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熊本電気鉄道は熊本市内と菊池温泉で知られる
菊池とを結ぶ軽便鉄道を発祥とする私鉄です。
その昔、日本には数多くの軽便鉄道があったのですが、
その軽便鉄道が今に残っているのは、
この熊本電鉄だけということです。
発祥の元となった軽便鉄道、菊池軌道株式会社が
広町(藤崎宮前) - 御代志 - 隈府(菊池)を全通させたのが
1913年8月2日の事だそうです。
1986年に末端の御代志 - 菊池間が廃止され、
今は、上熊本 - 北熊本 - 御代志 10.8kmの菊池線と
藤崎宮前 - 北熊本 2.3kmの藤崎線の2系統となっています。
2003年の暮れ、この熊本電気鉄道に乗車しました。
JR熊本駅から市電に乗り、中心街の通町筋で下車。
途中夏目漱石の旧居に立ち寄りながら、
熊本電気鉄道のターミナル、藤崎宮前を目指しました。
次の電車は12:25発。
近くのコンビニで、お昼ご飯を買い込んで、
電車に乗り込みました。
熊本電鉄の戸籍上では、藤崎宮前 - 北熊本間は
支線の扱いなのですが、実際の電車は、
藤崎宮前 - 北熊本 - 御代志間を直通で走っていて、
上熊本 - 北熊本間は単行の電車が往復する支線の扱いです。
僅か2両の電車に約20人程の乗客がいました。
何人かの高校生は自転車を車内に持ち込んでいます。
熊本電鉄では、朝の通勤・通学時間を除いて
自転車の持ち込みを認めているようで、
自転車通学の高校生も電車を使えるように
という集客作戦なのでしょうか。
定刻に発車し、家の密集する地域を
ゆっくり進んで行きます。
一旦、併用軌道を走ります。
狭い路地との併用軌道なので、交通量の多い時間帯は
車と輻輳して、渋滞や列車の遅れが出そうです。
やがて北熊本に着きました。
ここで、藤先宮前行きの上り列車や
上熊本行きの列車と行き会いました。
構内は広く、使われていない電車も停留しています。
北熊本を発車すると、熊本の市街地から
郊外の景色へと変わっています。
菊池方面に向かう街道に沿って北上していきます。
住宅地が続き、これと言った特徴のない景色が続きます。
途中、付け替えられた新線区間を走り、
高速道路の下を抜けると、
台地の上を走るようになり、
景色が広がってきました。
遠く阿蘇山や遠くの山々を望むようになり、
周囲には畑も広がっています。
車窓左手には再び菊池に向かう街道が添い、
電波高専のゆったりとした敷地の前を過ぎると、
ぷっつりと線路が途切れて
そこが御代志の駅でした。
駅舎もなく、単線片面のホームに
停車している電車が、街道から丸見えです。
趣きに全く掛ける佇まいです。
駅前も殺風景で、街道を走る多くの車だけが、
活気があるるといった感じです。
それでも、トイレと駅周辺の地図が掲げてあり、
この近くに農業公園というのがありました。
折り返しの電車の発車まで20分程あったので、
ちょっと行って見ました。
御代志駅の先の交差点を右に回ると、
街道の喧騒とはうって変わった静かな牧場が広がり、
遠くに阿蘇山を眺めることが出来ました。
この日は良く晴れていて、遠くに阿蘇を望む
この景色はとても胸に染み込むようでした。
13:11の折り返しの藤崎宮前行きに乗り、
北熊本に戻りました。
次は、残る北熊本 - 上熊本間の乗り潰しです。
北熊本まで今来た道を、のんびりと
戻ること20分で北熊本に到着です。
北熊本で見かけた旧型電車。
モハ71形と呼ばれる古豪の電車です。
なんでも広島原爆で残った車両だそうです。
線路を横切り、上熊本行きの
単行電車に乗り込みます。
この電車は、旧東急の車両です。
東京や大阪の大手私鉄が車両を更新したお古を
地方の中小私鉄が安く購入してサービスアップ
するという図式が全国的に普及しているようです。
藤崎宮前からの電車の到着を待ってすぐに発車。
ホームの端で写真を撮っていたら、
運転手さんから早く乗るようにと、
急かされてしまいました。
藤崎線と分かれて右に大きくカーブを取り、
トンネルを抜けると、狭い谷あいを走ります。
しかし、すぐに鹿児島本線の線路が現われ、
上熊本の駅に着きました。
3.4km、僅か9分の乗車でした。
上熊本はJR九州との接続駅です。
この駅舎はJR九州の駅舎です。
1913年(大正2年)当時の建物がそのまま残っています。
熊本に赴任した夏目漱石が降り立ったのは
この上熊本駅で、写真の銅像は漱石の筈です。
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