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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

JR九州 / 指宿枕崎線
JR Kyushu / Ibusuki-makurazaki Line

指宿枕崎線は鹿児島中央駅を基点に、錦江湾に沿って南下し、
指宿から薩摩半島の南端を西に向かい、枕崎に至る路線です。

営業キロは87.8kmです。

指宿枕崎線は1930年12月に西鹿児島(現・鹿児島中央)と
五位野の間が開業し、1934年までに指宿まで開業しています。

その後、1936年までに山川まで、1960年に西頴娃まで延長開業し、
終点枕崎まで開業したのは、1963年10月の事でした。

鹿児島中央から山川までの区間は、鹿児島近郊の
通勤・通学輸送もあり、また有名観光地の指宿まで
観光用の特急列車も走っていますが、山川から先は
極端に少なく枕崎までの列車は一日僅か6本です。

朝の列車の次は午後1時過ぎまで列車が走っておらず
廃止も取りざたされています。

指宿枕崎線に2011年5月に約30年ぶりに乗りました。
そ際の様子を紹介します。

鹿児島中央 - 指宿
Kagoshima Chuoh - Ibusuki
Jun. 18, '18

指宿 - 枕崎
Ibusuki - Makurazaki
July 07, '18

特急「指宿のたまて箱」
Ltd. Express "Ibushiki-no-Tamatebako"
NEW ! Sep. 08, '18

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鹿児島中央 - 指宿
Kagoshima Chuoh - Ibusuki


撮影: 2011年5月

指宿枕崎線の起点は鹿児島中央駅です。
2004年の九州新幹線開業に伴い
駅舎が建て直されています。


撮影: 2011年5月

2013年には新しい駅舎の特徴だった大階段が
取り壊され、新しい複合施設が建てられた様です。

久しぶりの指宿枕崎線の旅は、2011年5月1日、
鹿児島中央駅、12:00発の枕崎行の列車でした。


撮影: 2011年5月

九州新幹線から在来線のホームに向かうと、丁度、
特急「指宿のたまて箱」が到着したところでした。

特急「指宿のたまて箱」は2011年3月12日の
ダイヤ改正から走り出した観光列車です。
この日は東日本大震災の津波警報が出ていた為、
実際に走り出したのは、翌13日からです。

ホームには多くの乗客が指宿枕崎線の列車の
到着を待っていて、2両編成の列車が到着すると、
乗客が乗り込みますが、立客が出る程でした。


撮影: 2011年5月

枕崎行きの普通列車は、鹿児島中央を出て
車両基地の脇を通って行きます。
この辺りで鹿児島本線の線路と分岐しています。


撮影: 2011年5月

この先からは市街地となります。
ビルで視界が遮られ、なかなか車窓風景を撮れず、
郡元を過ぎ、路面電車の線路と並走しだした
ところで、南鹿児島に到着しました。


撮影: 2011年5月

南鹿児島からもしばらく路面電車と並走します。
この路面電車は、鹿児島市交通局の軌道線です。

鹿児島市交通局軌道線の乗車記はこちらです。


撮影: 2011年5月

宇宿駅を過ぎ、谷山駅に到着しました。


撮影: 2011年5月

谷山は鹿児島市南部の拠点駅で、
1日に5,000人程の利用客がいます。

鹿児島市交通局の路面電車の終点駅もありますが、
永田川を隔てて、500m程離れた位置にあり、
乗り換えには少々不便です。

谷山を発車した直後の車内の様子です。


撮影: 2011年5月

谷山までは、郊外に向かう人やクラブ活動の一団が
乗車して来て鹿児島中央を発車した時よりも
車内は混雑していました。

谷山を過ぎると、鹿児島市内を回り込むように走り、
市街地の向こうに桜島が見えてきました。


撮影: 2011年5月

慈眼寺、坂之上と過ぎ、
五位野に停車した際の様子です。


撮影: 2011年5月

この辺りからは、三々五々、
家路に就く人が下車していきます。

五位野の次の平川を出ると、列車は
錦江湾に沿って走るようになりました。


撮影: 2011年5月

乗車した日は鈍よりとした曇り空で
海の色が冴えませんが、海岸に沿って走る
この区間は風光明媚な車窓風景が楽しめます。

瀬々串駅は、いかにも海沿いという駅名です。


撮影: 2011年5月

瀬々串からも海岸線に沿って走ります。
進行方向に岬の様に伸びている土地があったのですが、
近づいてみると、喜入の石油備蓄基地でした。


撮影: 2011年5月

錦江湾に突き出た埋立て地に
石油タンクが所狭しと並んでいます。
ここには、日本全で消費される石油の
二週間分が蓄えられているそうです。

喜入駅に到着した際の様子です。


撮影: 2011年5月

喜入駅は一日の利用客が約1,300人。
業務委託駅で、駅員さんのいる数少ない駅です。

喜入からも錦江湾に沿って走ります。


撮影: 2011年5月

曇った空が恨めしいですが、並走する国道に
沿ってヤシの並木が続き、南国の趣です。

生見駅を過ぎると、指宿枕崎線の列車は
勾配を上り、海岸沿いまで迫り出した
山肌の中腹を走るようになります。


撮影: 2011年5月

この先で、港を見下ろすようにして
勾配を下っていきました。

この集落が薩摩今和泉です。
今和泉は、幕末に将軍・家定に嫁いだ
天璋院篤姫が幼少期を過ごしたゆかりの地です。


撮影: 2011年5月

枕崎からの帰りに、この今和泉に立ち寄り、
篤姫ゆかりの地を訪れました。

今和泉まで来ると、指宿ももうすぐです。


撮影: 2011年5月

一つ手前の二月田駅に到着しました。
2011年に乗車した際には、駅員さんがいましたが
2015年に無人化されてしまっています。

そして、指宿に到着しました。


撮影: 2011年5月

鹿児島中央から45.7km、1時間16分かけて到着しました。

有名な指宿温泉の最寄りで、指宿枕崎線の中核となる駅です。
1日三往復走る特急「指宿のたまて箱」の起点・終点と
なっていますが、一日の利用客は1,400人程です。

枕崎に向かう際は途中下車せずに乗り通しましたが、
その帰路には途中下車しました。


撮影: 2011年5月

駅前の様子は観光地の雰囲気が漂い、
観光客様に足湯も造られていました。

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指宿 - 枕崎
(Ibusuki - Makurazaki)


撮影: 2017年7月

鹿児島中央からの列車は、指宿を発車し、
枕崎を目指しました。

指宿からは列車は空くばかりと思っていた
のですが、ここから乗車する人もいました。


撮影: 2011年5月

指宿の温泉街の脇を抜けると、列車は
高台から海を見下ろして走りました。

思いがけず雄大な眺めを楽しみ、
次の山川に到着しました。

山川は枕崎へ向かう列車の最後の有人駅です。
指宿枕崎線の列車本数は、この山川で
1/3 ほどに減ってしまいます。


撮影: 2011年5月

大勢の乗客がこの山川で下車したのですが、
若い女性駅員さんが笑顔で乗客を出迎えて
いたのが、印象出来でした。


撮影: 2011年5月

山川を過ぎると、列車は西へ方向を変えます。
周囲は畑が広がるのどかな景色です。

遠くに尖ったピークを持つ小高い丘も見えてきました。


撮影: 2011年5月

この山の形に目を奪われていると、今度は
進行方向に、円錐形の山が見えてきました。


撮影: 2011年5月

この円錐形の山が開聞岳です。
この日はあいにく曇っていたので、頂上近くは
雲に隠れ、その綺麗な姿を見る事は出来ませんでした。

やがて列車は西大山に到着しました。


撮影: 2011年5月

ジャガイモ畑の向こうに開聞岳を眺めるこの駅は
日本最南端の駅として知られています。


撮影: 2011年5月

実際には、那覇を走る「ゆいレール」の赤嶺駅が
日本最南端の駅ですが、「ゆいレール」が開業する
2003年までは正真正銘の最南端駅でした。

いまでも、JRとして、あるいは普通鉄道としては
最南端駅になっています。

ゆいレールの乗車記はこちらです。

開聞岳を過ぎると、一面に畑が広がる景色を走りました。


撮影: 2011年5月

地図で見るとこの辺りは、南東に突き出た薩摩半島の
先端部分の海岸線に沿って、指宿枕崎線の線路は、
大きく迂回しているように走っています。

鹿児島中央から枕崎までの、この迂回した線形の為、
指宿枕崎線の列車は、2時間半ほどかかりますが、
バスは、1時間半程で両都市を結んでおり、これが
山川以遠の乗客数が極端に少ない要因の一つと思います。

西大山から20分程で西頴娃に到着しました。
ここでは、上り・下り列車の列車交換が行われます。


撮影: 2011年5月

鹿児島中央を発車してから既に2時間近く経ち、
車内の空気も淀んだ感じで、ぼんやりと
車窓風景に目をやる事が多くなっています。

そんな中、上り列車との交換のシーンは
久しぶりに胸の躍る光景でした。


撮影: 2011年5月

西頴娃を過ぎると、再びのどかな田園風景が続きます。

鹿児島県南部は太古の頃から大きな火山の噴火が
続き、火山灰が降り積もった地形になっています。
東シナ海に向かって緩やかな斜面になっており、
時折、その斜面を切り裂くように小さな川が
渓谷を作って流れています。

石垣駅の手前でも、そのような地形がありました。


撮影: 2011年5月

こうした川が台地を切り裂く光景と
のどかな田園風景の景色が交互に現れます。


撮影: 2011年5月

遠くに、開聞岳も見えていました。
下の写真は松ケ浦 - 薩摩塩屋間での様子です。


撮影: 2011年5月

原野を流れるような川の光景です。
こうした、人の手が入っていないかのような
車窓風景も何度か目にしました。

このあたりの車内の様子です。


撮影: 2011年5月

鹿児島市内を走っている際には立客もいた車内も
山川で多くが下車していきましたが、それでも
各ボックスには1人は居て、それほど
閑散とした印象はありませんでした。

白沢駅に停車中の様子です。
駅名標が読めない程に薄くなっているのが
寂しさが募ります。


撮影: 2011年5月

畑の向こうに東シナ海が見えています。
指宿枕崎線は、山川以西は、海岸から
1km程離れたところを通り、海を間近に
見られる区間はありませんでした。

白沢の次が薩摩板敷、その次は終点の枕崎です。
長かった指宿枕崎線の旅もいよいよ
終わりに近づいてきました。


撮影: 2011年5月

薩摩板敷を出て、緩い勾配を上り、再び下り坂と
なって、枕崎の町並みを回り込むように走ります。


撮影: 2011年5月

こうして、鹿児島中央から枕崎まで
87.8kmを2時間半かけて到着しました。

車内では気が付きませんでしたが、
鉄道ファンの姿も見かけました。


撮影: 2011年5月

この枕崎の駅に降り立ったのは2度目ですが、
前回は、枕崎から伊集院に向かう鹿児島交通が
健在で、枕崎駅は鹿児島交通の駅舎でした。

1984年に鹿児島交通の路線が廃線となり、
2006年には、枕崎駅の位置は100m程、
指宿寄りに移動しています。


撮影: 2011年5月

ホームの先にドラッグストアがあり、
その壁に鹿児島交通時代の、懐かしい
枕崎駅の写真が掲げられていました。


撮影: 2011年5月

JR枕崎駅から少し離れたところには
観光案内所がありました。
この辺りが以前の枕崎駅の位置と思います。

枕崎の散策記はこちらです。
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kyushu/Makurazaki.html

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特急「指宿のたまて箱」
Ltd. Express "Ibushiki-no-Tamatebako"


撮影: 2011年5月

「指宿のたまて箱」はJR九州が2011年3月13日から
指宿枕崎線で運行を開始した観光列車です。

2011年5月1日、この日は午前中に知覧城、
午後に薩摩今和泉を訪れた後に
指宿駅に戻りました。

知覧城の登城記はこちらです。
薩摩今和泉の散策記はこちらです。

「指宿のたまて箱」の運行区間は
鹿児島中央 - 指宿間です。
この時は指宿から乗車しました。


撮影: 2011年5月

JR九州は多くの路線で観光列車を運行していて
車両もデザインが優れ、他のJRとは一線を画しています。

「指宿のたまて箱6号」が入線してきました。


撮影: 2011年5月

この「指宿のたまて箱」の車両は、旧型の
普通列車用の気動車を改造したものです。
真ん中から半分が白、半分が黒という
斬新な塗色になっています。

「指宿たまて箱」の車内の様子です。
車内にはふんだんに木が使われています。


撮影: 2011年5月

指宿枕崎線の鹿児島中央 - 指宿間は
東側に錦江湾の景色が続きます。
そちら側には窓に向かってテーブルと
椅子が並んでいます。


撮影: 2011年5月

その反対側には本棚があり、ソファーの
ような椅子が置かれていました。
今までの鉄道車両ではなかったような
椅子の配置です。


撮影: 2011年5月

「指宿のたまて箱6号」は15:06、定刻に発車しました。
運行開始から2か月後の事で、GWという事もあり、
全席座席が売り切れていました。

発車して錦江湾の景色を見ながら走ります。


撮影: 2011年5月

この先で、「指宿のたまて箱号」に乗る前に
訪れた薩摩今和泉の駅に運転停車しました。


撮影: 2011年5月

下りの普通列車と交換しました。
薩摩今和泉を発車すると、今和泉島津家の屋敷の
あった今和泉小学校の近くを走っていきました。

薩摩今和泉の散策記はこちらです。

この先で錦江湾に沿って走りました。
沿線のヤシの木が南国の雰囲気を醸し出します。


撮影: 2011年5月

この日もどんよりとした天気で、車窓風景は冴えませんが
晴れていたら明るい南国の海が広がる絶景と思います。


撮影: 2011年5月

車内では愛する人への手紙を読み上げる
イベントもあり、華やいだ雰囲気です。

「指宿のたまて箱」のエンブレムが
車両の壁に掲げられていました。


撮影: 2011年5月

こちらは車名になっているたまて箱です。


撮影: 2011年5月

こうした演出も列車の人気を高めている
理由の一つでしょうか。

ちなみに、車名になっている「たまて箱」は、
浦島太郎が薩摩半島先端にある長崎鼻から
竜宮城に向かったという伝説から付けられたそうです。

錦江湾の景色が終わり、鹿児島の
市街地が車窓に広がってきました。


撮影: 2011年5月

指宿から54分の乗車時間で鹿児島中央に到着です。


撮影: 2011年5月

駅についてホームに降り立つと、
列車からミスとが噴き出していました。

列車全体が浦島太郎が開けた玉手箱
という設定になっているようです。

まるで行楽地の指宿から戻り、現実社会に
戻ったという事を実感したようにも思います。

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