三島は静岡県東部の街です。
箱根山から伊豆半島に続く山塊の
すぐ西側に位置しています。
三島は新幹線の停車駅というイメージが一番強いのですが、
富士山の裾野にも近く市内には湧水も多く、日本三大清流の
一つとされる柿田川もすぐ近くを流れています。
また歴史ある三嶋大社もこの三島市にあります。
三島には出張で何度か訪れた事があります。
2010年秋に市内を散策しました。
その時の様子を紹介します。
(Sunpu Castle) Feb. 16, '16 |
(Kakitagawa River) Feb. 18, '16 |
(Mishima Shrine) NEW ! Feb. 20, '16 |
2010年9月、出張の機会に三島駅で
レンタサイクルし街の散策をしてみました。
三島駅前には楽寿園という広大な庭園がありますが
そこへは寄らずに、街中の湧水の名所を訪れました。
国分寺は聖武天皇の命によって日本全国に
建立された国立の寺院で、伊豆国の国分寺は、
いまの三島市泉町・広小路北方の
一体に建てられていたそうです。
当時の国分寺の広さは、東西80間(約145m)、
南北100間(約180m)もあったそうです。
当時の国分寺跡に建つ伊豆国分寺です。
現在の伊豆国分寺は1600年(慶長5年)に
再興されたもので、日蓮宗のお寺になっています。
境内には奈良時代にl国分寺建立の
詔を出した聖武天皇の碑もありました。
また境内には当時の国分寺の塔の
礎石が残っていました。
当時の国分寺は東大寺形式の伽藍で塔は一基。
中門の左手、回廊の外側に建てられていたようです。
この礎石の規模は大きく、当時は7重塔が
聳えていたと考えられているそうです。
高さは60mにも及んでいたようで,東寺の
五重塔よりも高い塔だったようです。
伊豆箱根鉄道は駿豆線と大雄山線の2路線を有し
駿豆線は三島から修善寺まで結んでいます。
三島市内には小まめに駅があります。
伊豆は頼朝が島流しに遭い、その後旗揚げした
場所で、ここも何かの由来に基づくのでしょうか
源兵白旗橋の下を流れる清流は源兵衛川です。
川の名は室町時代にこの川を拓いた
寺尾源兵衛に由来しています。
案内板には源兵白旗橋と書かれていますが
橋の欄干には「げんべいはし」とあり
どちらの由来が正しいのかちょっと迷います。
源兵衛川は楽寿園にある小浜池を源流としています。
富士山の伏流水が湧きだしたものと思います。
今では梅花藻も生える清流ですが、一時期は
工場排水で汚染されていたそうです。
良くここまで蘇ったものと思います。
源兵衛川の畔には時の鐘がありました。
江戸時代から三島の人たちに時を知らせていた鐘です。
第二次大戦の際に、供出されたものを
1950年(昭和25年)に復元したものだそうです。
この先に三石神社がありました。
源兵衛川に3つの巨石があった事からこの名が
付いたそうですが、創建はいつかはっきりしないそうです。
社殿の棟札には1761年(宝暦11年)の記載があったそうです。
この辺りは、源兵衛川の清流を眺めながら、
のんびりと過ごせる所でした。
三島にだけ繁殖していたミシマバイカが
一時期姿を消していた為、その復元・再生の為に
この貯水池が作られ、繁殖を続けているそうです。
三島梅花藻の里から、再び源兵衛川の流れに戻ると
源兵衛川の流れが広がり、水の苑緑地に辿り着きました。
ここには湧水もあり、清らかな
流れに触れることも出来ます。
川の流れの中に、梅花藻が生息しているのを
眺めるのは、とても心が癒されました。
源兵衛川に沿って南下し、
目指した先は柿田川です。
柿田川は全長1.2kmの一級河川です。
大量に湧き出す富士山の伏流水が源泉で、
日本三大清流の一つとして知られています。
柿田川は、三島市と沼津市の間にある
清水町を流れているのですが、
三島の散策として紹介します。
源兵衛川に沿って南下すると、交通量の多い
国道一号線に行き当たり、そこを西に折れ
しばらく行くと柿田川公園がありました。
ここに柿田川の源流となる
湧水スポットがいくつもあります。
国道1号線のすぐ脇に水源があり、
そこから3か所の展望台があるようです。
まずは一番上流の第一展望台に行ってみました。
交通量の多い国道一号線のすぐ近くとは思えない
木々の生い茂ったなか、急な階段で崖を降りました。
階段を下りた先が展望台になっていて
柿田川の水源を眺めることが出来ました。
この場所は、富士山から流れ出た溶岩の
端に位置しているようで、富士山に降った
雨や雪が溶岩に染み込んで地下水となり、
この場所で湧き出しているそうです。
その量はなんと日に100万トンだそうです。
この湧水が柿田川となって流れ出ており、
柿田川の水はすべて富士山の湧水だそうです。
富士山からこの柿田川の水源までは約40km。
伏流水となった水は長いもので
数十年かけてここまで流れているそうです。
またこの綺麗な流れは柿田川みどりのトラスト
という財団が保護活動をしているようです。
保護の為にこの土地を購入し、この綺麗な柿田川を
再生した地元の人たちには頭が下がります。
固定資産税だけでも年間200万円以上払っているそうで、
僅かばかりですが協力して来ました。
第一展望台から崖の上に戻り、整備された芝生の
公園を通り、第二展望台へと向かいました。
公園には案内があったのですが、戦国時代には
ここに後北条氏が泉頭城を築いていたそうです。
この泉頭城の事は、別の項を設けて紹介しようと思います。
第二展望台から眺める湧水です。
こうした湧水源を"わくま"と呼ぶそうです。
水源からは湧き上がる水の様子がよく見えますが
音もなく、静かに湧き上がっていました。
この第二展望台から眺められる"わくま"は
円筒形のコンクリート製の中から湧き出しています。
以前は、この地に湧水を利用した工場があったそうです。
そして工場から排水が垂れ流されていた為、
柿田川の水は汚染されていたそうです。
今のこの景色からは信じられない事ですが、
つい数十年前まで、この様な事が行われていた
事は覚えておかなければなりません。
第二展望台から第三展望台へと向かう途中、
深い木々の中に、貴船神社がありました。
その先にはあった湧水広場です。
ここは谷間の木陰にあり、
少しジメジメした感じでした。
そして辿り着いた第三展望台です。
ここもコンクリートの筒から湧水が出ていました。
そして、滔々と流れる柿田川です。
地元の人の活動のおかげで、この素晴らしい
流れが復活し、本当に良かったと思います。
この柿田川公園に接して、古い土蔵の建物がありました。
泉の館という食堂とお土産物屋さんです。
ここには多くの人が訪れているようでした。
三島駅の南東500m程のところに三嶋大社があります。
歴史の古い神社で、758年(天平宝字2年)の資料に
「伊豆三島神」という表記があるそうです。
三嶋大社は以前の表記は三島で、元々は
伊豆諸島を示す御島の事だったそうです。
この三嶋(三島)大社から三島の地名が出来たようです。
三嶋大社の立派な鳥居です。
旧東海道が、この鳥居のすぐ前を
東西に通っていたそうです。
鳥居の脇に"たたり石"がありました。
"たたり"は糸のもつれを防ぐ具で、往来の
交通整理の目的で置かれた石のようです。
ところが、この石を取り除こうとする度に災いがあり
"祟り"と云われるようになったそうです。
参道の脇に神池が広がっています。
写真は神池の中に浮かぶ小島に
祀られた厳島神社です。
827年(天長4年)に干ばつがあった際に
雨乞いした所、5日間に亘って大雨が
降ったという言い伝えがあるそうです。
また1185年(元暦2年)に、源頼朝が
放生会を行ったとされています。
神池を過ぎると総門がありました。
菊の御紋が、三嶋大社の
位の高さを示していると思います。
総門を抜けると左手に宝物館がありました。
あまり神社やお寺の宝物館には入らないのですが
ここには立ち寄りました。
北条政子ゆかりの品や、源頼家の自筆の書など
があり、見る価値の高い展示が多くありました。
この宝物館の先に芸能殿という建物がありました。
1868年(慶応4年)に建てられた旧総門だったそうです。
ちなみに今の総門は1930年(昭和5年)に建てられたものです。
そして神門です。
1867年(慶応3年)に建立された
堂々とした重厚感あふれる門です。
歴史があり、源氏以降の歴代の武家政権から
受篤い庇護をけてきた三嶋大社の境内は
想像以上に広いものでした。
調べてみると境内の広さは約14,000坪、
4.6ヘクタールもあるそうです。
神門を入った右手に大きな金木犀の木がありました。
樹齢1200年を超えるそうで、国の天然記念物になっています。
この金木犀の先、神門と神殿の間には舞殿がありました。
以前はここで神楽祈祷を行っていたそうですが
後に、舞の奉納に使われるようになったそうです。
南北に長い境内を歩いて、
ようやくたどり着いた本殿です。
1866年(慶応2年)に再建されています。
また国の重要文化財に指定されています。
三嶋大社の社殿は、幕末に建てられ
ものが多い事に気付かされます。
1854年(嘉永7年)に発生した安政の大地震で、
壊滅的な被害を受けた社殿が10年以上
経ってから再建された為のようです。
境内にはいくつか別宮もありました。
上の写真左が見目神社、右が若宮神社です。
これで三嶋大社を見学し終え、三島駅に戻ろうと
したのですが、神主姿の像に気が付きました。
幕末の三嶋大社の社主の養子となった
矢田部式部盛治の像でした。
矢田部式部盛治は、安政の大地震で倒壊した社殿の
復興に、私財を壱万六千両余りも投じたそうです。