Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

えちぜん鉄道・三国芦原線
Echizen Railway / Mikuni Awara Liner

えちぜん鉄道三国芦原線は、福井口から三国港までの25.2kmの路線です。

開業は、三国芦原電鉄が1928年に福井口 - 芦原間を開業し、翌年に
三国町(現:三国)、1932年に東尋坊口まで路線延長されています。
その後、1944年に電車三国(現:三国) - 東尋坊口間が休止になる一方、
廃止となった国鉄三国線の線路を使い、三国 - 三国港間が開業しています。


1942年に京福電気鉄道が経営を引き継ぎましたが、2000年、2001年に
起こした2度の列車正面衝突事故により廃止申請をしたため、
第三セクターのえちぜん鉄道が営業を引き継ぎました。

2011年1月に、この三国芦原線に乗車しましたので、
その際の様子を紹介します。

乗車した2011年1月14日、7時台ですが、まだ暗いうちに
福井駅の東側の、えちぜん鉄道のホームに向かいました。


撮影: 2011年1月

2011年当時、福井駅の東側には北陸新幹線用の
高架橋が建設中で、えちぜん鉄道の福井駅は、
その更に東側の高架橋の陰にありました。

えちぜん鉄道のホームから眺める北陸新幹線の高架です。


撮影: 2011年1月

2015年9月からは、この新幹線用の高架橋に仮駅と
福井口手前までの仮線を建設して営業しています。
将来的には、えちぜん鉄道用の高架橋を建設するそうです。

ホームのベンチに座っていたオブジェです。


撮影: 2012年4月

福井県は恐竜の化石が発掘されることで有名で
その関係で、ここのベンチに座っているのでしょう。
気が付いた時には、びっくりしました。

折り返し 7:25 発となる三国芦原線の列車が到着しました。
三国芦原線は二駅先の福井口から分岐しますが、列車は
すべて勝山永平寺線に乗り入れ福井発着となっています。


撮影: 2011年1月

塗装が変わっていて、気が付きませんでしたが、
この車両は以前は愛知環状鉄道で走っていたそうです。

愛知環状鉄道の乗車記はこちらです。

先頭車両の最前部に陣取って乗車する事にしました。


撮影: 2011年1月

福井駅構内の様子です。
1月の福井という事もあり、すっかり雪景色です。
折から雪も降りだしていました。

雪で、全面展望が効かなくなってしまいました。
この辺りは、新幹線の高架橋脇を走っている様子です。
現在は新福井の先まで、この高架橋の上を走っています。


撮影: 2011年1月

新福井を過ぎ、福井口駅に差し掛かりました。


撮影: 2011年1月

福井口は勝山永平寺線と三国芦原線との
分岐駅で、駅構内は広くなっていました。


撮影: 2011年1月

現在の福井口駅は1面2線のコンパクトな構造になっています。
福井口で勝山永平寺線と別れると築堤を上り、
JR北陸本線をオーバークロスしていきました。


撮影: 2011年1月

周囲は福井市の市街地です。
西別院を過ぎると田原町に到着しました。


撮影: 2011年3月

この写真は、2か月後に福井を訪れた際のものです。
田原町は、福井鉄道福武線との接続駅です。

2016年3月27日からは、福井鉄道の越前武生と
鷲塚針原間で相互乗り入れを始めています。
古びた駅舎でしたが、相互乗り入れに際して
田原町の駅舎も新しくなっている事でしょう。

田原町の次が福大前西福井です。


撮影: 2011年1月

ここは福井大学や福井商業高校の最寄り駅で、
多くの高校生が下車していきました。


撮影: 2011年3月

2か月後には、福大前西福井駅で乗り降りしました。
スーパーマーケットの入っている建物の1階にあります。


撮影: 2011年3月

駅構内も建物に覆われ、地下鉄駅のような雰囲気もしました。
福大前西福井からは住宅地が広がります。


撮影: 2011年1月

福大前西福井を出ると三国芦原線は北に向きを変えます。
二駅目は新田塚です。
この新田塚は、鎌倉時代末期の武将、新田義貞の戦没地と
される燈明寺畷新田義貞戦没伝説地が近くにあります。


撮影: 2011年3月

上の写真は、2か月後に新田塚を訪れた際の様子です。
新田塚を出ると九頭竜川を渡りました。


撮影: 2011年1月

九頭竜川を渡り、鷲塚針原を過ぎると
雪原となった田圃が広がりました。


撮影: 2011年1月

この辺りの車内の様子です。


撮影: 2011年1月

途中駅で高校生が下車していきましたが
乗車率は高く、立客もいる状況でした。


撮影: 2011年1月

大関駅で上り列車と行き違いした際の様子です。
雪で前が見え難かったので、最後尾に移動したのですが、
こちらも窓ガラスが濡れてしまっていました。

この辺りの駅間は田圃の中を真っ直ぐに線路が伸びています。


撮影: 2011年1月

番田を過ぎると、左に大きく曲がり、
あわら湯の町に到着しました。

あわら湯の町駅は、三国芦原線の中心駅で、
芦原温泉街の最寄り駅です。


撮影: 2011年1月

かつては芦原駅から国鉄三国線も乗り入れ、
えちぜん鉄道の前身・京福電気鉄道の
駅との接続駅になっていました。


撮影: 2010年6月

2010年6月に芦原温泉に泊まる機会があり、
その際に訪れたあわら湯の町駅の様子です。

芦原温泉は明治に入って発見された温泉で、1956年
(昭和31年)に大火に遭ったこともあり、昔ながらの
温泉街ではなく、区画整理された所に大規模な
近代的温泉ホテルが林立しています。

芦原温泉の様子はこちらです。


撮影: 2010年6月

えちぜん鉄道の列車は、そんな、芦原温泉の
観光ホテルの前を走って行っていました。

三国芦原線に並走する道路は、かつて北陸本線の
芦原温泉と三国を結んでいた国鉄三国線の
廃線跡と思います。

芦原温泉からの田園風景が尽きると、民家が
密集するようになり、三国の集落へと入りました。


撮影: 2011年1月

三国の集落は、海岸段丘が迫る狭い平地に民家が集中しています。
昔は、この狭いところに国鉄と京福電気鉄道の二つの路線が
走っていたのですが、廃線となった国鉄の線路跡は
雪に濡れた車窓風景からはわかりませんでした。

こうして福井から50分程で、終点・三国港に到着しました。


撮影: 2011年1月

三国港駅は、元々は国鉄の貨物駅でしたが、
その後、旅客化され、後に、三国 - 三国港間が
京福電気鉄道に譲渡されたという経緯があります。

三国港駅は、小さな漁港のすぐ脇にありました。
駅の東側には眼鏡橋と呼ばれるレンガ橋があり、
そこから三国港駅を眺めてみました。


撮影: 2011年1月

今回、三国芦原線には京福電気鉄道時代以来、
18年ぶりに乗車しました。

えちぜん鉄道に経営が変わり、どのような状況なのか、
気になってましたが、乗客も増えているようで
活気もあり、少しばかりホッとしていました。

折からの雪で、車窓風景があまり楽しめなかったので
また乗る機会があれば、と思っています。

三国芦原線のTOPに戻る

えちぜん鉄道のTOPに戻る

私鉄編に戻る

Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない