: 2012年4月

下は、神門を抜けた先にある拝殿です。


撮影: 2012年4月

籠神社は、流石に丹後一宮という事もあり、
立派な神社でした。

籠神社の境内には倭宿禰命
(やまとのすくねのみこと)
の像がありました。


撮影: 2012年4月

倭宿禰命は、神武東遷の際、明石海峡で亀に乗って現れ、
神武天皇を先導し、浪速、河内、大和に向かったそうです。

倭宿禰命と神武天皇が出会ったのは、速吸門という土地なのですが、
この速吸門は日本書紀では豊予海峡となっているようです。
しかし、その場所がもし明石海峡としたら、倭宿禰命が明石海峡を
本拠地としていたら、明石海峡の近くにある五色塚古墳の
埋葬者が倭宿禰命なのでは?と夢想してしまいます。

籠神社は丹後一宮ですが、籠神社から2km程西には
丹後の国分寺跡があります。

奈良時代には、この周辺が丹後国の中心地だった筈で、
今からはなかなか想像も出来ない事かと思います。

籠神社のすぐ西隣にはケーブルカーの乗り場があります。
天橋立の展望台の一つ、傘松公園に向かうケーブルカーです。

丹後海陸交通・天橋立ケーブルの乗車記はこちらです。


撮影: 2012年4月

わずか4分の乗車を終えて、高台の傘松駅に到着しました。


撮影: 2012年4月

駅舎の上にケーブルカーと天橋立が眺められる展望所があります。
GWに訪れた際には7分半ごとに、ケーブルカーが行き来していて、
短い滞在時間でも、ケーブルカーと天橋立を眺めることが出来ました。


撮影: 2012年4月

そして、駅舎の隣の傘松公園から眺める天橋立です。


撮影: 2012年4月

この天橋立は昇龍観として知られています。
伊邪那岐命
(いざなぎのみこと)が伊邪那美命
(いざなみのみこと)
に逢う為に、天から地上に
下りるために使っていた「神の浮橋」が倒れてしまい、
天橋立になったと言い伝えられているそうです。

この傘松公園の天橋立は、股のぞき発祥の地としても知られています。


撮影: 2012年4月

こうしてみると、龍が天に上る様子に見えるというのも
あながち間違った事ではなさそうです。


撮影: 2012年4月

久しぶりに訪れた天橋立でしたが、やはり
日本三景の眺めは素晴らしいものでした。

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