天橋立は、日本三景の一つです。
天橋立は、京都府北部の宮津湾に細く突き出た砂礫です。
日本三景の他二ヶ所は宮城の松島と広島の宮島です。
天橋立は、子供の頃に家族旅行で訪れて以来、
2012年4月末に久しぶりに天橋立を訪れました。
天橋立駅前でレンタサイクルして、
まず向かったのは駅からほど近い智恩寺です。
智恩寺は808年(大同3年)に平城天皇の
智恩寺は、天橋立の南端の文殊の切戸と呼ばれる
舟を通すための旋回橋を渡ると、天橋立小天橋公園の
二つ目の大天橋を渡ると、天橋立の砂嘴になります。
しばらく行くと、歩く人の数が少なくなりました。
松並木を自転車で気持ちよく走りました。
文殊の切戸で宮津湾と繋がっていますが、
海流による浄化効果がない事や、不法投棄などで、
天橋立には句碑や史跡などがいくつもあります。
与謝野寛は、父の出身地が、天橋立の西にある加悦
その先にある天橋立神社です。
かつては智恩寺の境内にあったようですが、
近くには、磯清水、岩見重太郎仇討ちの場の碑がありました。
磯清水は、砂嘴の天橋立にあって真水の湧く井戸として、
岩見重太郎は、実在する人物としては薄田兼相とされています。
wikipediaでは、1590年(天正18年)に親の敵討ちを、
天橋立神社からしばらく進むと、
二本の松が、まるで二頭の龍が天に上るような
双龍の松は、天橋立の根元に近い位置にありました。
砂浜の向こうに、穏やかな宮津湾が佇んでいました。
天橋立の北側の根元に近い辺りに
自転車なので、3.5kmの天橋立を20分程で走り終えました。
この景色も、穏やかな阿蘇海越しの白砂青松の眺めでした。
天橋立は、宮津湾を遮るように細く伸びた砂嘴ですが、
その天橋立の付け根に、丹後一宮の籠神社があります。
籠神社の歴史は白鳳時代に遡るようです。
伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神が籠神社の
二の鳥居、三の鳥居をくぐり、拝殿に向かいます。
籠神社は、伊勢神宮に天照大神が祀られる以前に、
三の鳥居を抜けた先の神門は立派な構えでした。
下は、神門を抜けた先にある拝殿です。
籠神社は、流石に丹後一宮という事もあり、
籠神社の境内には倭宿禰命
倭宿禰命は、神武東遷の際、明石海峡で亀に乗って現れ、
倭宿禰命と神武天皇が出会ったのは、速吸門という土地なのですが、
籠神社は丹後一宮ですが、籠神社から2km程西には
奈良時代には、この周辺が丹後国の中心地だった筈で、
籠神社のすぐ西隣にはケーブルカーの乗り場があります。
わずか4分の乗車を終えて、高台の傘松駅に到着しました。
駅舎の上にケーブルカーと天橋立が眺められる展望所があります。
そして、駅舎の隣の傘松公園から眺める天橋立です。
この天橋立は昇龍観として知られています。
この傘松公園の天橋立は、股のぞき発祥の地としても知られています。
天橋立、京都府
Kuwana, Mie
天橋立をなす砂嘴の長さは3.5km以上もあります。
宮津湾をほぼ仕切ってしまう程の長さとなり、
西側の阿蘇海は湖のようになっています。
三か所とも、海の因んだ場所になっています。
宮島の散策記はこちらです。
何度か訪れましたが、2012年4月にも再訪しました。
その際の様子をお伝えします。
Feb. 07, '24
NEW ! Mar. 13, '24
天橋立をゆく
この時は、福知山から京都丹後鉄道に
乗って天橋立に来ています。
天橋立を縦走する事にしました。
撮影: 2012年4月
勅願寺として創建された歴史の古い寺院です。
元々は密教のお寺だったようですが、
南北時代以降は臨済宗のお寺になっています。
阿蘇海と宮津湾が繋がっている水路に面しています。
撮影: 2012年4月
砂州があり、その先で、再び橋を渡ります。
撮影: 2012年4月
天橋立では、砂嘴に沿って、松並木が続いています。
この辺りでは、多くの観光客がいました。
撮影: 2012年4月
自転車のスピードを上げて走ることが出来ます。
撮影: 2012年4月
単に走り抜けるだけでは勿体ないので、
天橋立に遮られている阿蘇海を眺めてみました。
撮影: 2012年4月
阿蘇海ほぼ湖のようになっています。
汚染が進んでいると言われている阿蘇海ですが、
近年は、改善に向かっているようです。
下の写真は、与謝野寛、晶子夫妻の句碑です。
撮影: 2012年4月
という事もあり、ちょくちょく天橋立に訪れていたようです。
夫婦で訪れたのは1930年(昭和5年)の事でした。
撮影: 2012年4月
室町時代中頃にはこの地に移されたようです。
撮影: 2012年4月
平安時代から知られていたようで、清少納言も
枕草子で取り上げられているようです。
秀吉の馬廻り衆として仕え、大坂の陣に参戦し、
夏の陣で戦死しています。
天橋立で果たしたと記載されていますが、宮津市の
観光協会には仇討ちは1632年(寛永9年)となっています。
双龍の松がありました。
撮影: 2012年4月
様子だったようですが、2004年(平成16年)の
台風で、二本とも倒れてしまいました。
この辺りから宮津湾を眺めてみました。
撮影: 2012年4月
天橋立の松並木と、この砂浜の景色は
まさに白砂青松の景色です。
天橋立の碑がありました。
歴史を感じる立派な碑でした。
撮影: 2012年4月
近くの阿蘇海の浜辺から眺める天橋立です。
撮影: 2012年4月
その付け根は、宮津湾の北側にあり、南側に延びています。
撮影: 2012年4月
奥宮・真名井神社に鎮座し、その縁で、天照大神が
笠縫邑(奈良県北部)から遷られ、籠神社が
両大神を祀ることになったようです。
撮影: 2012年4月
近畿各地で祀られた元伊勢と呼ばれる神社の一つです。
撮影: 2012年4月
撮影: 2012年4月
立派な神社でした。
(やまとのすくねのみこと)の像がありました。
撮影: 2012年4月
神武天皇を先導し、浪速、河内、大和に向かったそうです。
この速吸門は日本書紀では豊予海峡となっているようです。
しかし、その場所がもし明石海峡としたら、倭宿禰命が明石海峡を
本拠地としていたら、明石海峡の近くにある五色塚古墳の
埋葬者が倭宿禰命なのでは?と夢想してしまいます。
丹後の国分寺跡があります。
今からはなかなか想像も出来ない事かと思います。
天橋立の展望台の一つ、傘松公園に向かうケーブルカーです。
撮影: 2012年4月
撮影: 2012年4月
GWに訪れた際には7分半ごとに、ケーブルカーが行き来していて、
短い滞在時間でも、ケーブルカーと天橋立を眺めることが出来ました。
撮影: 2012年4月
撮影: 2012年4月
伊邪那岐命
(いざなみのみこと)に逢う為に、天から地上に
下りるために使っていた「神の浮橋」が倒れてしまい、
天橋立になったと言い伝えられているそうです。