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JR北海道 / 石勝線
JR Hokkaido / Sekisho Line
石勝線は、南千歳から新得に至る132.4.0kmの路線です。
日高山脈を横切り、釧路や帯広と札幌とを直結する路線で、
JR北海道の路線の中でも主要幹線の一つになっています。
石勝線の南千歳 - 新得間が全通したのは1981年(昭和56年)です。
札幌 - 釧路間の特急「おおぞら」は従来の滝川経由に
比べ43.4kmものショートカットとなり、所要時間も
石勝線開業前の5時間58分から石勝線開業時には
4時間59分と、大幅な時間短縮が図られています。
石勝線はその後、高速化が図られ、最高速度が一時、
130km/hまで引き上げられ、1998年には最速列車の
所要時間が、3時間32分まで短縮されています。
JR北海道では、その後トラブルが相次いだ為、
最高速度も120km/hに抑えられ、所要時間も
最速列車で4時間1分に延びています。
1981年に全通した石勝線ですが、その歴史は古く、
1892年(明治25年)に北海道炭礦鉄道が追分駅 -
夕張駅間を開業させた事に遡ります。
1906年(明治39年)に国有化され夕張線となり、
翌1907年(明治40年)に紅葉山(現:新夕張)から
楓まで支線が開業し、1909年(明治42年)には
旅客営業も開始されています。
この後、1916年(大正5年)には、楓 - 登川間の
三井鉱山専用線が国有化されています。
その後は長い間大きな変化はありませんでしたが、
1966年(昭和41年)に道央と十勝地区を直結する目的で、
南千歳 - 追分、紅葉山(現:新夕張) - 新得間を
短絡する路線の建設が始まっています。
1981年(昭和56年)にその工事が完成し、南千歳 - 新得間
132.4kmの路線が開業し、石勝線と名付けられました。
この時、新夕張 - 夕張間も石勝線という名称になり、
また紅葉山 - 登川間の支線は廃止になっています。
新夕張 - 夕張間の夕張支線は、その後利用客が低迷し、
2019年4月1日に廃止となり、現在に至っています。
夕張線には何度か乗車しましたが、2011年10月に
南千歳 - 夕張間に乗車しています。
その時の様子を紹介します。
新夕張 - 新得
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南千歳 - 追分
Minami Chitose - Oiwake
石勝線の起点は、千歳線の南千歳になります。
2011年10月に石勝線に再乗した際には、札幌発
8:02の「スーパーとかち1号」に乗車しました。
当時、石勝線の特急は最高速度130km/hで運転され、
列車名にも「スーパーあおぞら」や「スーパーとかち」
と、「スーパー」という名前が付いていましたが、
その後最高速度も120km/hに抑えられ、列車名からも
「スーパー」という文字が消えています。
上の写真、右側が「スーパーとかち1号」で
左側は稚内行の「スーパー宗谷」です。
こちらも現在は「宗谷」になっています。
2011年10月に乗車した際には、往路は新夕張まで
「スーパーとかち1号」に乗車し、新夕張から
普通列車で夕張に向かいましたが、復路は
夕張から千歳まで普通列車に乗車しています。
この乗車記では、往復の列車からの様子を
織り交ぜて紹介します。
札幌から南千歳までの千歳線は、新千歳空港に
向かう快速列車や、函館方面や釧路方面への
特急列車が頻繁に走るJR北海道でも有数の
幹線で、沿線の人口も多い地域を走ります。
千歳線の乗車記はこちらです。
下の写真は、夕張からの普通列車が
南千歳に到着した際の様子です。
南千歳は、千歳線と新千歳空港への支線、
そして石勝線が分岐する要衝の駅です。
南千歳を発車すると、石勝線の列車は
千歳線の上下線の間を南に向かいます。
石勝線の右手の新千歳空港への支線は
南千歳を出ると地下へと潜っていきました。
石勝線は単線となり、しばらく千歳線に
並走しますが、やがて千歳線の上り線を
アンダークロスして左にカーブを切りました。
千歳線から分かれると、広々とした原野の
中をほぼ真っすぐに線路が続いています。
牧草地の景色の中、信号場を通過しました。
南千歳 - 追分間17.6kmには途中駅はあり
ませんが、この間に2つの信号場があります。
この信号場は、駒里信号場です。
駒里信号場を過ぎ、牧草地と原野が
広がる北海道らしい景色が続きます。
沿線の人口密度は低く、時折農家が
現れるだけで、集落は見当たりません。
しばらくこの景色が続き、やがて
二つ目の西早来信号場になります。
帰路、夕張からの普通列車は、西早来信号場で
下りの特急「スーパーとかち3号」の
通過待ちをしました。
西早来信号場からも雄大な景色が続きました。
石勝線の線路が高架となり、室蘭本線の
複線の線路をオーバークロスしました。
しばらく室蘭本線の線路と並走し、
追分駅の構内へと入りました。
室蘭本線の乗車記はこちらです。
未電化区間で、三本もの線路が並走する
様子もなかなか見られない光景です。
南千歳から17.6km、当時のダイヤで特急列車で
11分、普通列車で17分程での到着です。
追分は、室蘭本線と石勝線との接続駅で、
追分という駅名も、その分岐点になる
事から名付けられたそうです。
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追分 - 新夕張
Oiwake - Shin Yubari
石勝線の起点、南千歳から牧草地の中を東に進み、
室蘭本線との接続駅・追分に到着した列車は、
室蘭本線と分かれ、更に東へと進んでいきます。
千歳線の乗車記はこちらです。
上の写真は、夕張から千歳に向かう
上り列車の最後尾から撮ったものです。
追分駅の駅舎側の1番ホームを発車した列車は、
2番ホームとの間の中線に合流すると、右に
緩やかなカーブを描き、その先で分岐します。
室蘭本線と別れると、沿線は再び牧草地となりました。
広大な牧草地に放牧された牛を眺める事が出来ました。
如何にも北海道らしい車窓風景です。
牧草地を眺めるうちに、東追分駅を通過しました。
写真は、上りの普通列車から撮ったものです。
2011年10月に乗車した際は、駅として
乗降出来ましたが、利用客が少ない為に
2016年3月に信号場に格下げになっています。
東追分からも直線の線路が続きます。
久しぶりに集落が現れました。
数軒の農家が集まっているだけですが、
原野や牧草地の景色が続くと、
こうした光景でも人の営みを感じ、
賑やかな場所と思えてきます。
集落の先に川端駅がありました。
川端駅も乗降客は一日当たり10人以下です。
駅構内に客車が留置され、「UNITOPIA川端
という観光施設もありましたが、今では
営業を行っていないようです。
川端駅は、夕張川の近くにあります。
川端からは蛇行する夕張川に沿って走り、
何度か、その夕張川を渡りました。
夕張川は夕張山地の鉢盛山を水源として、
Uの字を描く様に、南から西に流れ、
川端駅辺りで北に向きを変え、石狩川に
流れ込む延長136kmの一級河川です。
乗車した10月には、車窓に黄葉した
木々が見えていました。
川端駅の次の滝ノ上駅の様子です。
帰路に乗車した普通列車での様子です。
滝ノ上駅も乗降客は1日6人と
極めて少ない人数になっています。
人家の少ない山間は、冷え込んだ影響か
朝霧がたちこめ、幻想的な景色でした。
上の写真は、かつての十三里駅近くの様子です。
十三里駅も東追分と同じ2016年3月に廃止となり、
信号場に格下げとなっています。
朝霧を眺めるうち、新夕張に到着しました。
札幌から87.0km、乗車した2011年10月の
ダイヤでは所要時間56分での到着でした。
朝霧に包まれた新夕張駅です。
2011年当時は、この新夕張から
夕張までの枝線が走っていました。
特急「スーパーとかち1号」に接続する
9:03発夕張行きの普通列車に乗り継ぎました。
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新夕張 - 夕張
Shin Yubari - Yubari
2011年10月、札幌からの特急「スーパーとかち1号」を
新夕張で下車し、夕張行の普通列車に乗り換えました。
1両編成のディーゼルカーが4番線に停車していて、
僅かばかりの乗客が「スーパーとかち1号」から
乗り換えて、発車していきました。
新夕張から新得へと向かう石勝線の線路を眺め、
夕張行の列車は、やがて左に分かれて行きました。
新得方面の線路と別れてすぐに
夕張川を渡りました。
川の下流側に立派な高架橋が見えています。
しばらく走ると、沼ノ沢駅に到着しました。
単線の線路に片面ホームがあるだけの簡素な
駅でしたが、かつては東部の真谷地地区へ
北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道の
線路が伸びていたそうです。
沼ノ沢を発車すると、珍しく田圃が車窓から見えました。
そしてまとまった集落も現れました。
次の南清水沢駅に到着しました。
南清水沢駅も片面ホームの単純な構造でした。
南清水沢周辺には、夕張南高校が移転した後、
中学校や小学校も駅周辺に移転し、この周辺に
夕張市の都市機能を集積させているようです。
南清水沢を発車すると、谷間を朝霧が
埋める光景を眺める事が出来ました。
線路脇に空き地が広がり、
次の清水沢に到着しました。
清水沢は三菱石炭鉱業大夕張鉄道線との接続駅で
南大夕張炭鉱で採掘された石炭を運ぶ貨物列車が
この清水沢に集積していたようです。
清水沢駅に停車中の夕張行ディーゼル列車の様子です。
ホームと駅舎のとの間はかなりの距離があります。
かつては側線が何本も並んでいた事でしょう。
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線は、清水沢から
大夕張炭山駅までの17.2kmの路線でした。
旅客列車も運行されていましたが、
1987年に廃止になっています。
清水沢からは、山間を走るようになり、
車窓には時折、紅葉を見ることが出来ました。
一瞬、車窓が黄金色に染まる程、
綺麗に色づいた木々もありました。
紅葉の景色を眺めるうち、人家が現れてきました。
進行右手には、線路に沿って空き地が続いています。
列車は鹿ノ谷に到着しました。
鹿ノ谷は、かつて夕張本町と函館本線の
野幌を結ぶ夕張鉄道との接続駅でした。
夕張鉄道は、53.2kmの鉄道路線を有していました。
夕張と石狩平野の間には標高300mを越える山地が
横たわっていますが、その山をスイッチバックで
越え、札幌と夕張との間を直結する鉄道路線でした。
夕張鉄道の路線図を調べてみると、鹿ノ谷の2km
程手前から、夕張支線と並走していたようです。
夕張からの帰路は、この鹿ノ谷から
千歳行きの列車に乗車しました。
上左の写真は、鹿ノ谷駅に架かる跨線橋から、
夕張駅に向かう下り列車を眺めた様子です。
かつて、夕張鉄道の線路や、貨物列車用の
線路が何本も並んでいた駅構内は、すっかり
雑草で覆われてしまっていました。
鹿ノ谷を発車した際の車内の様子です。
乗客は僅か数名で、厳しい状況が伺えます。
鹿ノ谷を出ると、家々も増え、
高層アパートも現れるようになりました。
やがて列車は終着の夕張に到着しました。
新夕張から16.1km、26分での到着です。
新夕張駅の瀟洒な駅舎の脇には立派な
リゾートホテルが建っていました。
夕張駅はかつて石炭積み出しに便の良い、
石炭博物館周辺にありましたが、石炭輸送が
終了した後に、市街の中心部近くに移転し、
その後更に、手前の場所に移転しています。
新夕張からの夕張支線の利用者は少なく、
夕張駅の乗車客数も1998年のデータで、
僅か一日62人でした。
2019年4月1日に夕張支線は廃止されました。
夕張で下車した後に夕張の街中を散策しました。
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