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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



五能線
(川部 - 東能代)

JR Gonoh Line
(Kawabe - Higashi Noshiro)








五能線は、秋田県北部の東能代から
日本海の海岸線に沿って北上し、
川部に至る147.2kmの路線です。


東能代から鰺ヶ沢にかけての区間は、
世界遺産に指定された白神山地の西側の
海岸線を走り、その景観が素晴らしい区間です。

鰺ヶ沢からは津軽平野の田園地帯を走ります。
五所川原から川部の間は、岩木山を眺めながら
青森名物のリンゴ畑の脇を走ります。



Yahoo Mapを編集・加筆しました。


五能線の歴史は、1908年(明治41年)に能代(現・東能代)と
能代町(現・能代)間も営業開始から始まります。

奥羽本線が街の中心を外れた能代の中心部と
奥羽本線を繋ぐ路線がその目的でした。

その後、順次路線延長され、1936年(昭和11年)に
陸奥岩崎と深浦間が開業し、全線開業に至っています。


以前の五能線は、沿線の人口が少ない為か
列車の運転本数も少なく、しかも深浦や
鰺ヶ沢での乗り換えがスムーズにいかず、
乗り通すのに一苦労するような路線でした。

現在でも、深浦 - 鰺ヶ沢間は運行本数が
極端に少なく、日中は各駅停車の運行間隔が
7時間以上も空く時間帯があったりしますが、
1990年から「ノスタルジック ビュー トレイン」が、
1997年からは「リゾートしらかみ」の運行が始まり、
観光路線として脚光を浴びるようになっています。


この五能線には1980年代に一度乗車していますが
2009年10月に再び乗車しました。

その時の様子を紹介します。




川部 - 鰺ヶ沢
(Kawabe - Ajigasawa)
Feb. 13, '14


鰺ヶ沢 - 深浦
(Ajigasawa - Fukaura)
Feb. 16, '14


深浦 - 東能代
(Fukaura - Higashi Noshiro)
NEW ! Mar. 13, '14



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川部 - 鰺ヶ沢
(Kawabe - Ajigasawa)








弘前 - 五所川原



五能線は東能代 - 川部間の路線ですが、
青森に直通する快速「深浦」を除き、
五能線の全ての列車が弘前に発着します。


2009年10月11日、弘前の散策を終え、
11:15の鰺ヶ沢行きの普通列車に乗りました。
弘前の散策記は
こちらです。




この時は、日本の鉄道全線の乗車を目指しており、
最後に残った津軽鉄道に乗車する為、
五所川原を目指しました。

撫牛子を過ぎ、奥羽本線の車窓からは、
岩木山が良く見えていました。



弘前から10分程で、川部に到着しました。
この川部が五能線の終点駅です。



川部では進行方向が変わる為
川部では6分程停車しました。

方向を変え、奥羽本線と別れ
五能線の線路に分け入りました。



奥羽本線の架線柱が、リンゴ畑の
向こうに、見えています。

五能線に入ったから車窓にはリンゴ畑が続き、
次の停車駅の藤崎に停車しました。



引き込み線もあり、かつてはこの駅で
リンゴの集荷が行われ、貨物列車が
発着していたことでしょう。

藤崎からもリンゴ畑が続きました。



リンゴ畑の向こうに岩木山が聳えています。
このリンゴ畑と岩木山の眺めが
津軽平野の特徴的な光景でしょう。

次の停車駅の林崎です。
この駅はリンゴ畑の中にあるような駅です。



1972年5月、当時、国鉄全線乗車を目指していた
宮脇俊三さんは、黒石線の乗車を果たした後、
車内で居眠りするうちに、この林崎まで来ています。

誤乗に気付き目覚めた宮脇さんが、林崎駅の駅に
降り立った時、辺り一面のリンゴ畑の景色の
素晴らしさを「時刻表2万キロ」に書いています。

以前、五能線に乗った際には、その印象は
無かったのですが、改めて見てみると、
この辺りは本当にリンゴ畑ばかりです。


やがて板柳駅に到着しました。
ここも駅前に倉庫があり、かつては貨物列車の
入れ替え作業に使われたと思しき側線がありました。



この板柳で下り普通列車と行き違いです。

板柳を過ぎると車窓には
田圃が広がりました。



車窓左手には、依然として
岩木山が良く見えていました。

線路脇にはススキの穂が
陽の光を浴びて白く輝いています。



津軽鶴田駅に到着した様子です。



1999年に造られた新しい駅舎もあり
日曜日の昼に乗り降りする乗客もいて
ホッとさせられるような光景でした。

津軽鶴田からも引き続き
のどかな田園風景が続きます。



空気も澄み、遠くまで田圃が
広がる景色は清々しいものでした。


この景色を眺めるうち五所川原に到着しました。
弘前から45分、12:00 丁度の到着です。



五所川原は津軽平野の中心地で、
ここから津軽中里へ向かう
津軽鉄道の乗換駅です。

さすがに多くの方が乗り降りしていました。

広い構内の北側には、
津軽鉄道のホームもあります。



次の津軽鉄道の列車までは40分あるので、
一旦改札を出て駅舎の写真も撮りました。



地方の中心駅としては立派な駅舎でした。

駅で腹ごしらえして、いよいよ日本の鉄道
全線乗車の旅、最後の路線に乗車しました。

津軽鉄道の乗車記はこちらです。




五所川原 - 鰺ヶ沢


津軽鉄道の旅を終え、五所川原に
戻ったのは夕方の5時過ぎでした。

この日は、津軽鉄道の全線乗車を終え、
日本の鉄道全路線・全線乗車を達成し、
その後に中里城や金木の町を散策し、
充実した一日になりました。


もう夕暮れに差し掛かり、この日は
宿を予約している鰺ヶ沢に向かいました。

16:48 発の「リゾートしらかみ6号」に乗車しました。
五所川原駅に到着した「リゾートしらかみ」です。



「リゾートしらかみ」は1997年(平成9年)4月の
ダイヤ改正から走り出した観光列車です。

五能線は以前は、一日数本の普通列車が
走る閑散路線でしたが、1990年から走り出した
「ノスタルジックビュートレイン」で観光路線として
脚光を浴びるようになりました。

「リゾートしらかみ」は「ノスタルジックビュートレイン」の
後継列車で、現在では3往復に増え、青池、ぶな
(木偏に無)、くまげらの3つの車両が走っています。


五所川原を発車し、列車は左に大きく
カーブを切り、西に向かって走ります。

岩木川を渡ると、車窓左手後方に、
岩木山が見えていました。



既に、車窓は暗く、車内の蛍光灯の灯りが
窓に映るようになっています。

陽はまさに沈もうとしている頃です。
先頭車両からは、雲の合間から西日が差し、
線路を赤く染めているのを眺める事が出来ました。




次の木造駅に停車しました。



木造駅は、遮光器土偶が発掘された亀ヶ岡遺跡に近く、
駅舎もその遮光器土偶をモチーフに作られています。

その駅舎を見る事は出来ず、
「リゾートしらかみ」は発車していきました。


木造からも広々とした津軽平野を走っていきました。
やがて夕日が沈み、一日の終わりを告げます。



途中、陸奥森田にも停車し、20分程走ると
暗くなった車窓に日本海が見えてきました。



日本海を眺めると直ぐに鰺ヶ沢駅に到着しました。
五所川原から24分、17:12に到着しました。



周囲は既に暗く、列車のライトが輝いていました。
「リゾートしらかみ」はこの鰺ヶ沢で13分停車します。

列車に貼られた「ぶな」のマークです。



この「ぶな」編成は2003年4月にデビューしています。


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鰺ヶ沢 - 深浦
(Ajigasawa - Fukaura)








鰺ヶ沢で一泊し、翌日は 6:33 の
始発列車で五能線の旅を続けました。

早朝、日の出前に目覚めると
宿からは岩木山が見えていました。



山頂に雲が掛かっていますが、
朝焼けでピンクに染まった雲の
様子もなかなか素敵でした。

早朝の鰺ヶ沢駅の様子です。



鰺ヶ沢は津軽氏の祖となる大浦光信公の墓も
あるそうで、またいつか訪れてみたいところです。

鰺ヶ沢駅に停車中の、東能代行の普通列車です。



五能線の鰺ヶ沢以南の運転本数は少なく、
臨時快速の「リゾートしらかみ」の3往復を除くと
普通列車が5往復走るのみです。

この始発の次の普通列車は10:56までありません。
(2009年当時のダイヤです)

2両も繋いでいるし、かなり朝早いのですが、
高校生が多く乗り込むのかなと思ったのですが
ガラガラの状態で発車しました。

鰺ヶ沢からしばらくは丘陵地の間を走りますが、
やがて日本海が車窓に広がってきました。



車内が空いているので、
窓を開けて景色を眺めます。

次の停車駅、陸奥赤石の様子です。



五能線の鰺ヶ沢以南の区間は、
日本海にせり出す白神山地の
縁を巡る様に走っています。

東側は山が迫っているのですが、
陸奥赤石を発車すると山側の景色が開け、
白神山地の山々が見えていました。



日本海から離れ耕地が広がる景色の
中を走り、北金ヶ沢に到着しました。



青森・弘前行きの「深浦」と交換しました。
この列車は、深浦を 6:19 に発車した始発で、
川部で、弘前行きと青森行きに分割します。


北金ヶ沢を発車すると、再び日本海を眺める様になり、
列車は海岸線に沿って大きく弧を描くように走りました。



車窓左手後方には、岩木山の姿も見えました。
逆光に日本海が輝き、その向こうに聳える
岩木山の姿は神々しいものがありました。

列車は海岸線近くを走るようになりました。



海岸線の岩場がすぐ近くに見え、
日本海の向こうには島影も見えています。

この島影は津軽半島と北海道の松前半島でしょうか。
遥か遠くに島影が見えると、大海原が
広がる光景よりも、雄大な印象を受けます。

次の停車駅は千畳敷です。



駅の目の前に大きな岩があり、
付近には数軒の家が建っているばかりです。

この海岸は1792年(寛政4年)の地震で隆起し、
海岸線近くに平らな岩礁が露出しています。



列車の車窓からもその様子が
手に取るように眺める事が出来ました。
藩政時代には、津軽藩主専用の避暑地で
庶民は近づけなかったようです。

次の大戸瀬を過ぎても日本海に沿って走ります。
鳥居崎を過ぎて振り返って眺めた様子です。



遠くに、ずっと北海道松前半島の
島影が見えていました。

次の風合瀬駅に到着です。



一日5往復しか列車の走らない区間で、
朝の人の動きのある時間帯ですが、
乗降客はありませんでした。

風合瀬という地名からは冬に吹き
荒れる強風を思い浮かべます。

この日の静かな日本海とは違う
景色が広がっている事でしょう。


風合瀬を出て列車の後方を眺めた様子です。



次の驫木を過ぎたところでは、
海岸段丘の下を走るようになりました。



こうした景色は北海道の日本海側を走る
留萌本線や昔の瀬棚線などの
景色を彷彿とさせます。

上の写真からも、五能線がずっと海に
沿って走っている事が良く判ります。

海岸線に大きな岩が現れました。



この大きな岩場を過ぎると、トンネルに入り
それを抜けると追良瀬駅に到着です。



北金ヶ沢からずっと日本海を眺めて走って来ましたが
この追良瀬駅は日本海から離れ、周囲には
田圃が広がるようになりました。



日本中で、どこにでもある眺めですが
鰺ヶ沢以南の五能線沿線では
とても珍しい風景です。

白神山地から流れ出た追良瀬川流域の
田園地帯を過ぎると、再び山が迫り、
海岸線を走るようになりました。



海岸段丘が続き、白波が
打ち寄せる豪快な眺めです。

テーブル上の地形が伸びた行合岬を過ぎました。



ここからは海岸線に岩がいくつも並ぶ景観となりました。



迫力溢れるこのような光景が
手に取るように眺められるのは
五能線の大きな魅力です。

ガラガラの普通列車に乗って
このような景色を独占出来るのは
どんなに幸せな事だろうと思います。

しかも窓ガラスを開けて景色を眺められるのは
ガラガラの普通列車ならではの特権です。


鰺ヶ沢から1時間と1分で深浦に到着しました。



その殆どを日本海に沿う素晴らしい車窓でした。

日も高くなっていますが、まだ時刻は7時34分です。
深浦駅のホームには多くの乗客が待っていました。



ここで下り弘前行きと行き違いです。


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深浦 - 東能代
(Fukaura - Higashi Noshiro)








深浦 - 十二湖



下り列車との行き違いで10分間停車し、
東能代行の普通列車はおもむろに発車しました。



深浦駅に、弘前行きの普通列車がポツンと
停まっている姿が次第に遠ざかっていきます。

深浦を出ると漁港を眺める事が出来ました。



鰺ヶ沢から深浦にかけては、漁港も殆どなく
久しぶりに日本的な眺めに様に思います。

トンネルをいくつかくぐりながら、
深浦の湾に沿って走ります。



振り返って眺める深浦の様子です。
遠くに見えるのは飯森山でしょうか。

深浦の港を眺め、入前崎を巡ると
再び日本海が広がる景色を走ります。



海岸段丘が迫っていた深浦までの景色と異なり、
背後の山はなだらかで、開放的な眺めです。

次の横磯駅に停車しました。



横磯からも日本海の眺めです。



海岸線から一段高い位置を走り、
海との間に田圃が広がっています。

風力発電の風車も見かけました。


艫作を過ぎ、列車はウェスパ椿山に到着しました。



ウェスパ椿山は2001年に開業した新しい駅です。
観光施設が併設され、「しらかみ号」というスロープカーで、
山の上の展望台にも行く事が出来るようです。

この辺りでは田圃も広がり
人間の営みを感じるようになりました。



やがて入り江の向こうに
白神山地が聳える光景となりました。



この辺りは、白神山地が西に張り出した
地形の縁となっていて、五能線は
東に向かって走るようになっています。

やがて周囲に家が建ち込めてきました。



久しぶりに眺める集落の光景です。

列車は陸奥岩崎に停車しました。
数人の乗客が下車していきました。



深浦を除いて、殆ど乗降が無かったので、僅か数人
下車しただけでも,賑わった駅という印象を受けます。

陸奥岩崎を出ると綺麗なカーブを
描いた砂浜に沿って走りました。



この先で、小さな岬があり、
岩場の海岸線の景色となりました。




やがて列車は十二湖駅に到着しました。
時刻は 8:16、鰺ヶ沢から1時間43分かけて到着です。

駅から3q程東には白神山地のブナ林の中に
点在する十二湖があり、「リゾートしらかみ」も
停車する事から、多くの観光客が利用する駅です。



十二湖に停車中の鰺ヶ沢からの普通列車です。
発車して東能代に向かう姿を見送りました。

そんな十二湖駅も、開設当初は仮停車場で、
正式な駅となったのは1988年(昭和63年)の事です。

十二湖駅の駅舎です。



2005年に建てられたもので、
観光案内所も併設されています。

この十二湖駅で下車した後に、
駅名になっている十二湖に向かいました。

十二湖の散策記はこちらです。




十二湖 - 東能代


十二湖を散策した後、弘南バスで
十二湖駅に戻り、五能線の旅を続けました。

バスが駅に着いたのは11:05、次の五能線の
列車は、11:20 の「リゾートしらかみ2号」です。

しばらく待つうちに、列車がやって来ました。



赤と黄色の塗装が鮮やかな「くまげら」の編成です。
側面の窓も大きく、いかにも観光列車という感じです。


十二湖を発車し、再び日本海の眺めとなりました。



海岸線が穏やかな弧を描き、
穏やかな眺めです。

しばらく走ると、岩場が現れる
荒々しい日本海の光景になりました。



この辺りも日本海の荒々しい景色が愉しめる区間です。
やがて「リゾートしらかみ」は、青森と秋田の
県境を越え、岩館駅に到着しました。



この岩館駅で、下り列車と交換です。
乗降客の少ない五能線では珍しく
岩館駅は駅員さんが配置されていました。



岩館を発車すると家が建ち並ぶ光景を眺め、
やや高い位置から海岸線を見下ろすように走りました。




岩館から4分で、あきた白神に到着です。
この駅は1997年に開業した新しい駅です。

駅に隣接してあきた白神中央管理センターがあり
そこにいる観光駅長さんが、「リゾートしらかみ」の
出迎えと見送りをしていました。



残念ながらこの列車で乗降客は
無かったと記憶していますが、
こうした心遣いは暖かく感じます。

あきた白神を出ると、海岸線が遠ざかり
車窓には田圃が広がってきました。



丁度稲刈りの最中でした。

白神山地も遠く後方に去り、田圃の
向こうにはなだらかな丘陵地が続く、
のどかな光景に変わりました。


良く見かけるローカル線の車窓風景になったので、
最後尾の車両から先頭車両まで出掛けてみました。

「くまげら」編成の先頭部の様子です。



ここはフリースペースになっていて
前面の展望が楽しめます。

丁度、沢目駅にさしかかるところでした。



先頭車から戻る途中で撮った
「リゾートしらかみ」の車内の様子です。



3連休の最終日という事もあってか、
座席はほぼ埋まっていました。

こうして多くの観光客が鉄道を利用して
五能線沿線を訪れているのは、
「リゾートしらかみ」の成功を物語っています。


こうして長閑な車窓風景を眺めるうちに
不意に大きな川を渡りました。
米代川です。



山が海に迫る五能線沿線では、
川を渡る事は少なく、米代川の
流れはまるで大河の様に感じました。

米代川を渡ると家が建ち込め、
能代の市街地となりました。

久しぶりに大きな街並みの中を走り、
能代に到着しました。



能代は秋田県北部の主要都市の一つですが
この地方を走る動脈の奥羽本線は、
街の中心を外れています。

奥羽本線の東能代と、能代中心を結ぶのが
五能線建設の一つの目的でした。

能代を発車し、市街地を抜け、
広々と田圃が広がる景色を走ると車窓
右手から奥羽本線の線路が近づいて来ました。



奥羽本線も単線ですが、電化され架線柱が建ち並ぶ
奥羽本線の線路は、未電化のローカル線に
乗り続けた後には、頼もしく感じました。

そして、五能線の起点駅・東能代に到着しました。



東能代では、下りの「リゾートしらかみ」と交換し、
進行方向を変えて秋田を目指します。



数分の停車時間があるので、
上下の「リゾートしらかみ」が
並ぶ様子を写真に収めました。

「リゾートしらかみ」の旅は、秋田まで続きますが
五能線の旅は、この東能代が終着でした。



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