真壁は、茨城県中西部の街です。
2005年(平成17年)に岩瀬町、大和村と合併し、
江戸時代に入ると、真壁氏が主君・佐竹氏に従い
真壁藩二代目の浅野長重が1622年(元和8年)に
真壁には、江戸時代からの町割りが残り、
2010年(平成22年)に、真壁の古い町並みは
2011年9月に、つくばエクスプレスに乗り、
真壁城を訪れた後、真壁の集落の南側を
まず目についたのが鈴木家の表門です。
鈴木家は、肥料商を営んでいたそうで、
この先で、右手に猪瀬家住宅薬医門と塀、
猪瀬家も佐竹氏の家臣だったそうです。
上宿通りを真っすぐ西に向かうと、下宿十字路の
明治や大正時代の蔵がいくつか残っています。
下宿十字路を右に折れ、北に曲がると、
真壁陣屋跡には真壁伝承館が建ち、
下宿十字路に戻り、西に向かいました。
この先にあった伊勢屋旅館です。
明治中期の建物だそうです。
そして、伊勢屋旅館の先の交差点では、
潮田家(上写真左)と高久家(上写真右)です。
潮田家の土蔵造りの建物は、店舗と
この交差点で右に折れ、潮田家と
この通りが御陣屋前通りです。
いくつか古い建物を眺めながら、次の信号のある
この建物は旧真壁郵便局で、その前身は
交差点を越え、更に北に行った
こちらは"旅館ふるかわ"と仲町休憩所です。
そして下の写真が、川島家見世蔵です。
東日本大震災の被害で屋根に
御陣屋前通りは、この先で紺屋町通りに行き当たります。
こちらは安達家住宅です。
真壁・重要伝統的建造物群保存地区
Makabe Historical District, Ibaragi
真壁の歴史は古く、1172年(承安2年)に
真壁長幹が真壁城を築き、以降関ヶ原の
戦い迄、真壁氏がこの地を治めました。
行政区域は桜川市となっています。
角館に移封となり、その後浅野氏が真壁を治めます。
笠間藩に加増移封となった際、真壁陣屋を築き
この地を治めました。
古い建物も残っています。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
終点のつくばから、バスで筑波山口に出て、
そこからレンタサイクルで真壁に向かいました。
筑波山口から旧筑波鉄道廃線跡の様子はこちらです。
ほぼ東西に通る上宿通りに沿って、
真壁の中心部に向かいました。
撮影: 2011年9月
この門は明治後期に建てられたそうです。
左手に塚本家住宅見世蔵と薬医門があります。
撮影: 2011年9月
関ケ原の戦い後の佐竹氏の秋田移封の
際には真壁に残ったのでしょうか。
立派な薬医門は明治初期に建てられたそうです。
交差点の手前左側に、村井醸造がありました。
撮影: 2011年9月
訪れた2011年9月の半年前の東日本大震災の
被害があったのか、幾つかの建物が
ブルーシートに覆われていました。
撮影: 2011年9月
江戸時代の真壁陣屋跡に出ました。
撮影: 2011年9月
真壁の歴史を今に伝えています。
下宿十字路までは上宿通りという名前でしたが、
十字路の交差点から下宿通りと名前を変えています。
撮影: 2011年9月
交差点を挟んで二つの古い建物がありました。
撮影: 2011年9月
いずれも明治時代に建てられました。
保管庫を兼ねた造りになっていて、
見世蔵造りと呼ばれているそうです。
高久家の間の道を北に向かいました。
撮影: 2011年9月
江戸時代の真壁陣屋は、この通りの辺りまで
敷地が広がり、長屋門も建てられていたそうです。
交差点まで行くと、古い洋風の建物がありました。
撮影: 2011年9月
第五十銀行の真壁支店で、1927年
(昭和2年)に建てられています。
所にも古い建物が残っていました。
撮影: 2011年9月
大正期の木造造りの店舗です。
撮影: 2011年9月
ブルーシートが掛けられていました。
明治や大正期の建物が多く残る真壁の町並みですが、
この建物は江戸時代に建てられたものという事です。
その更に一本北側の新宿通りに向かいました。
ここは、重要伝統的建造物群保存地区には指定されて
いませんが、いくつか古い建物が残っていました。