Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



札沼線
(桑園 - 新十津川)

JR Sassho Line
(Souen - Shin Totsukawa)








札沼線は函館本線の桑園から分かれ、札幌の
市街地の北側を回り、石狩川の右岸を函館本線と
並走するように走り、新十津川に至る路線です。

かつては新十津川から留萌本線の石狩沼田を結ぶ路線でした。
全通したのは1935年(昭和10年)の事ですが、その後
1972年(昭和47年)に、新十津川 - 石狩沼田間が廃止となり、
現在の路線形態になっています。

営業キロ数は、76.5kmです。




Yahoo Mapを編集・加筆しました。



起点の桑園からあいの里教育大までは札幌市内を走ります。
が、国鉄時代には駅間距離の長い事や、運転本数も少なく
大都市の中を走る未電化の閑散路線でした。

JR転換後に、新駅の開業や運転本数増加によって、
乗客が増え、今では桑園から北海道医療大学までの
28.9kmが2012年6月に電化されています。

函館本線の乗車記はこちらです。



この札沼線には1980年代に一度乗車していますが
2009年12月に再び乗車しました。

その時の様子を紹介します。




桑園 - 石狩当別
(Souen - Ishikari Tobetsu.)
July 29, '14


石狩当別 - 石狩月形
(Ishikari Tobetsu - Ishikari Tsukigata)
Aug. 07, '14


石狩月形 - 新十津川
(Ishikari Tsukigata - Shin Totsukawa)
NEW ! Aug. 15, '14





札沼線のTOPに戻る

JR編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない






桑園 - 石狩当別
(Souen - Ishikari Tobetsu.)








2009年12月、出張で札幌を訪れた際に、
久しぶりに札沼線に乗車してみる事にしました。

札幌の市内の様子は
こちらです。

冬の北海道の朝は遅く、7時になろうと
していますがまだ陽は上っていません。

空は既に明るくなっていますが、
屋根にすっぽりと覆われた札幌駅の
ホームに出ると、夜の様な雰囲気も感じました。

札幌駅の札沼線用ホームに停車中の
石川当別行きのディーゼル列車です。



札沼線の起点は一駅東側の桑園ですが、
全ての列車が札幌まで乗り入れています。

2012年に北海道医療大学まで電化された後、
札幌駅に乗り入れる札沼線の列車は無くなったので
今では貴重な記録になるかもしれません。

函館本線の乗車記はこちらです。


乗車したのは、7:02 発の石川当別行きです。

複線の函館本線の北側に単線の札沼線の
列車用の線路を走り桑園に到着です。



桑園で上り列車と交換し、
いよいよ札沼線の旅が始まります。



桑園を出てしばらくは、札幌 - 桑園間と同じように
函館本線の脇を単線の線路で並走していきます。

やがて大きく右にカーブを切り、函館本線と別れ、
単線の高架線路を走って行きました。



右手の車窓には、ようやく昇った冬の朝日が
オレンジ色に空を輝かせているのが見えました。



札幌駅周辺の高層ビルがシルエットで
浮き上がり幻想的な光景でした。


次の八軒からは複線の線路になりました。



乗車した2009年12月の段階では、
電化工事も進み架線が建ち並んでいました。

今(2014年)では電化されてしまっていますが
当時は未電化複線高架区間でした。

こうした区間は日本では珍しく、名古屋市北部を走る
東海交通事業城北線や伊勢鉄道にその例があるだけです。

伊勢鉄道を走る快速「みえ」の乗車記はこちらです。


車窓左手後方には、雪を抱いた
山々が見えていました。



12月初旬でこの雪景色は、
やはり北海道ならではと思います。

高速道路を高々架でオーバークロスし、
架線柱が立ち並ぶ中、新琴似駅に到着です。



未電化高架複線区間にある珍しい駅です。
2012年の乗車客数は3,524人と札沼線の中では
桑園、あいの里教育大に次ぐ利用者です。

500メートル程離れたところに札幌市営地下鉄の
麻生駅があり、乗り換え客もいると思いますが、
地下鉄と直結されていたら、もっと便利になった事でしょう。

札幌市地下鉄の南北線の乗車記はこちらです。


新琴似を過ぎ、当時まだ架線柱が
立っていない区間の様子です。



住宅地が続いていた沿線にも木立が見えています。

新琴似の先で地平区間となり、1987年(昭和62年)に
JRの発足と共に駅となった太平、百合が原駅を過ぎます。


そして到着した篠路駅です。



複線区間の駅ですが、丁度上りの列車がやって来ました。
上下線のホームともに多くの乗客が列車を待っています。

この列車も札幌から郊外に向かっているのですが
各駅で乗車する人が多く、次第に混み合っています。


この篠路駅は、地平を走る区間の駅ですが、
周辺の開発が進み、高架化の計画があるようです。

篠路駅を発車し、新篠路川を渡りました。



住宅地の間を流れるような川ですが
どことなく広い大地を流れる趣がありました。

その後続く直線区間です。



この区間が開業した1934年(平成9年)には
きっとまだ都市化は始まっておらず、
原野に鉄路が伸びていた事でしょう。


拓北を過ぎ、あいの里教育大駅に到着しました。



北海道教育大札幌校の最寄駅で、
1986年(昭和61年)に設けられた新しい駅です。

札沼線は、国鉄末期の時期に、計6駅もの駅を新設し、
列車本数も増やす事で、閑散路線だった札沼線を、
札幌圏内では都市間輸送路線に成長させています。

今では、学園都市線という愛称まで付いています。

あいの里教育大からは単線となりました。
次のあいの里公園を過ぎると、車窓は、
住宅地がなくなり、原野の光景となりました。



やがて立派な堤防が現れ、長い鉄橋を渡りました。



全長1074mの石狩川橋梁です。
JR北海道で最も長い橋梁ということで
とても立派な鉄橋でした。

車窓からの石狩川の眺めです。



まさに大河と言った雰囲気の大きな川でした。
弱い朝日の光に照らされた川面が印象的でした。


石狩川を渡って最初の停車駅・石狩太美です。



単線にはなったものの、列車行き違い設備があり、
上り列車も丁度到着するところでした。

この駅でも、更に乗車客があり、
車内は一層混雑してきました。


石狩川を境に札幌市から当別町となり、
北海道らしい広々とした車窓風景になりました。



次第に、車内の混雑の人いきれなのか、
朝靄が原野を漂っているのか、
霞の中を走るような景色となりました。



やがて、集落が広がり、線路もいくつも
枝分かれし石狩当別に到着しました。
札沼線に入って初めて大きな構内を持つ駅です。

札幌からの列車は、この石狩当別止まりです。



ホーム向かい側には、札沼線の終点・新十津川行きの
一両編成のディーゼル気動車が停車しており、
石狩当別止まりの列車に乗っていた
多くの高校生と一緒に、乗り換えました。


札沼線のTOPに戻る




石狩当別 - 石狩月形
(Ishikari Tobetsu - Ishikari Tsukigata)








石川当別で多くの乗客が、一両編成の気動車に乗り込み、
列車は立ち客で溢れた満員の状態で発車しました。



車窓風景は、満員の車内とは別世界の広大な原野でした。



石狩当別の発車時刻は 7:51 と、8時に近いのですが
雲の間から差し込む冬の陽射しはまだ弱々しいものでした。

石狩当別から5分程で北海道医療大学駅に到着です。



今では、この駅まで電化されています。
この駅で、通勤客が下車し、
車内には高校生が残りました。



列車は、雪が残る平野や
平原を淡々と走って行きます。

石狩金沢を過ぎ、本中小屋に到着しました。



昔、貨物列車の最後尾に連結されていた
車掌車が駅舎の代わりに置かれています。
駅前には空き地が広がるばかりです。

本中小屋を発車し、平原が
広がる景色の中を走りました。

時折、車窓に農家が現れます。



車窓左手には山が見えてきました。



北海道の日本海側、留萌の南側は、
暑寒別岳を中心とした山塊が続いて
いますが、その南端の山々です。

中小屋駅に置かれた錆びついた車掌車です。



この車掌車があるせいで、一層と
寂しさが募る景色になっています。

中小屋から山麓を走るようになりました。



時折、雪の深い丘陵地の間を走ります。

月ヶ岡、知来乙と過ぎると、
再び平地が広がるようになりました。



沿線の人口は少なく、何故ここに
鉄道が通っているのか、と
思わずにはいられない光景です。



熊笹が生い茂る中、細い線路が繋がっています。
やがて久しぶりに集落が現れました。



線路も枝分かれし、石狩月形に到着です。
時刻は8:24です。 久しぶりに駅らしい駅に着きました。



石狩月形に停車中の新十津川行の気動車です。
石狩当別から、ずっと乗り通していた
高校生の一団はここで下車していきました。

石狩当別からここまで所要時間は33分程。
石狩当別で乗り換えている人もいると思うので、
かなりの遠距離通学です。

新十津川行の列車は、この石狩月形で16分程
停車するので、一旦駅舎の外に出てみました。



再び列車に戻ってみると、
車内はもぬけの殻状態で、
他に一人の乗客がいるだけでした。



急に、閑散路線の札沼線の
現実を実感する事になりました。

しばらくすると、上りの石狩当別行の
列車がホームの反対側に入ってきました。



白地に黄緑の帯を巻いた
2両の気動車が爽快な感じです。


札沼線のTOPに戻る




石狩月形 - 新十津川
(Ishikari Tsukigata - Shin Totsukawa)








石狩月形を、ガラガラの状態で発車し、
寂しい雑木林の間を走っていきました。



次の豊ヶ岡駅の様子です。



駅周辺には人家は見当たらず、
赤い屋根の小さな小屋が印象的でした。

豊ヶ岡を過ぎると雪山が見えてきました。



標高1100mのピンネシリ岳に
繋がる山々と思います。

札比内駅に到着しました。



駅にも人影は見当たらず、
列車は淡々と発車していきます。

雪山が、一層雪深く、また山容も険しくなりました。



石狩月形から3駅目の晩生内に着きました。



小さな集落の駅ですが、僅かな数の
乗客うち何人かが下車していきます。


晩生内を出ると、ピンネシリ山へと続く雪山が
朝日を浴びて、白く輝いていました。



札的を過ぎ、石狩月形から25分で
浦臼に到着しました。



ここで更に数人下車してしまいました。
寂しいを通り越し、無人状態の車内の様子です。



確か、他に一名乗っているだけだったと思います。
浦臼からは運転転本数も少なく、一日に僅か3往復しかありません。
9:06に発車するこの列車が、この日の始発列車です。


浦臼を出ると、ピンネシリ山へと続く雪山は
後方へと次第に遠ざかって行ってしまいます。



広大な北海道の車窓風景は、変化に乏しく
同じような光景が何十分も続いたりするのですが
こうした少しばかりの変化が車窓風景の
楽しみになったりします。

進行右手の石狩平野の様子です。
石狩当別を出て以来、石狩平野の
光景は殆ど変化がありません。



石狩川の上流に近づき、平野が
狭くなったせいか対岸の山々が
いつの間にか大きく見えていました。

列車後方を眺めた様子です。



平野の中をまっずぐに線路が続いています。


やがて列車は、新十津川駅に到着しました。



札沼線の終点の駅です。
最後まで残ったもう一人の乗客が下車していきました。

僅かな利用者しかいないと思われる新十津川の駅ですが
意外にも、小ぶりながら立派な駅舎もありました。
新十津川に停車中の札沼線の気動車です。



9:28 に到着した列車は、13分間停留し、
9:41 に石狩当別行として発車していきます。



この9:41 発が、新十津川発の列車の始発列車です。
沿線には高校や職場があるのかどうかわかりませんが、
このダイヤでは、通勤通学の足として利用する事は出来ません。

3km程の東に歩いて行くと、函館本線の滝川駅があり、
札幌への帰路はこちらに向かおうかなと思っていましたが
新十津川から札沼線に乗車するのも、ひょっとすると
これが最後となるかもと思い、10分程の時を過ごし、
同じ列車で戻る事にしました。


新十津川から北を眺めた様子です。



かつては、留萌本線の石狩沼田まで線路が
伸びていましたが、36年ほど前に廃線となり、
駅の外れで線路はぷっつりと途切れていました。



札沼線のTOPに戻る

JR編に戻る


Home
Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない