幡豆は愛知県三河地方南部、三ヶ根山の
奈良時代から、幡豆から朝廷に海産物を
江戸時代にはこの地域は、旗本領となっており、
その後、これらの村々が合併を繰り返し、
1928年(昭和3年)に町制を敷きますが、
旧幡豆町には東西に名古屋鉄道蒲郡線が走り、
2011年11月、名古屋鉄道蒲郡線に乗車した際、
駅のすぐ南には三河湾が広がっていました。
堤防の向こうに見える島影は、前島と沖島です。
幡豆では幡豆石と呼ばれる花崗岩が産出するそうです。
この浜辺のすぐ近くに妙善寺というお寺があります。
妙善寺の歴史は古く、天平年間
その後、妙善尼という方の菩薩をともらう為、
妙善寺は、かぼしゃ寺として知られています。
西林寺と号していた際に、利春僧都がお告げにより
境内にはそのかぼちゃがいくつも置かれていました。
境内にあった石仏です。
山門から眺める幡豆の港の様子です。
妙善寺を訪れた後、再び浜辺に向かいました。
この先に八幡宮がありました。
僅かな時間の東幡豆散策でしたが、
東幡豆駅に戻ると、古い駅舎が出迎えてくれました。
趣のある古い駅舎でしたが、この駅舎は
幡豆
Hazu in Nishio, Aichi
南にあり、三河湾に臨む地域です。
献上していた記録が残っているそうです。
1878年(明治11年)に西幡豆村、鳥羽村、寺部村
そして東幡豆村の4村に統合されています。
1906年(明治39年)に幡豆村が誕生しました。
2011年に西尾市と合併し、幡豆の名称は
一部の字名を除き消滅しています。
旧町役場は西幡豆駅近くにあったそうです。
途中の東幡豆で下車してみました。
撮影: 2011年11月
撮影: 2011年11月
以前、名古屋鉄道が観光開発を行い、うさぎ島、
猿が島として観光船も運行されていました。
その花崗岩は名古屋城の石垣にも使われているそうです。
その石はきっとこの港から積み出されたものと思います。
撮影: 2011年11月
行基菩薩
(668 - 749)
が開基したと伝わります。
その後、室町時代の天文年間
(1532 - 1555)
に
利春僧都が再興し、西林寺と号しました。
撮影: 2011年11月
寛政年間
撮影: 2011年11月
浜に出てみると、打ち上げられた丸い木の実とも
野菜ともつかないものが打ち上げられており、
煮て食べたところ、とても美味しかったそうです。
撮影: 2011年11月
妙善寺が海に面して建っていることが分かります。
撮影: 2011年11月
近くの船溜まりの様子です。
撮影: 2011年11月
撮影: 2011年11月
なかなか有意義なものでした。
撮影: 2011年11月
2021年に解体されてしまっています。