筑波鉄道・筑波線跡
Former Tsukuba Railway
Tsukuba Abandoned Line


撮影: 2011年9月

筑波鉄道筑波線は、常磐線の土浦駅と、
水戸線の岩瀬駅を結ぶ40.1kmの路線でした。

1918年(大正7年)に全通しましたが、1970年
以降、モータリゼーションにより利用客が
減少し、1987年(昭和62年)に廃止されました。

廃止された路線跡はほぼ全線にわたって
サイクリングロードになっています。

2011年9月につくばエクスプレスに乗車した翌日、
バスで筑波山口に向かい、筑波山口から真壁まで、
レンタサイクルして廃線跡を辿りました。

その時に様子を紹介します。

筑波山口 - 真壁
(TsukubaSan Guchi - Makabe)

2011年9月17日、つくばエクスプレスに乗車し、
つくば駅から筑波山のロープウェイ乗り場のある
つつじが丘行きバスに乗車し、沼田バス停で下車し、
沼田バス停からほど近い、筑波山口にやってきました。

つくばエクスプレスの乗車記は こちらです。
筑波山の散策記はこちらです。

ここでレンタサイクルして、10km程離れた真壁まで
旧筑波鉄道筑波線の廃線跡をサイクリングしました。

真壁までは、筑波山を避けるように
西に少しカーブしながら北上しています。

筑波山口は、筑波鉄道時代の筑波駅跡です。
関東バスの拠点になっており、当時の駅舎は
今でもバスの営業所として使われています。


撮影: 2011年9月

当時は、駅舎側に片面ホームと、
もう一つ島式ホームがあったようです。
その島式ホームが今も残されていました。

筑波山口のバス停から、真っすぐ
北に延びる廃線跡を走って行きます。


撮影: 2011年9月

暫くは、筑波山口周辺の集落を走ります。
集落を抜けると周囲は田畑となり、
左手に筑波山が見えて来ました。


撮影: 2011年9月

田圃の中の低い築堤を走って行くと
次の上大島の集落に入りました。


撮影: 2011年9月

場所は確定できませんでしたが、当時は
この上大島にも駅があったようです。

上大島の集落を過ぎると、廃線跡は立派な
県道に吸収され、路肩の歩道を走ります。


撮影: 2011年9月

道路の左手には広大な田圃が広がっていました。
刈り入れ直前の稲穂が首を垂れている様子は
とても気持ちのいい光景でした。

しばらく直線道路が続きますが、
県道の東側に酒寄駅跡がありました。


撮影: 2011年9月

片面のホーム跡が僅かに残っていました。

県道は、この先も真っすぐ北に向かっています。
下の写真の先で、右にカーブを切りますが、
廃線跡はカーブの始まる辺りで、
左に分かれて行きます。


撮影: 2011年9月

県道と別れると、広大な田圃の中を
築堤が続く様になりました。


撮影: 2011年9月

筑波鉄道には乗車した事はありませんが、
自転車を走らせていると築堤に線路が
続いていた当時の様子を鮮やかに
思い浮かべる事が出来ます。

途中で築堤の幅が広がっていましたが、
当時は、ここに待避線があったのでしょうか。


撮影: 2011年9月

やがて左手から丘陵地が近づき、それを
避けるように右にカーブを切って進みます。


撮影: 2011年9月

右に曲がった辺りでは、道が不規則に
くねり、細かな起伏も続いていました。

この形状は、訪れた時に半年前に発生した
東日本大震災の被害なのでしょうか。

この先で、集落が現れ旧紫尾駅跡がありました。


撮影: 2011年9月

紫尾駅には行き違い設備があり、
上下線に相対式ホームがありました。
その、二つのホームが今も残っています。

紫尾の集落を抜けると田園風景となります。
行く手には双峰の山が見えています。


撮影: 2011年9月

この山は加波山といい、標高709m。
1884年(明治17年)には茨城県令だった
三島通庸暗殺未遂事件が起きています。

この先の集落で、再びホーム跡がありました。


撮影: 2011年9月

常陸桃山駅跡です。
片面ホームが一つあるだけの無人駅でした。

常陸桃山駅跡からは、周囲に
人家が見られる景色が続きます。

やがて真壁の集落へと入りました。


撮影: 2011年9月

広々とした田園風景を走った後では、
大きな街に入ったという印象を受けます。

真壁の集落の中を走るうちに、
小公園のような空間が見えて来ました。


撮影: 2011年9月

ここが旧真壁駅跡です。
筑波山口から旧真壁駅までの10.2kmを
1時間半ほど掛けて到着しました。

真壁を訪れた2011年9月には、バス路線は無く
真壁は全くの陸の孤島になっていました。

乗客が減少し、あっさりと廃止になってしまった
筑波鉄道ですが、線路さえ残っていれば、機動力の
高いLRTを走らせる事も可能だし、筑波山口から
つくば迄のLRTの路線を開業させれば、東京への
行き来や、筑波山の登山客なども取り込めた筈です。

それも、夢のまた夢となり、こうして
交通手段の無い過疎の地域が広がって
行くのかと思うと、寂しく思います。

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