|
|
|
JR九州 / 指宿枕崎線
JR Kyushu / Ibusuki-makurazaki Line
指宿枕崎線は鹿児島中央駅を基点に、錦江湾に沿って南下し、
指宿から薩摩半島の南端を西に向かい、枕崎に至る路線です。
営業キロは87.8kmです。
指宿枕崎線は1930年12月に西鹿児島(現・鹿児島中央)と
五位野の間が開業し、1934年までに指宿まで開業しています。
その後、1936年までに山川まで、1960年に西頴娃まで延長開業し、
終点枕崎まで開業したのは、1963年10月の事でした。
鹿児島中央から山川までの区間は、鹿児島近郊の
通勤・通学輸送もあり、また有名観光地の指宿まで
観光用の特急列車も走っていますが、山川から先は
極端に少なく枕崎までの列車は一日僅か6本です。
朝の列車の次は午後1時過ぎまで列車が走っておらず
廃止も取りざたされています。
指宿枕崎線に2011年5月に約30年ぶりに乗りました。
そ際の様子を紹介します。
指宿枕崎線のTOPに戻る
|
|
|
鹿児島中央 - 指宿
Kagoshima Chuoh - Ibusuki
指宿枕崎線の起点は鹿児島中央駅です。
2004年の九州新幹線開業に伴い
駅舎が建て直されています。
2013年には新しい駅舎の特徴だった大階段が
取り壊され、新しい複合施設が建てられた様です。
久しぶりの指宿枕崎線の旅は、2011年5月1日、
鹿児島中央駅、12:00発の枕崎行の列車でした。
九州新幹線から在来線のホームに向かうと、丁度、
特急「指宿のたまて箱」が到着したところでした。
特急「指宿のたまて箱」は2011年3月12日の
ダイヤ改正から走り出した観光列車です。
この日は東日本大震災の津波警報が出ていた為、
実際に走り出したのは、翌13日からです。
ホームには多くの乗客が指宿枕崎線の列車の
到着を待っていて、2両編成の列車が到着すると、
乗客が乗り込みますが、立客が出る程でした。
枕崎行きの普通列車は、鹿児島中央を出て
車両基地の脇を通って行きます。
この辺りで鹿児島本線の線路と分岐しています。
この先からは市街地となります。
ビルで視界が遮られ、なかなか車窓風景を撮れず、
郡元を過ぎ、路面電車の線路と並走しだした
ところで、南鹿児島に到着しました。
南鹿児島からもしばらく路面電車と並走します。
この路面電車は、鹿児島市交通局の軌道線です。
鹿児島市交通局軌道線の乗車記はこちらです。
宇宿駅を過ぎ、谷山駅に到着しました。
谷山は鹿児島市南部の拠点駅で、
1日に5,000人程の利用客がいます。
鹿児島市交通局の路面電車の終点駅もありますが、
永田川を隔てて、500m程離れた位置にあり、
乗り換えには少々不便です。
谷山を発車した直後の車内の様子です。
谷山までは、郊外に向かう人やクラブ活動の一団が
乗車して来て鹿児島中央を発車した時よりも
車内は混雑していました。
谷山を過ぎると、鹿児島市内を回り込むように走り、
市街地の向こうに桜島が見えてきました。
慈眼寺、坂之上と過ぎ、
五位野に停車した際の様子です。
この辺りからは、三々五々、
家路に就く人が下車していきます。
五位野の次の平川を出ると、列車は
錦江湾に沿って走るようになりました。
乗車した日は鈍よりとした曇り空で
海の色が冴えませんが、海岸に沿って走る
この区間は風光明媚な車窓風景が楽しめます。
瀬々串駅は、いかにも海沿いという駅名です。
瀬々串からも海岸線に沿って走ります。
進行方向に岬の様に伸びている土地があったのですが、
近づいてみると、喜入の石油備蓄基地でした。
錦江湾に突き出た埋立て地に
石油タンクが所狭しと並んでいます。
ここには、日本全で消費される石油の
二週間分が蓄えられているそうです。
喜入駅に到着した際の様子です。
喜入駅は一日の利用客が約1,300人。
業務委託駅で、駅員さんのいる数少ない駅です。
喜入からも錦江湾に沿って走ります。
曇った空が恨めしいですが、並走する国道に
沿ってヤシの並木が続き、南国の趣です。
生見駅を過ぎると、指宿枕崎線の列車は
勾配を上り、海岸沿いまで迫り出した
山肌の中腹を走るようになります。
この先で、港を見下ろすようにして
勾配を下っていきました。
この集落が薩摩今和泉です。
今和泉は、幕末に将軍・家定に嫁いだ
天璋院篤姫が幼少期を過ごしたゆかりの地です。
枕崎からの帰りに、この今和泉に立ち寄り、
篤姫ゆかりの地を訪れました。
今和泉まで来ると、指宿ももうすぐです。
一つ手前の二月田駅に到着しました。
2011年に乗車した際には、駅員さんがいましたが
2015年に無人化されてしまっています。
そして、指宿に到着しました。
鹿児島中央から45.7km、1時間16分かけて到着しました。
有名な指宿温泉の最寄りで、指宿枕崎線の中核となる駅です。
1日三往復走る特急「指宿のたまて箱」の起点・終点と
なっていますが、一日の利用客は1,400人程です。
枕崎に向かう際は途中下車せずに乗り通しましたが、
その帰路には途中下車しました。
駅前の様子は観光地の雰囲気が漂い、
観光客様に足湯も造られていました。
指宿枕崎線のTOPに戻る
指宿 - 枕崎
(Ibusuki - Makurazaki)
鹿児島中央からの列車は、指宿を発車し、
枕崎を目指しました。
指宿からは列車は空くばかりと思っていた
のですが、ここから乗車する人もいました。
指宿の温泉街の脇を抜けると、列車は
高台から海を見下ろして走りました。
思いがけず雄大な眺めを楽しみ、
次の山川に到着しました。
山川は枕崎へ向かう列車の最後の有人駅です。
指宿枕崎線の列車本数は、この山川で
1/3 ほどに減ってしまいます。
大勢の乗客がこの山川で下車したのですが、
若い女性駅員さんが笑顔で乗客を出迎えて
いたのが、印象出来でした。
山川を過ぎると、列車は西へ方向を変えます。
周囲は畑が広がるのどかな景色です。
遠くに尖ったピークを持つ小高い丘も見えてきました。
この山の形に目を奪われていると、今度は
進行方向に、円錐形の山が見えてきました。
この円錐形の山が開聞岳です。
この日はあいにく曇っていたので、頂上近くは
雲に隠れ、その綺麗な姿を見る事は出来ませんでした。
やがて列車は西大山に到着しました。
ジャガイモ畑の向こうに開聞岳を眺めるこの駅は
日本最南端の駅として知られています。
実際には、那覇を走る「ゆいレール」の赤嶺駅が
日本最南端の駅ですが、「ゆいレール」が開業する
2003年までは正真正銘の最南端駅でした。
いまでも、JRとして、あるいは普通鉄道としては
最南端駅になっています。
ゆいレールの乗車記はこちらです。
開聞岳を過ぎると、一面に畑が広がる景色を走りました。
地図で見るとこの辺りは、南東に突き出た薩摩半島の
先端部分の海岸線に沿って、指宿枕崎線の線路は、
大きく迂回しているように走っています。
鹿児島中央から枕崎までの、この迂回した線形の為、
指宿枕崎線の列車は、2時間半ほどかかりますが、
バスは、1時間半程で両都市を結んでおり、これが
山川以遠の乗客数が極端に少ない要因の一つと思います。
西大山から20分程で西頴娃に到着しました。
ここでは、上り・下り列車の列車交換が行われます。
鹿児島中央を発車してから既に2時間近く経ち、
車内の空気も淀んだ感じで、ぼんやりと
車窓風景に目をやる事が多くなっています。
そんな中、上り列車との交換のシーンは
久しぶりに胸の躍る光景でした。
西頴娃を過ぎると、再びのどかな田園風景が続きます。
鹿児島県南部は太古の頃から大きな火山の噴火が
続き、火山灰が降り積もった地形になっています。
東シナ海に向かって緩やかな斜面になっており、
時折、その斜面を切り裂くように小さな川が
渓谷を作って流れています。
石垣駅の手前でも、そのような地形がありました。
こうした川が台地を切り裂く光景と
のどかな田園風景の景色が交互に現れます。
遠くに、開聞岳も見えていました。
下の写真は松ケ浦 - 薩摩塩屋間での様子です。
原野を流れるような川の光景です。
こうした、人の手が入っていないかのような
車窓風景も何度か目にしました。
このあたりの車内の様子です。
鹿児島市内を走っている際には立客もいた車内も
山川で多くが下車していきましたが、それでも
各ボックスには1人は居て、それほど
閑散とした印象はありませんでした。
白沢駅に停車中の様子です。
駅名標が読めない程に薄くなっているのが
寂しさが募ります。
畑の向こうに東シナ海が見えています。
指宿枕崎線は、山川以西は、海岸から
1km程離れたところを通り、海を間近に
見られる区間はありませんでした。
白沢の次が薩摩板敷、その次は終点の枕崎です。
長かった指宿枕崎線の旅もいよいよ
終わりに近づいてきました。
薩摩板敷を出て、緩い勾配を上り、再び下り坂と
なって、枕崎の町並みを回り込むように走ります。
こうして、鹿児島中央から枕崎まで
87.8kmを2時間半かけて到着しました。
車内では気が付きませんでしたが、
鉄道ファンの姿も見かけました。
この枕崎の駅に降り立ったのは2度目ですが、
前回は、枕崎から伊集院に向かう鹿児島交通が
健在で、枕崎駅は鹿児島交通の駅舎でした。
1984年に鹿児島交通の路線が廃線となり、
2006年には、枕崎駅の位置は100m程、
指宿寄りに移動しています。
ホームの先にドラッグストアがあり、
その壁に鹿児島交通時代の、懐かしい
枕崎駅の写真が掲げられていました。
JR枕崎駅から少し離れたところには
観光案内所がありました。
この辺りが以前の枕崎駅の位置と思います。
枕崎の散策記はこちらです。
指宿枕崎線のTOPに戻る
特急「指宿のたまて箱」
Ltd. Express "Ibushiki-no-Tamatebako"
「指宿のたまて箱」はJR九州が2011年3月13日から
指宿枕崎線で運行を開始した観光列車です。
2011年5月1日、この日は午前中に知覧城、
午後に薩摩今和泉を訪れた後に
指宿駅に戻りました。
知覧城の登城記はこちらです。
「指宿のたまて箱」の運行区間は
鹿児島中央 - 指宿間です。
この時は指宿から乗車しました。
JR九州は多くの路線で観光列車を運行していて
車両もデザインが優れ、他のJRとは一線を画しています。
「指宿のたまて箱6号」が入線してきました。
この「指宿のたまて箱」の車両は、旧型の
普通列車用の気動車を改造したものです。
真ん中から半分が白、半分が黒という
斬新な塗色になっています。
「指宿たまて箱」の車内の様子です。
車内にはふんだんに木が使われています。
指宿枕崎線の鹿児島中央 - 指宿間は
東側に錦江湾の景色が続きます。
そちら側には窓に向かってテーブルと
椅子が並んでいます。
その反対側には本棚があり、ソファーの
ような椅子が置かれていました。
今までの鉄道車両ではなかったような
椅子の配置です。
「指宿のたまて箱6号」は15:06、定刻に発車しました。
運行開始から2か月後の事で、GWという事もあり、
全席座席が売り切れていました。
発車して錦江湾の景色を見ながら走ります。
この先で、「指宿のたまて箱号」に乗る前に
訪れた薩摩今和泉の駅に運転停車しました。
下りの普通列車と交換しました。
薩摩今和泉を発車すると、今和泉島津家の屋敷の
あった今和泉小学校の近くを走っていきました。
薩摩今和泉の散策記はこちらです。
この先で錦江湾に沿って走りました。
沿線のヤシの木が南国の雰囲気を醸し出します。
この日もどんよりとした天気で、車窓風景は冴えませんが
晴れていたら明るい南国の海が広がる絶景と思います。
車内では愛する人への手紙を読み上げる
イベントもあり、華やいだ雰囲気です。
「指宿のたまて箱」のエンブレムが
車両の壁に掲げられていました。
こちらは車名になっているたまて箱です。
こうした演出も列車の人気を高めている
理由の一つでしょうか。
ちなみに、車名になっている「たまて箱」は、
浦島太郎が薩摩半島先端にある長崎鼻から
竜宮城に向かったという伝説から付けられたそうです。
錦江湾の景色が終わり、鹿児島の
市街地が車窓に広がってきました。
指宿から54分の乗車時間で鹿児島中央に到着です。
駅についてホームに降り立つと、
列車からミスとが噴き出していました。
列車全体が浦島太郎が開けた玉手箱
という設定になっているようです。
まるで行楽地の指宿から戻り、現実社会に
戻ったという事を実感したようにも思います。
指宿枕崎線のTOPに戻る
JR編に戻る
|
|
|