坊津
Bonotsu

坊津は枕崎の西に位置する町です。
東シナ海に断崖が続き、岬と岬の間の
入り江に小さな集落が点在しています。

2011年4月末、指宿枕崎線で枕崎を
訪れた際、この坊津を訪ねました。

指宿枕崎線の乗車記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Train/Japan/JR/IbusukiMakurazaki.html

枕崎の散策記はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kyushu/Makurazaki.html

今は小さな漁港が点在する坊津ですが、奈良時代から
平安時代にかけては遣唐使の船の発着港として栄え、
博多津、安濃津と共に日本三津と言われたそうです。

そしてまた坊津は鑑真和上が苦労の末、
753年に日本に辿り着いた際に上陸した地です。

鑑真和上が創建した唐招提寺の様子はこちらです:
http://shanehsmt.html.xdomain.jp/Travel/Japan/Kansai/NishinoKyo.html#ToshodaiJi

2011年に訪れた際は、上手くスケジュールが
作成できず、夕方の15:45のバスで向かい、
坊津では1時間程しか滞在出来ませんでした。


撮影: 2011年4月

枕崎市内の立神のバス停から15:45のバスに乗りました。
バスは、枕崎と坊津の間の耳取峠を越えていきました。
晴れていれば耳取峠からは遠く開聞岳が見えるそうですが、
この日は曇り空でその光景が見られず残念でした。


撮影: 2011年4月

耳取峠を越えると、リアス式海岸となり漁村が現れました。
この集落は耳取峠を越えて最初の、坊の集落です。


撮影: 2011年4月

集落の外れの歴史資料センター前のバス停で下車しました。
ここには江戸時代までは番所もあったところです。


撮影: 2011年4月

江戸時代この番所では異国との貿易に対し、
厳重な警戒が行われていたそうです。

坊津は平安以降も中国との交易で栄えたそうですが、
江戸時代の鎖国政策で寂れ、それ以降静かな
港町になったそうです。


撮影: 2011年4月

歴史資料センターの裏側からは坊津の入り江の
全景が見渡せるポイントがありました。


撮影: 2011年4月

鵜ノ島と岬との間にある双剣石の様子です。
この双剣石の周辺は、2011年に名勝として
国の史跡に指定されています。


撮影: 2011年4月

坊津の眺めを堪能したのちに、岬の付け根にある
歴史資料センターから坊の集落に向かいました。

鑑真和上が上陸したのは坊から10km近くも北の
秋妻屋浦で、そこまで行きたかったのですが、
時間の余裕もなく致し方ありません。

坂道から見下ろす集落です。


撮影: 2011年4月

この集落の山沿いには一乗院跡がありました。

今は廃寺になっていますが、かつては栄えたお寺
だった様で、室町時代初期の1357年(延文2年)に
この寺を成円上人が一乗院を再興しています。


撮影: 2011年4月

一乗院跡には中興の祖・成円上人から1869年(明治2年)
にかけて、512年に亘る住職らのお墓が残っています。


撮影: 2011年4月

現在、19基のお墓が残っているそうですが、そのお墓は
切り石を立法形状に組み上げた独特の形をしています。

静かな墓地を訪れ、坊の集落を歩き、
次に近衛屋敷に向かいました。


撮影: 2011年4月

近衛屋敷は、安土桃山時代の左大臣・近衛信輔が
秀吉の怒りにふれ、1594年(文禄3年)によって
この地に流された際に、暮らした場所です。


撮影: 2011年4月

集落の中、急な階段を上ったところの龍巌寺が
その跡との事ですが、碑も見逃してしまいました。

この後、漁港まで行っていました。
以前は、中国との交易で栄えた港とは
思えない程、静かな港でした。


撮影: 2011年4月

この港の近くに石造りのアーチ橋がありました。
太鼓橋(てこばし)です。


撮影: 2011年4月

1721年(享保6年)に地元の豪商が
私財を投げ打って築いた橋です。

坊津で、一番行きたかった鑑真和上上陸の地には
時間の関係で行く事が出来ず、坊ノ浜の集落を
散策しただけでしたが、そろそろ帰りのバスの
時間が近づいて来たので、資料館の所に戻りました。


撮影: 2011年4月

見納めの坊津の景勝の眺めです。
またいつの日か、この坊津を訪れ、
鑑真和上の上陸地にも行ってみたいものです。

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