小樽
Otaru, Japan








小樽は札幌の西、30km程のところにある港町です。
小樽は、砂浜の中の川という意味のアイヌ語
「オタ・オル・ナイ」が語源になっています。

16世紀末から開拓され、幕末には
1000人を超える集落になっていたようです。

明治に入り、北海道で最初の鉄道「幌内線」が
開業すると石狩地方の石炭積み出しや
ロシアとの交易で発展しました。

最盛期には人口20万人を数えましたが
その後、石炭産業の衰退とともに
街もさびれ、現在の人口は13万人程です。

街中には往時の建物がいくつも残って
北海道でも有数の観光都市になっています。


2008年11月に初めて小樽を訪れました。
この時の様子をお伝えしようと思います。




手宮線跡
(Ruin of Temiya Line)
Nov. 06, '10


小樽運河界隈〜北のウォール街
(The Otaru Canal & North Wall Street)
Nov. 09, '10


堺町本通り界隈
(Sakaimachi Main Street)
NEW ! Nov. 13, '10





北海道のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る







手宮線跡
(Ruin of Temiya Line)







長万部から普通列車に揺られ3時間、
雄大な雪山を眺めながらの鉄道旅行を満喫し、
小樽で下車しました。

小樽までの函館本線の乗車記は
こちらです。

久しぶりに大きな都市に降り立ちました。



この駅舎は1934年(昭和9年)に建てられたものです。

かの詩人・石川啄木は、小樽駅長を務めていた義兄を頼り、
函館から家族をこの小樽に呼び寄せていましたが、
僅か5ヶ月の滞在で、ここから釧路へと向かいました。
1908年(明治41年)1月19日の事だったそうです。

" 子を負いて 雪の吹きいる 停車場に
われ見送りし 妻の眉かな"



この小樽駅から小樽運河へ向かおうと、
駅の正面からまっすぐに伸びる中央通の
緩やかな下り坂を東に向かって歩いていくと
不意に「手宮線」の廃線跡に出くわしました。



小樽駅から200m程歩いたところでした。




手宮線は1880年(明治13年)に、
日本で3番目に開業した「幌内鉄道」の一部です。
「幌内鉄道」の開業区間は幌内 - 札幌 - 手宮間でした。

その後、この路線は北海道炭礦鉄道に譲渡されますが、
1906年(明治39年)に小樽(現・南小樽) - 手宮間が
国有化され、手宮線と名付けられました。

この手宮線は1962年(昭和37年)に旅客営業を廃止し
1985年(昭和60年)に廃止に至っています。


手宮線の廃止から既に25年が経っていて、
廃線跡が残っているとは思っていなかったので
びっくりしてしまいました。



住宅の裏の空き地に旧手宮線の線路が残り
南北両方向に続いていました。
中央通との交差地点には踏み切りも残っています。

右上の写真の先に終点の手宮駅がありました。


そして、中央通の一本南を東西に走る
浅草通りと旧手宮線の交差部分です。



このあたりも踏切が残り、
路地裏に線路が続いていました。

今でも線路の向こうから貨物列車が
やってきそうな雰囲気が漂っています。



この線路に沿って、少し歩いて見ました。

線路沿いは雪で覆われ、歩きにくかったのですが
列車が行きかっていた当時を想像しながら
静かに佇む線路に沿っての散策は
楽しいものでした。



寿司屋通りとの交差地点に辿り着きました。

ここは、立体交差になっていたようで
旧手宮線の橋台が残っていました。



この先で旧手宮線は函館本線と
合流していました。


思いがけず旧手宮線の廃線跡は
良好に残っていました。

旧手宮駅は小樽市総合博物館として
整備されているようです。
この日は休館日の火曜日でだったので、
訪問はしませんでした。
またの機会に行ってみたいです。

後で調べてみると、この路線跡を活用し、
LRTを運行させる計画もあるそうです。

この計画が早く実現することを願っています。



小樽のページのTopに戻る







小樽運河界隈〜北のウォール街
(The Otaru Canal & North Wall Street)







小樽運河は1923年(大正12年)に完成した運河です。
海岸線の沖合いを埋め立てて築かれているそうです。

一時は悪臭も漂い、埋め立てる計画もあったそうですが
近年、小樽観光の中心スポットとして人気が出ているようです。


小樽駅から中央通りを海岸に
向かって下っていきました。




途中、旧手宮線の路線跡を過ぎると、
やがて小樽運河にたどり着きました。

小樽運河は小樽駅から500m程。
あっという間に着いたという感じでした。

運河に沿って倉庫が並んでいます。



雪の時期で、小樽駅には観光客の姿は
見当たらなかったのですが、さすがに
この小樽運河沿いには何人かの
観光客の姿を見かけました。


南側に進むと散策路を歩きながら
運河越しに倉庫群を眺められます。



後で調べてみると、この散策路は
最近、観光用に出来たもので
この北側には往時のままの
小樽運河が残されているようです。


小樽運河沿いを散策した後は、
小樽に残る明治末期から大正に建てられた
幾つもの銀行のビルを訪ねました。

向かった先は、日銀通りです。
その途中に幾つかの瀟洒な洋館がありました。

下の写真の左は旧通信電設浜ビル、
そして右の写真は旧荒田商会です。



どちらも昭和に入って建てられた
比較的新しいビルです。

こちらは旧高橋倉庫です。



1923年(大正12年)に建てられた
木骨石造の建物です。


そして小樽郵便局に辿り着きました。

小樽郵便局の角を東西に走る日銀通りが、
かつて北のウォール街と呼ばれ、
銀行が建ち並んでいたところです。




小樽郵便局と交差点を隔てた対角の
位置にある旧三菱銀行小樽支店です。



1922年(大正11年)に建てられた
鉄筋コンクリートの建物です。
かつては外壁に煉瓦色の
タイルが貼られていたそうです。

旧三菱銀行小樽支店から
堺町本通りを隔てて西側にあるのが
旧第一銀行小樽支店です。



こちらは1924年(大正13年)に建てられました。
1920年代の小樽の人口は札幌を上回っていたそうで
貿易で潤う当時の小樽の様子が彷彿とされます。

ここからは日銀通りを西へと向かいました。
緩やかな上り坂ですが、歩道は凍り付いていて
少しでも気を緩めると滑って転んでしまいそうです。



この凍った道を歩いていくと
日本銀行旧小樽支店です。



1912年(明治45年)に建てられた
煉瓦造りの建物です。
設計者は東京駅を設計した
辰野金吾氏だそうです。

この日本銀行旧小樽支店は
より一層重厚な建物でした。

そして日銀旧小樽支店の向かいに建つ
石造りのビルは旧北海道銀行本店です。



こちらも1912年(明治45年)に建てられました。


小樽は運河の街という予備知識でしたが
明治から大正にかけての銀行のビルが
これ程、残っていたのは驚きでした。

この時期は札幌を凌ぐ人口だったそうで、
銀行が数多くあるのは当時の小樽の街の
賑わいを伝えていると思います。



小樽のページのTopに戻る







堺町本通り界隈
(Sakaimachi Main Street)







北のウォール街と呼ばれた日銀通り沿いの
銀行ビルを眺めた後は堺町本通に沿って
南に向かいました。

この通り沿いには、同じく明治から
大正にかけて栄えた地域で、今でも
当時の商店がいくつも残っています。


堺町本通りに入って最初に現れたのが
旧名取高三郎商店でした。



1906年(明治39年)に建てられた
木骨石造の袖壁(うだつ)の上がる建物です。
外壁には札幌軟石が使われているそうです。

今は大正硝子館となっています。



丁度、馬車が通って行きましたが
とても絵になる光景でした。


小樽運河に注ぐ「おこはち川」を渡ると
いくつもの古い商店が建ち並んでいました。
こちらは旧第百十三銀行小樽支店です。



こちらは1908年(明治41年)の木骨石造の建物です。
旧百十三銀行は、1908年(明治41年)以前には
ここよりも少し南に支店を構えていたそうです。

上部にギリシャ建築のような飾りがあります。
外壁は往時は石張りでしたが、その後
煉瓦タイルに変わっています。

堺本通りの古い建物にも案内板が整備され、
散策しているのが楽しくなってきました。

こちらは旧金子元三郎商店です。



2階の漆喰塗りの開き窓が特徴的です。
1887年(明治20年)に建てられたこの界隈でも
最も古い建物のひとつです。

海陸物産、肥料販売や海運業を営んでいたそうで、
両袖に袖壁(うだつ)が建つ姿に当時の
繁栄していたお店の様子が目に浮かびます。

旧金子元三郎商店の先に、
古い建物が三軒並んでいました。



手前の建物は吉永時計店です。
1896年(明治29年)に建てられた木骨石造の建物です。
この建物は1991年(平成3年)に改修され、
当時の姿が蘇ったそうです。
屋根の上にお城のように鯱が乗っていました。

瀟洒な時計台のある建物を挟んで向こう側は
旧第百十三国立銀行小樽支店です。
1893年(明治26年)に建てられたものです。
先程の旧百十三銀行小樽支店の以前の建物です。


しばらく歩くと道を隔てた両側に
古い商店が建っていました。



上左は旧北海雑穀株式会社です。
1907年(明治40年)に建てられています。
2003年(平成15年)に復元工事が行われています。

上右の写真は通りを隔て
西側にある旧久保商店です。
この建物も1907年(明治40年)に建てられました。
小樽では1904年(明治37年)に大火があったそうで、
その後に建てられた建物の多くが残っているようです。

この先には大きな石造りの倉庫がありました。
1891年(明治24年)に建てられた旧木村倉庫です。



当初は鰊の中継倉庫だったそうです。
かつては、この大きな倉庫一杯に
鰊が詰まれていたのでしょうか。

二つの倉庫の間には港から引き込まれた
トロッコレールも残っているそうですが
中に入らなかったので、見逃してしまいました。


幾つもの古い商店を眺めながら
堺町本通りを1km程南に下り、
入船通りとの交差点に辿り着きました。

この交差点はメルヘン交差点と呼ばれ
角に瀟洒な建物が建っていました。
この建物は旧共成株式会社の建物です。



1912年(明治45年)に建てられた
木骨煉瓦造りの建物です。

当時は米穀商でしたが今は
オルゴール専門店となり、
多くの観光客で賑わっていました。

メルヘン交差点には常夜灯もありました。



この常夜灯は1871年(明治4年)に
今の小樽港に造られた灯台です。

入船川河口に灯された光を目印に
多くの船舶が小樽に入港した事でしょう。

この灯台は1874年(明治7年)に
焼失してしまったそうですが、
平成になって復元されたそうです。

メルヘン交差点の近くには
オタルナイ運上屋跡の碑もありました。



はっきりした記録は残っていないそうですが
1716年から1735年の享保年間に
造られたと推定されているそうです。

ここは和人とアイヌ人の交易所や
松前藩の漁業経営場所内の
行政府の役割も担っていたようです。


いつもながらの駆け足の散策でしたが
小樽には思いがけず古い建物が残り、
どことなくエキゾチックな雰囲気を
感じる事が出来ました。



小樽のページのTopに戻る


北海道のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る