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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない

津軽鉄道
Tsugaru Railway







津軽鉄道はJR五能線との接続駅・津軽五所川原から
津軽半島の中央部を北上し津軽中里に至る鉄道です。

JR五能線の乗車記はこちらです。


営業距離は20.7kmです。

途中に太宰治の生まれた金木があり、
津軽五所川原 - 金木間に1日 13往復、
金木 - 津軽中里間には15往復の列車が走っています。




津軽鉄道の開業は1930年(昭和5年)の事で、
7月15日に五所川原(現・津軽五所川原 - 金木)、
10月4日に金木 - 大沢内、11月13日に
津軽中里までの全線が開業しています。

津軽鉄道の沿線は人口密度も低く、
その経営は厳しい状況です。

冬に運行されるストーブ列車は有名で、
運行開始の日にはTVニュースでも
取り上げられています。


2009年10月に日本の鉄道全路線全線の乗車を
達成しましたが、この津軽鉄道が最後の路線でした。

この時の乗車記を紹介します。




津軽五所川原 - 金木
(Tsugaru Goshogawara - Kanagi)


2009年10月11日、JR五能線で五所川原に向かい、
津軽鉄道の津軽五所川原に乗り換えました。



津軽五所川原駅は、JRの駅に隣接しています。

五所川原に到着したのが12:00、
次の津軽鉄道の列車が12:40 でした。


津軽鉄道の待合室に掲げられていた時刻表です。



とても古びた感じですが、この年の4月に
時刻改正があり、書き換えられたばかりです。

時刻表の脇には、風鈴列車と
鈴虫列車の案内も出ていました。

発車時刻の30分近く前に改札を抜けました。
JRと津軽鉄道は駅舎は別れていますが、
共同駅となっていて、自由に行き来出来ます。



跨線橋を渡ると、手前がJRホームへの階段が繋がり、
その奥に進むと、津軽鉄道のホームへと繋がっています。

津軽鉄道のホームです。



発車までまだ時間があり、ガランとしていました。
ホームや待合室は古く、煤で黒くなっているようですが、
手作りの案内表示も多く、親しみを覚えました。

側線には廃車になった古い車両が
いくつか留めてあります。



そんな津軽五所川原駅のホームで時間を潰すうち、
津軽中里からの列車が到着しました。



日本の鉄道全路線全線乗車を果たす長い旅の
終着駅へといざなってくれる車両です。
正直なところ、津軽鉄道の車両は留置している車両
程ではないにしても、もう少し古い車両を走らせて
いると思っていたので、ちょっと拍子抜けでした。

日々の暮らしの中での40分というと長い時間ですが、
こうした所での40分という待ち時間はあっという間です。
しかも、30年に亘る全路線乗車の長い長い旅の
期間に比べれば40分は一刹那に過ぎません。

津軽中里行の普通列車の車内の様子です。



ボックス席はすべて乗客がいて、昼下がりの
ローカル線としては、賑わっている方でしょうか。

車内にはアテンダントの方も添乗し、
華やいだ雰囲気でした。


運転席脇に陣取って、発車を待ちました。



津軽五所川原駅構内の様子です。
写真左手に五能線の線路もあるのですが
草叢に隠れて良く見えていません

JR五能線の乗車記はこちらです。


五所川原駅の構内を出ると五能線の線路は
左に大きくカーブし、津軽鉄道の
線路は右にカーブします。

五所川原の市街地を抜け、旧十川を渡り
最初の停車駅・十川を過ぎると
田圃が広がってきました。

真っ直ぐ伸びていた線路が左にカーブした
辺りに次の停車駅・五農高校前がありました。



登下校時には多くの生徒が利用するのでしょうか、
ホームから駅舎へは広いスロープがありました。

90度方向を変え、五農高校前からは北に進みます。



進行方向左手後方、田圃に置かれた稲わらの
列の向こう遠くに岩木山が見えていました。

やがて田圃の中にスノーシェルターが見え、
津軽飯塚に到着しました。



かつては駅員も配置された駅ですが、
2004年に無人駅化されています。

無人化される前までは、島式ホームの両側に
列車が発着出来る構造になっており、
スノーシェルターはそのポイントを
風雪から守る為のものでした。



行き違いが出来なくなってから、
スノーシェルターは無用の長物になりましたが、
構内の外れにもう一つ見かけました。


津軽飯詰からは、時折なだらかな丘陵地が現れ、
田圃との景色が交互に繰り返されました。



駅間距離も長く、林の中にある毘沙門駅までは3.2km、
毘沙門駅とその次の嘉瀬駅までも2.7kmあります。

雑木林の中に集落が見えると嘉瀬に到着しました。



この嘉瀬にも廃車になった車両が留置されていました。

この車両はTV番組の企画で地元の小学生も
参加した「落書き列車」だったようです。


嘉瀬を出ると再び広々とした田園風景となりました。



遠くに見えるのは、津軽半島の
背骨となっている山々です。


やがて久しぶりに規模の大きな集落が見えてきました。



津軽鉄道の沿線で一番大きな町、金木の集落です。
金木駅に到着する手前で腕木式信号機を見かけました。



蒸気機関車が走っていた頃には
どこでも見かけた信号機ですが、最近は
その姿を見るのが非常に珍しくなっています。

津軽五所川原から20分ちょっとで金木に到着しました。



金木は今では五所川原市となっていますが
かつては人口1万人程の町でした。
太宰治の出身地としても知られています。

金木の散策記はこちらです。


金木駅に停車中の津軽中里行の列車です。



この金木で津軽五所川原行の
上り列車と交換しました。




金木 - 津軽中里
(Kanagi - Tsugaru Nakazato)


金木駅で行き違いをした
津軽五所川原行の列車です。



いよいよ金木駅を発車しました。
1両や2両編成という短い列車が走る津軽鉄道ですが
金木駅のホームは長く立派です。



かつては長い編成の列車が走っていたのか、
冬に走るストーブ列車用なのでしょうか。

この金木駅停車中に気づいたのですが
この時乗車した列車は「鈴虫列車」で
車内に鈴虫の鳴き声が響いていました。



鈴虫列車は9月1日から10月半ばまでの運行です。

金木を出ると,木々に覆われた
住宅地のようなところを走ります。

ところどころ、白樺のような木もあり
高原を走っているような感じです。

木々に覆われた芦野公園駅に到着しました。



ここは桜の名所という事です。
芦野公園駅を発車し、周囲の木々が無くなり
再び広大な田園風景となりました。

進行左手後方の岩木山は、
もう随分小さくなっていました。



広々と、というよりも少々寂寥感も
漂う車窓風景になって来ました。

こうした景色を眺めていると、『この先に何があるのか、
何も無い目的地を目指しているのでは・・・』と自問する
事も多いのですが、この時は日本の鉄道全線乗車の
30年来の夢の終着駅に近づいていると思うと
寂しさも覚えていました。


田園地帯にポツンとあった川倉駅です。



赤茶けた短いホームがあるだけの小駅です。
一日に何人の乗客があるのでしょうか。

一面の田園風景が続くうち、
次の大沢内に停車しました。



大沢内駅は津軽鉄道が津軽中里まで
開業する直前の一ヶ月間ほど終着駅でした。

以前は駅員も配置されていましたが今は無人駅です。
かつてあった列車交換設備も廃止されており、
やはり寂しさが漂う駅でした。

大沢内駅からも広大な田園風景が続きました。



さすがにはるばる遠くまでやって来たと実感します。
そして深郷田駅に到着しました。



この深郷田も田園地帯にある、
短いホームの小駅です。

次は終点の津軽中里です。
いよいよ最後の一区間になりました。



丘陵地の端に住宅が並んでいます。
これが中里の集落です。

丘陵地の手前で線路が尽き、
列車はスピードを緩めて停車しました。



中泊町の中心地、津軽中里に到着です。
30年来の旅の終着駅に到着したのでした。



駅で、アテンダントの方に記念に写真も撮って
もらったのが、ささやかなセレモニーでした。


津軽中里駅は、寂れた終着駅を
イメージしていましたが、来てみると
スーパーを併設した立派な駅舎でした。



乗車した当時は閉店になっており、
その後物産販売施設を備えた
「駅なかにぎわい空間」になっています。


津軽中里からの折り返しの列車は、小一時間後でした。
この時間を利用し、近くの中里城を訪れました。

中里城の登城記は
こちらです。




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