夕張は、北海道のほぼ中央に位置し、
石炭産業が最盛期を迎えた1960年には
夕張の人口は1960年以降減少し続け、
著しい高齢化によって人口減は収まらず、
石炭産業の衰退に伴い、夕張市は観光業へシフト
かつて、夕張の石炭を輸送する為に、夕張には
その夕張鉄道は1975年に廃止となり、最後まで残った
夕張へは2011年10月に訪れました。
終点の夕張に到着し、駅舎を眺めた様子です。
この夕張駅は三代目で、元々は石炭輸送の為、
人口減に苦しみ、財政難が伝えられた夕張の現状を
谷を越えると、高台にある夕張市の中心街の手前に、
遠くに見える白いビルが、夕張駅前の
坂道を上ったところが平地となり、
上写真の建物は、夕張市民会館でした。
ここは夕張鉄道の夕張本町駅だったところで、
夕張市民会館の先にある夕張市役所の建物です。
この辺りは夕張市の中心街で、道路も整備されていました。
この先の住宅にも映画の看板が掲げられていました。
集落が続く中、急に渓谷が現れました。
街の中心街の中を流れる川とは思えない、
渓谷を渡り、再び市街地が続きました。
上の家には映画「Shane」の看板が掲げられていました。
こちらは「ローマの休日」です。
夕張では町おこしの為、1990年から
それにちなんで、日本各地で上映された
こうした街並みは「キネマ街道」と呼ばれ
この先には寂れた飲み屋街がありました。
この辺りは、かつては石炭の積出拠点だった
飲み屋街を抜けると、広大な空き地が現れました。
この空き地が、初代夕張駅跡です。
当時の面影は残っていませんが、この近くには
かつては民間企業が経営していましたが、
この西側の山肌に夕張神社がありました。
夕張神社は、1889年(明治22年)に、北海道炭礦鉄道が
夕張の市街地を散策した後、夕張駅を10:50に
2011年当時、夕張市街から清水沢方面への
夕張駅前から12、3分程乗車しバスを下りました。
バスを下り、石勝線の線路を渡ります。
石勝線の線路の右手の空き地が当時の
踏切を渡ると、なだらかな丘陵地に
バスを降りて10分程歩くと、
手前に瀟洒な洋風の家がありました。
ここは、映画「幸せの黄色いハンカチ」で、
ロケで使用された炭鉱長屋が展示室になっています。
映画で使われた「ファミリア」が展示されていました。
その隣では映画のシーンがマネキンで再現されています。
映画のポスターです。
映画のシーンのパネルもありました。
当初、この想い出の広場に来た際には、上右の写真に
しかし、よくよく見てみると、望遠レンズで
島光江が、島勇作の帰りを待ちわびて
夕張
Yubari in Hokkaido
かつては石狩炭田の中心地として
栄えた街です。
人口も11万人を超えていました。
その後、エネルギー革命による石油への
シフトによって、石炭産業は衰退し、
1990年には南夕張炭鉱が閉山しています。
2015年には8,845人まで減少しています。
2010年から2015年にかけての人口減少率は
19%にも及び、東日本大震災の被害地を除き
全国でワースト6位、市としては全国で
最も低下率が大きくなっています。
しますが、ヤミ起債問題が生じ、財政破綻となり、
2006年に財政再建団体に指定されています。
多くの鉄道路線が敷かれ、旧国鉄夕張線以外にも
夕張と函館本線の野幌を結ぶ夕張鉄道も走っていました。
石勝線の新夕張 - 夕張間も2019年4月1日に廃止となり、
夕張は陸の孤島になってしまいました。
ゆうばりキネマ街道
札幌に出張の機会があり、その際に
廃線が噂されていた新夕張から夕張
への石勝線夕張支線に乗車する為です。
撮影: 2011年10月
駅は立派なリゾートホテルの前にあり、
瀟洒な駅舎も建っていました。
夕張の市街地を抜けた2.1km程先にありました。
知ろうと、夕張駅から元の夕張駅跡まで歩いてみました。
歩行者用の坂道を歩いて行ったのですが、両脇には
廃屋が並び、胸を痛めるような光景でした。
撮影: 2011年10月
リゾートホテルになります。
夕張の市街地が広がっていました。
撮影: 2011年10月
市民会館の建物は、耐震基準に達しておらず、
補強が必要でしたが、その費用がなく、
2015年に閉鎖になっているそうです。
旧国鉄の二代目夕張駅もこの左手にありました。
撮影: 2011年10月
上の写真右の住宅は、家の壁に映画の看板が掲げられています。
撮影: 2011年10月
撮影: 2011年10月
紅葉の綺麗な渓谷でした。
家々の壁に、映画の看板が貼られています。
撮影: 2011年10月
あまり、映画は見ないのですが、この「Shane」は
自分のニックネームにもなっている事もあって
何度か観ています。
撮影: 2011年10月
毎年映画祭が行われてきたそうです。
映画の看板を復活し、現在では90枚程が
街中に掲げられているそうです。
撮影: 2011年10月
夕張の街おこしの一環を担っています。
撮影: 2011年10月
旧夕張駅に近く、往時はこの通りも
賑わっていた事でしょう。
撮影: 2011年10月
かつては数多くの線路が敷かれ、石炭を
積みだす貨物列車が行きかっていた事と思います。
石炭の歴史村というテーマパークが建てられています。
今は夕張市が直営で営業しています。
鳥居を抜け、石段を上った山の中腹に
ある夕張神社の社殿です(下右写真)。
撮影: 2011年10月
北炭夕張炭鉱の鎮守として創建した神祠が発祥です。
1902年(明治35年)に現在地に移築され、現在の社殿は
1923年(大正12年)に再建されたものです。
発車する夕張鉄道バスに乗車しました。
撮影: 2011年10月
循環バスが1時間に1本程走っていました。
下車したバス停は覚えていないのですが、調べてみると
今は、「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば入口」
というバス停があるようです。
撮影: 2011年10月
この区間は、1971年(昭和46年)までは
石勝線(当時の国鉄夕張線)に並走して、
夕張鉄道の線路が併設されていました。
撮影: 2011年10月
夕張鉄道の廃線跡だと思います。
夕張を訪れた際に利用した石勝線の
新夕張 - 夕張間も2019年(平成31年)
4月1日に廃線になっています。
向かって道が伸びていました。
「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」に着きました。
撮影: 2011年10月
この奥に五軒長屋の炭鉱住宅が残されています。
撮影: 2011年10月
倍賞美津子さん演じる島光枝が、殺人事件の
服役を終えた高倉健さん演じる島勇作を、
黄色いハンカチを掲げて出迎えた
ラストシーンのロケ地です。
撮影: 2011年10月
部屋の中は、訪問者のメッセージが書かれた黄色い紙が
壁や天井一面に貼られ、黄色く輝くようでした。
多くの方の想い出が残る一角です。
撮影: 2011年10月
島勇作に食事を運ぶ島光江の様子です。
二人の新婚時代と思います。
撮影: 2011年10月
島勇作を演じた高倉健さんも2014年に亡くなられ
この映画も想い出の中だけで生き続けています。
撮影: 2011年10月
左は、新婚当時、病院からの帰りの様子と思います。
そして、右がこの場所で撮影されたラストシーンです。
撮影: 2011年10月
写っている背景の山がなく、ロケ地と別の場所に
この想い出広場が設けられたと思っていました。
撮影: 2011年10月
撮影すると、通路の向こうの山が、丁度
ポスターに写っている山になるようです。
掲げていた黄色いハンカチが、
今も風にたなびいています。