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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



武豊線
(大府 - 武豊)

JR Taketoyo Line
(Ohbu - Taketoyo)








武豊線は東海道本線の大府から、知多半島の東部を
南下し、武豊に至る営業キロ19.3kmの路線です。

知多半島の主要都市・半田も通る路線ですが
国鉄時代には運転本数も少なく、閑散としていましたが、
JR化後に運転本数も増え、日中で1時間に2本、
朝夕のラッシュ時には15分間隔で運行されており、
各駅の乗降客数も回復しているようです。

長らく未電化でしたが、2015年3月に電化されました。




Yahoo Mapを編集・加筆しました。



武豊線が開業したのは1886年(明治19年)3月の事です。

当時、東京と大阪を結ぶ路線が中仙道経由で建設が
進められており、武豊線は、この路線建設の為の
資材運搬用として熱田 - 武豊間が建設されました。

その後、東京 - 大阪の路線は東海道経由と変更となり
途中の大府から東海道本線が東へと延伸された為、
武豊線の区間は、大府 - 武豊間になっています。

地図で見ると、金山辺りから真っ直ぐに南下している
東海道本線を大府から真っ直ぐ進むと、そのまま
武豊方面に繋がっているように見えるのはこの為です。


この武豊線には何度も乗った事がありますが、
2010年7月に電化工事が始まる前にと思い
全線を乗り直ししました。

その時の様子を紹介します。



大府 - 亀崎
(Ohbu - Kamezaki.)
Nov. 18, '15


亀崎 - 武豊
(Kamezaki. - Taketoyo)
NEW ! Nov. 22, '15




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大府 - 亀崎
(Ohbu - Kamezaki.)







2010年7月24日の土曜日、JR東海道本線の快速電車を
大府で下車し、武豊線のホームに向かいました。



武豊線ホームに停車中のキハ75系気動車です。
快速「みえ」用に投入されたディーゼルカーですが
この武豊線でも運用されていました。

関西線から参宮線を走る
快速「みえ」の乗車記は
こちらです。


日中の武豊線の列車は2両編成です。



転換クロスシートのほぼ半数が埋まり
立ち客がちらほらいるという状態で発車しました。

武豊線の車両から眺めた車両前方の様子です。



大府駅の武豊線ホームは、東海道本線の
上下線に挟まれた2番線と3番線です。

進行右手の線路を進むと武豊線に入って行きます。


乗車したのは、12:52 発の武豊行でした。

大府駅を発車すると、すぐに勾配を駆け上がり
JR東海道本線の下り線をオーバークロスします。




東海道本線を超えると、車窓左手には
逢妻川に沿う豊かな田園風景が広がりました。



右手からは貨物線が寄り沿い、
大府と次の尾張森岡の間で合流しました。



上の写真は、武豊への進行方向を眺めた様子です。
沿線の杜は、信長の合戦で知られる村木砦跡です。

村木砦の様子はこちらです。


このすぐ先に尾張森岡駅がありました。



地図で見ると、駅の東500m程の所に
工業団地が整備されているようです。

当時は下の写真の様な、のどかな田園風景が
広がっていたのですが、この景色も
今では見られないのでしょうか。



田圃の向こうに刈谷の中心部が見えています。

車窓右手には集落が広がっています。
やがて高架を走るようになり、緒川駅に到着しました。



乗車した際には架線柱もなく、
すっきりとした眺めです。

未電化区間のこうした高架駅の景色は
なかなか見る事が出来ません。

JR札沼線や伊勢鉄道など限られています。

札沼線の乗車記はこちらです。
伊勢鉄道の乗車記はこちらです。


この緒川は、徳川家康の母・於大の方が
生まれた緒川城の最寄駅でもあります。

緒川城の散策記はこちらです。


駅の南には規模の大きな
ショッピングセンターもありました。



高架を下り、車窓左手の田園風景を
眺めるうちに次の石浜駅に到着しました。



武豊線は朝夕は運転本数も多く、途中駅では
尾張森岡以外の駅に列車交換設備があります。
そして、日中はこの石浜で上下列車の
行き違いがされています。

石浜を出ると、並走する国道に寄り添うようになり、
武豊線の列車も、住宅地の間を走るようになりました。



住宅地を抜けると東浦駅です。



東浦の駅舎です。
古い建物の様ですが、綺麗に保たれています。

東浦駅に停車中の大府行き下り列車です。



閑散とした感じですが、東浦は
武豊線内で2番目に乗降客の多い駅です。
特に1987年以降に乗客数が増加しているようです。

東浦では駅の南で貨物線が分岐しています。



上の写真は、東浦から武豊方面を眺めた様子です。
左手に分岐する貨物線は、1977年(昭和52年)に
開業した衣浦臨海鉄道碧南線です。


東浦を発車し、しばらくは境川に沿う低湿地の中を
走りますが、やがて勾配を上るようになりました。



武豊行列車の最後部から眺めた様子です。

この長い上り勾配を上りきると、
切り通しとなり亀崎駅に到着しました。



亀崎駅は半田市内の駅で、武豊線内では
もっとも乗降客の多い駅です。



名古屋と知多半島東部を結ぶ名古屋鉄道
河和線の駅から離れた位置にある為です。

亀崎駅の駅舎は1886年(明治19年)の開業当時から残る
現役の駅舎としては日本で最も古いと言われています。



一度、火災に遭ったという説もあるそうですが、
築100年を超えるのは間違いないようです。



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亀崎 - 武豊
(Kamezaki. - Taketoyo.)







亀崎駅で途中下車し、日本最古の駅舎を眺めた後、
一旦、東浦まで戻り、再び武豊を目指しました。

亀崎駅に停車中の武豊行の気動車です。



亀崎からは切り通しの中、勾配を下って行きます。
周囲は住宅街で、亀崎の集落の大きさが判ります。



次の乙川駅に到着しました。

武豊線には貨物列車が運行されていて、
各駅の有効長さは、2両編成の列車には
似付かわしくない程の長さがあります。



乙川駅周辺は、新たな宅地の開発もされていて
ここ数年の乗客数の増加が著しく、過去最低の
乗客数だった1989年から約2.5倍になっています。


乙川を発車し、阿久比川を渡ります。



阿久比川を渡ると半田市の中心街も近づき、
武豊線の列車は大きくカーブを切って
半田駅に差し掛かりました。



こうして半田駅に到着しました。
半田でも下り列車と行き違いをしました。



半田市は人口12万人弱で、知多半島で最も人口の多い市です。

半田の散策記はこちらです。


ところが、武豊線の半田駅の乗降客数は
一日平均で約3500人です。

1980年代後半の最も乗客数が少ない時からは
約2倍に増えていますが、近くにある名古屋鉄道
河和線の知多半田駅の約1/3となっています。

武豊線内でも、亀崎駅や東浦駅の
方が乗降客は多くなっています。

その為、駅も古い造りのままです。



跨線橋は1910年(明治43年)製で、
JRでは現存する最も古い跨線橋です。


半田を発車し、住宅地を抜けると、
衣浦工業地帯の脇を走るようになりました。



大きな敷地の工場を眺めるうちに
貨物線が寄り沿い東成岩に到着しました。



この貨物線も衣浦臨海鉄道の線路です。

東成岩駅は乗降客数が1日平均で1000人にも達せず
武豊線内で最も少ない駅になっています。



それでも、近年は駅前に映画館の複合集客施設も出来、
運転本数の増加も相まって、ここ数年の乗降客数は
モータリゼーションが始まる1960年代よりも多くなっています。

東成岩を発車すると進行左手に留置線がありました。



東成岩の大府寄りで合流する貨物線に入るのには
一旦スイッチバックする必要があり、この線路が
そのスイッチバックに使われていると思います。


この先で住宅地の間を走るようになりました。



その後、国道247号線を踏切で越えると
武豊駅に到着しました。



大府から19.3km、所要時間は約30分程です。
武豊駅のホームは片面ホームで、大府から
到着した列車がそのまま折り返す構造です。

武豊駅の駅舎です。



開業は1886年(明治19年)で、愛知県内で
最も古くから開業している駅の一つです。

武豊線の南側の様子です。



本線と2本の留置線が駅の外れで、
ぷっつりと途絶えています。

以前は、武豊駅の南西2km程の所にある
日本油脂の工場まで電化専用鉄道が敷かれ
貨物列車や従業員輸送用の電車も走っていたそうです。

駅の構内には若い駅員さんの像がありました。



1953年(昭和28年)の台風13号来襲の際に
武豊 - 東成岩間の鉄橋が流された事に気が付いた
高橋煕さんという武豊駅の駅手の方が
差し掛かった上り列車に向かって走り出し、
発煙筒でこの危機を伝えたそうです。

彼の行動のおかげで上り列車は東成岩に引き返しますが
危機を伝えた高橋煕氏は殉職してしまったのでした。

この像は、彼の勇敢な行動を称えて作られたそうです。


2010年当時、未電化だった武豊線も2015年3月に電化されました。

2005年の中部国際空港(セントレア)開業の際には
乙川から分岐し、知多半島を横断する連絡線の建設も
検討されましたが、実現されないままに至っています。



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