夕張
Yubari in Hokkaido


夕張は、北海道のほぼ中央に位置し、
かつては石狩炭田の中心地として
栄えた街です。

石炭産業が最盛期を迎えた1960年には
人口も11万人を超えていました。
その後、エネルギー革命による石油への
シフトによって、石炭産業は衰退し、
1990年には南夕張炭鉱が閉山しています。

夕張の人口は1960年以降減少し続け、
2015年には8,845人まで減少しています。

著しい高齢化によって人口減は収まらず、
2010年から2015年にかけての人口減少率は
19%にも及び、東日本大震災の被害地を除き
全国でワースト6位、市としては全国で
最も低下率が大きくなっています。

石炭産業の衰退に伴い、夕張市は観光業へシフト
しますが、ヤミ起債問題が生じ、財政破綻となり、
2006年に財政再建団体に指定されています。

かつて、夕張の石炭を輸送する為に、夕張には
多くの鉄道路線が敷かれ、旧国鉄夕張線以外にも
夕張と函館本線の野幌を結ぶ夕張鉄道も走っていました。

その夕張鉄道は1975年に廃止となり、最後まで残った
石勝線の新夕張 - 夕張間も2019年4月1日に廃止となり、
夕張は陸の孤島になってしまいました。

石勝線の新夕張 - 夕張間の乗車記は こちらです。


ゆうばりキネマ街道
(Yubari Cinema Street)
Dec. 21, '21


「幸せの黄色いハンカチ」想い出広場
(Memorial Park of "Yellow Handkerchief")
NEW ! Dec. 26, '21

北海道のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る

ゆうばりキネマ街道

夕張へは2011年10月に訪れました。
札幌に出張の機会があり、その際に
廃線が噂されていた新夕張から夕張
への石勝線夕張支線に乗車する為です。


撮影: 2011年10月

終点の夕張に到着し、駅舎を眺めた様子です。
駅は立派なリゾートホテルの前にあり、
瀟洒な駅舎も建っていました。

石勝線の乗車記はこちらです。

この夕張駅は三代目で、元々は石炭輸送の為、
夕張の市街地を抜けた2.1km程先にありました。

人口減に苦しみ、財政難が伝えられた夕張の現状を
知ろうと、夕張駅から元の夕張駅跡まで歩いてみました。

谷を越えると、高台にある夕張市の中心街の手前に、
歩行者用の坂道を歩いて行ったのですが、両脇には
廃屋が並び、胸を痛めるような光景でした。


撮影: 2011年10月

遠くに見える白いビルが、夕張駅前の
リゾートホテルになります。

坂道を上ったところが平地となり、
夕張の市街地が広がっていました。


撮影: 2011年10月

上写真の建物は、夕張市民会館でした。
市民会館の建物は、耐震基準に達しておらず、
補強が必要でしたが、その費用がなく、
2015年に閉鎖になっているそうです。

ここは夕張鉄道の夕張本町駅だったところで、
旧国鉄の二代目夕張駅もこの左手にありました。

夕張市民会館の先にある夕張市役所の建物です。


撮影: 2011年10月

この辺りは夕張市の中心街で、道路も整備されていました。
上の写真右の住宅は、家の壁に映画の看板が掲げられています。

この先の住宅にも映画の看板が掲げられていました。


撮影: 2011年10月

集落が続く中、急に渓谷が現れました。


撮影: 2011年10月

街の中心街の中を流れる川とは思えない、
紅葉の綺麗な渓谷でした。

渓谷を渡り、再び市街地が続きました。
家々の壁に、映画の看板が貼られています。


撮影: 2011年10月

上の家には映画「Shane」の看板が掲げられていました。
あまり、映画は見ないのですが、この「Shane」は
自分のニックネームにもなっている事もあって
何度か観ています。

こちらは「ローマの休日」です。


撮影: 2011年10月

夕張では町おこしの為、1990年から
毎年映画祭が行われてきたそうです。

それにちなんで、日本各地で上映された
映画の看板を復活し、現在では90枚程が
街中に掲げられているそうです。


撮影: 2011年10月

こうした街並みは「キネマ街道」と呼ばれ
夕張の街おこしの一環を担っています。

この先には寂れた飲み屋街がありました。


撮影: 2011年10月

この辺りは、かつては石炭の積出拠点だった
旧夕張駅に近く、往時はこの通りも
賑わっていた事でしょう。

飲み屋街を抜けると、広大な空き地が現れました。


撮影: 2011年10月

この空き地が、初代夕張駅跡です。
かつては数多くの線路が敷かれ、石炭を
積みだす貨物列車が行きかっていた事と思います。

当時の面影は残っていませんが、この近くには
石炭の歴史村というテーマパークが建てられています。

かつては民間企業が経営していましたが、
今は夕張市が直営で営業しています。

この西側の山肌に夕張神社がありました。
鳥居を抜け、石段を上った山の中腹に
ある夕張神社の社殿です(下右写真)。


撮影: 2011年10月

夕張神社は、1889年(明治22年)に、北海道炭礦鉄道が
北炭夕張炭鉱の鎮守として創建した神祠が発祥です。
1902年(明治35年)に現在地に移築され、現在の社殿は
1923年(大正12年)に再建されたものです。

夕張のページのTopに戻る

「幸せの黄色いハンカチ」想い出広場

夕張の市街地を散策した後、夕張駅を10:50に
発車する夕張鉄道バスに乗車しました。


撮影: 2011年10月

2011年当時、夕張市街から清水沢方面への
循環バスが1時間に1本程走っていました。

夕張駅前から12、3分程乗車しバスを下りました。
下車したバス停は覚えていないのですが、調べてみると
今は、「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば入口」
というバス停があるようです。


撮影: 2011年10月

バスを下り、石勝線の線路を渡ります。
この区間は、1971年(昭和46年)までは
石勝線(当時の国鉄夕張線)に並走して、
夕張鉄道の線路が併設されていました。

この区間の石勝線の乗車記はこちらです。


撮影: 2011年10月

石勝線の線路の右手の空き地が当時の
夕張鉄道の廃線跡だと思います。
夕張を訪れた際に利用した石勝線の
新夕張 - 夕張間も2019年(平成31年)
4月1日に廃線になっています。

踏切を渡ると、なだらかな丘陵地に
向かって道が伸びていました。

バスを降りて10分程歩くと、
「幸せの黄色いハンカチ想い出ひろば」に着きました。


撮影: 2011年10月

手前に瀟洒な洋風の家がありました。
この奥に五軒長屋の炭鉱住宅が残されています。


撮影: 2011年10月

ここは、映画「幸せの黄色いハンカチ」で、
倍賞美津子さん演じる島光枝が、殺人事件の
服役を終えた高倉健さん演じる島勇作を、
黄色いハンカチを掲げて出迎えた
ラストシーンのロケ地です。

ロケで使用された炭鉱長屋が展示室になっています。


撮影: 2011年10月

映画で使われた「ファミリア」が展示されていました。
部屋の中は、訪問者のメッセージが書かれた黄色い紙が
壁や天井一面に貼られ、黄色く輝くようでした。
多くの方の想い出が残る一角です。


撮影: 2011年10月

その隣では映画のシーンがマネキンで再現されています。
島勇作に食事を運ぶ島光江の様子です。
二人の新婚時代と思います。


撮影: 2011年10月

映画のポスターです。
島勇作を演じた高倉健さんも2014年に亡くなられ
この映画も想い出の中だけで生き続けています。


撮影: 2011年10月

映画のシーンのパネルもありました。
左は、新婚当時、病院からの帰りの様子と思います。
そして、右がこの場所で撮影されたラストシーンです。


撮影: 2011年10月

当初、この想い出の広場に来た際には、上右の写真に
写っている背景の山がなく、ロケ地と別の場所に
この想い出広場が設けられたと思っていました。


撮影: 2011年10月

しかし、よくよく見てみると、望遠レンズで
撮影すると、通路の向こうの山が、丁度
ポスターに写っている山になるようです。

島光江が、島勇作の帰りを待ちわびて
掲げていた黄色いハンカチが、
今も風にたなびいています。


撮影: 2011年10月

「幸せの黄色いハンカチ」は、好きな
映画でしたが、この想い出広場を訪れて、
心に残る想い出の映画となりました。

この「幸せの黄色いハンカチ想い出広場」は
2017年にリニューアルされ、現在では
カフェも併設されているようです。

夕張のページのTopに戻る

北海道のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る