蒲郡は三河湾の北にある風光明媚なところです。
街の北川に遠望根山や五井山があり、
冬の北風を防いでいるので、
とても温暖なところです。
この地で採れる蒲郡みかんは
一番美味しい蜜柑と思っています。
この蒲郡には温泉も湧き、
海と山の風景が綺麗な観光地です。
また戦国時代末期には松平氏の勢力が
この地に及び、拠点にもなったところです。
この蒲郡の様子を紹介します。
三谷温泉 (Akasaka & Goyu Posting Station) Jan. 20, '01 |
竹島 (Takeshima Island) July 04, '12 |
ラグーナ テンボス (Laguna TEN BOSCH) Apr. 14, '17 |
五井周辺 (Goi Area) Apr. 28, '18 |
安楽寺 (Anraku-Ji Temple) NEW ! June 02, '18 |
崇徳寺 (Soutoku-Ji Temple) Sep 23, '15 |
遠望根山 (Mt. Tobone) |
西浦温泉 (Nishiura Onsen) Sep 11, '14 |
無量寺 (Muryou-Ji Temple) |
愛知県は日本第四の都市名古屋を抱え、
自動車産業が栄える工業県です。
そんな愛知県ですが、太平洋に突き出ている
2つの半島、知多半島と渥美半島、
そしてこれらの半島に囲まれた
三河湾は風光明媚なところです。
その三河湾の奥に位置する蒲郡市は
背後の山が北風を防ぐ地形となっていて
気候温暖なところで、三河湾の眺めも良く、
さらにいくつも温泉が湧き出ています。
温泉街は、寂れてしまっていて、
お店をたたんでしまった
お土産物屋さんもありました。
三谷温泉から眺める三河湾の様子です。
遠く、豊橋の街並みや対岸の
渥美半島もしっかり眺める事が出来ます。
三河湾にぽつんと浮かぶ三河大島。
その向こうに、夕陽が沈んで行きます。
露天風呂に漬かりながら夕陽を眺めていました。
温泉のお湯をオレンジに染めて沈む夕陽。
とっても素敵でした。
温泉の後は、宴会そしてカラオケ。
その後またお湯に漬かってと、
日本の温泉旅行もなかなか良かったです。
竹島は蒲郡の市街地の南にある小島です。
海岸からの距離は約400メートル。
島の面積は約1.9ヘクタールです。
竹島周辺は風光明媚な地として知られ
平安時代末期から開発が進められたそうです。
大正から昭和初期にかけては川端康成を初め
文人達もこの地を訪れていたそうです。
浜辺からすぐ近くにある島ですが
植生は陸側と異なり暖地性植物が自生し、
島全体が国の天然記念物に指定されています。
この八百富神社は、平安末期の1181年(養和元年)
藤原俊成卿が、この地の開発に当たり
琵琶湖に浮かぶ竹生島から弁天様
(市杵島姫命)を勧請したものだそうです。
藤原俊成は、どこかで聞いた名前と思っていましたが
調べてみると平家物語の「忠度の都落ち」で出てくる
貴族で歌人だった人です。
この西側に藤原俊成卿の像がありました。
俊成は歌に優れ、平忠度も俊成に師事していたそうですが、
平氏一門が都落ちした際に、忠度は一旦都に引き換えし
平和になって、勅撰和歌集編纂の院宣が出た際には
自分の歌を入れて欲しいと、和歌をしたためた巻物を
俊成に託し、今生の別れにお願いしたそうです。
平忠度は一の谷の合戦で命を落とし、平氏が壇ノ浦で
滅んだ後に、俊成は千載和歌集を編纂する事となり、
平忠度の歌を詠み人知らずとして掲載したそうです。
"さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜か"
詠み人しらず
八百富神社の東側には海辺の文学記念館
という洋風の瀟洒な建物がありました。
ここには以前、常盤屋という旅館があり、
川端康成を初め大正から昭和初期に
かけての文人が多く宿泊したそうです。
この建物はその旅館を模して建てられたそうです。
竹島の対岸の見どころを訪れた後に
いよいよ竹島橋を渡り、竹島に向かいます。
橋を渡りだして振り返ると、対岸の
小高い丘の上に建つホテルが見えていました。
このホテルは1934年(昭和9年)に建てられた
由緒あるホテルで、近代産業遺産に指定されています。
建物が城郭風なのは、戦国時代にはここが
不相城という平山城だったからかも知れません。
不相城の登城記はこちらです。
もう一つ階段を上ると八百富神社の
社殿が見えてきました。
正面に見える社は宇賀神社です。
三河守護を務めた源範頼公の
信仰が篤かったそうです。
そしてこちらが八百富神社の拝殿です。
竹島の植生は暖地性植物ですが
神社の辺りはタブノキという
照葉広葉樹で覆われているようです。
幟も立ち、厳かな雰囲気でした。
この地は戦国時代には、松平三代信光公長男の
松平守家公を祖とする竹谷松平氏が治めていたそうです。
八百富神社は、竹谷松平氏にも篤く保護され
徳川家康もこの八百富神社に参拝したそうです。
大黒神社や八大龍神社もありました。
八大龍神社は竹島の奥に進んだところに社があり、
この先に進むと、小さな竹島を抜けて
陸地とは反対側の海岸へと繋がっています。
周囲の海が見える所に松が生えています。
龍神の松という名前が付いています。
ベンチからは澄んだ海も眺める事が出来ました。
ここからは階段で海岸へと下りる事が出来ました。
海岸に出て、東側を眺めた様子です。
岬の様に突き出たところは三谷温泉で、
その向こう遠くに豊橋の街も
微かに望むことが出来ます。
竹島の南側はゴツゴツと
岩が並ぶ磯となっていました。
この龍神岬から島の西側を回って
竹島橋へ向かいました。
磯が続いていますが、
遊歩道が整備されています。
海岸にあった石の燈籠です。
蒲郡の西側、形原や西浦方面も
眺める事が出来ます。
なだらかな山並みは三ヶ根山です。
磯の海岸を半周し、竹島橋が見えてきました。
竹島橋の向こうに、近代産業遺産に指定されている
瀟洒なホテルが再び見えてきました。
このホテルは蒲郡クラッシックホテルです。
いつか、このホテルに泊まってみたいものです。
またこのホテルの建つ小高い丘には
戦国時代に不相城がありました。
不相城の登城記はこちらです。
ラグーナ テンボス (ラグーナ蒲郡)
蒲郡は三河湾に臨む街で、かつて市街地の東側には
遠浅の浜辺が続き、海水浴や潮干狩りに最適のところでした。
JR三河大塚の南側の海岸は、駅からも近く、小学校の
遠足か町内会のイベントで、当時の国鉄に乗って、
潮干狩りに出掛けたのがいい思い出です。
その海岸もかなり埋め立てられていますが、
その一部が残っています。
この浜辺の西隣の埋め立て地には、
"ラグーナ"と呼ばれる観光施設も作られています。
ラグーナは1991年から開発が始まり、
開業は1999年の事だったようです。
手前の高層ビルもラグーナの施設の一部になっている
高級リゾートマンションで、遠くに見える観覧車が
ラグナシアというテーマパークの施設です。
観覧車の手前には、おさかな広場やアウトレット
モール<などのショッピングマーケットもあります。
このマーケットには何度か行ったことがあります。
そして、このマーケットの隣に、中部地方で
最も大きいと言われるマリーナがあります。
マリーナのある港の向かいのホテルから眺めた様子です。
多くのヨットが浮かんでいました。
世界的な大企業の多い、愛知県三河地方。
こうした船を個人で持てる人もいるのでしょうか。
なんだか、別世界の様です。
夕暮れになると、このヨットの向こうに
陽が沈んでいきます。
日本にいるとは思えないような光景でした。
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安楽寺
安楽寺は1408年(応永15年)に創建されたお寺です。
蒲郡市の北側の集落に位置しています。
この安楽寺は徳川家康の母・於大の方の所縁のお寺です。
この安楽寺のある地は、於大の方が家康の父・広忠と
離縁された後に嫁いだ久松俊勝が1562年(永禄5年)に
上ノ郷城攻略で功績を挙げ、この地を治めています。
上ノ郷城の登城記はこちらです。
於大の方は、久松俊勝が亡くなった後の1588年
(天正16年)に安楽寺で剃髪し伝通院と名乗り、その後
2年間、夫の菩提を護るために、安楽寺で暮らしたそうです。
2011年4月、不相城を訪れた後に安楽寺に向かいました。
安楽寺の門前の様子です。
不相城の登城記はこちらです。
参道の先に総門があり、そこを抜けると、
幾つかのお堂がありました。
安楽寺は大きなお寺で、玉泉院や
報土院など塔頭もいくつかあるようです。
この先に山門が聳えています。
1752年(宝暦2年)に建立されたものです。
この山門は実に堂々として、二層目には
廻縁が設けられ、内部には十六羅漢が
安置されているそうです。
山門を抜けた安楽寺の境内の様子です。
本堂や鐘楼などの堂宇が建ち、趣のある景色です。
安楽寺は2015年10月25日、失火により山門より
北側の堂宇がすべて焼失してしまっています。
上の写真の光景は、もう二度とみられない光景です。
本堂の内部の様子です。
鎌倉時代に造られたご本尊の阿弥陀如来立像は、
市の博物館に収められていたようです。
こちらは江戸時代初期に造られた大黒天像です。
この像は火事の際に、無事に運び出されたそうです。
境内の石仏です。
これらの石仏は今はどうなっているのかと思います。
本堂の裏には、久松俊勝公のお墓がありました。
久松俊勝公は、信長に仕えていた刈谷から緒川周辺を
治めていた義兄の水野信元が謀反の疑いで家康の元に
身を寄せた際、水野信元を出迎えに行っていますが、
家康は信元を岡崎の大樹寺で殺害してしまいます。
その事情を聴かされていなかった久松俊勝は
この事件で激怒し、隠遁してしまいました。
久松俊勝が亡くなったのは1587年(天正15年)、
水野信元が1576年(天正3年)に謀殺されて
11年後の事でした。
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崇徳寺
愛知県幸田町にあるJR三ヶ根駅から南に向かい
形原温泉への途中、一つ峠を越えたところの
左手に崇徳寺がありました。
お寺の案内板によると身延山久遠寺を
総本山とする日蓮宗のお寺だそうです。
崇徳寺が創建されたのは1482年(文明14年)だそうです。
現在の本堂は、1880年(明治13年)に建てられています。
この崇徳寺も1945年(昭和20年)に起きた三河地震を
引き起こした深溝断層の真上に位置しています。
境内には地震直後の様子を示した写真がありました。
壊滅的な被害の様子がわかります。
この三河地震のマグニチュードは7.1、
断層の真上では震度は7に達する
揺れだったようです。
お寺の裏山には、地震の際に出来た
地割れの跡が残されていました。
地震から70年が経ち、地割れの跡は
埋もれかけているようでしたが
それでもしっかりその跡は残っていました。
三河地震の痕跡は、愛知県幸田町の
JR三ヶ根駅の近くにも残っています。
西浦温泉は、蒲郡市の西部、三河湾に
突き出た西浦半島の突端にある温泉です。
全国的な知名度はあまりないかと思いますが、
三河地方では風光明媚な所として知られています。
故郷の岡崎から近い事もあり、この
西浦温泉には何度行った事があります。
形原の集落を抜け、形原漁港から南に向かいます。
蒲郡の沖に浮かぶ三河大島が見えて来ました。
この写真は2010年7月の様子です。
梅雨明けの夏空が広がっていました。
小さな漁港を過ぎ、更に南に進みます。
抜けるような青空。
空の色が深く、とても澄んだ青空でした。
やがて三河湾の向こうに
渥美半島の島々が見えてきました。
形原漁港から西浦温泉まで、
海岸に沿って約5km程です。
岬の先端の小高い丘が見えてくると
道沿いにヤシの木が植えられてました。
この小高い丘を回り込むと、
西浦の温泉街が見えてきました。
小さな入り江に面した丘陵に
幾つもの温泉旅館が建ち並んでいます。
この入り江は、遠浅の砂浜で、
夏には海水浴場として賑わいます。
賑わうと言っても、芋を洗うような事は無く
遠くに渥美半島の山々や行き交う貨物船を
眺めながらのんびりと海水浴を楽しむ事が出来ます。
真夏の西浦海岸の様子です。
浜辺にはヤシの木が植えられ、
パームビーチと呼ばれています。
この様子は、日本の海水浴場というよりも
海外のリゾート地と言った雰囲気です。
このパームビーチのさらに奥は、岩礁になっています。
パームビーチとは打って変わった荒々しい光景です。
気候も温暖で冬でも暖かい蒲郡ですが、この岬は
冬にはさすがに風が強く、内海の三河湾ですが
荒々しい冬の海の様子を垣間見ることが出来ます。
岬の突端を巡り、半島の西側を眺めた様子です。
三河湾に臨む山は三ヶ根山です。
三河湾に浮かぶ島は沖ノ島でしょうか。
2013年の元旦、初日の出を眺めに
この西浦温泉にやって来ました。
日が昇る前のパームビーチの様子です。
日の出の20分程前に、到着したのですが
防波堤には既に多くの人が初日の出を待っていました。
やがて水平線の雲の切れ間から太陽が顔を出し、
時が経つとともにその輝きを増していきました。
新しい年の幕開けを祝福する、
素晴らしい日の出でした。