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西日本鉄道天神大牟田線は、福岡市の中心、
天神から大牟田へ至る74.8kmの路線です。
九州の私鉄の勇、西鉄の「本線」にあたる路線で
天神と大牟田を結ぶ特急列車も運行されています。
西日本鉄道天神大牟田線の歴史は
1912年(大正元年)に大川鉄道が
縄手(後の上久留米) - 若津間を
開通させた事からスタートしています。
その後、1924年(大正13年)に九州鉄道が
福岡(現・天神) - 久留米(現・西鉄久留米)を開業し、
1937年(昭和12年)に九州鉄道が大川鉄道を合併し、
柳河(現・西鉄柳川)までの路線延長しています。
その後、小まめに路線延長を行い、
1939年(昭和14年)に大牟田まで開業しています。
この天神大牟田線には1992年10月に乗車していますが、
2006年11月にも大牟田から二日市まで乗車しました。
特急「リレーつばめ」号を大牟田駅で下車し、
改札を抜けて西日本鉄道(以下、西鉄と略)の
大牟田駅に向かいました。
大牟田駅に停車中の天神行きの特急電車です。
8000系と呼ばれる6両編成の車両で、
白地に赤の塗色で、お洒落な感じです。
先頭車の運転席の後ろの座席からは
進行前面の眺望がよく、車内も空いていたので
迷わずこの席に座りました。
大牟田駅停車中の車内からの様子です。
西鉄の駅は、JRの広い駅の構内に間借りした形で、
西の端の方に追いやられていますが、
乗客数は西日本鉄道の方が多くなっています。
大牟田を発車し、JRの路線と並走しました。
西鉄とJRの線路を跨いでいるのは
以前、三池炭鉱の石炭を積み出していた
貨物線の廃線跡と思います。
一駅目の新栄町で停車し、
丘陵地を抜け、JR鹿児島本線と
分かれると景色が開けてきました。
大牟田行きの特急電車との行き違いです。
この先、開で単線となり、
のどかな景色の中を走りました。
西鉄は運転本数も多いので、本線にあたる
天神大牟田線に単線区間があるのは
ちょっと意外な感じがします。
大牟田から12分で西鉄柳川に着きました。
単線区間にある駅ですが、
ホーム2面4線の堂々とした構内です。
柳川は街中にいくつもの堀が流れる水郷地で、
御花と呼ばれる立花藩主の別邸や
北原白秋の生家のある風情のある町です。
以前、天神大牟田線に乗った際には
この柳川で下車し、町を散策してみましたが
城址もあり、再訪してみたい街です。
柳川駅を発車し、沖の端川を渡ると
単線高架橋の上に設けられた
矢加部駅を通過しました。
この駅の手前で、1987年に廃止された
旧国鉄佐賀線跡をオーバークロスしています。
この辺りから筑後平野の、
のどかな景色の中を走ります。
蒲池からは複線となるとすぐに、
再び下りの特急と行き違いです。
日中、この辺りでは、特急列車と、
甘木からの普通列車が夫々
毎時2本の運転されています。
単線区間があり、特急電車で110km/hの
高速運転の行われている天神大牟田線で、
一時間4本の運行本数を確保するのも
色々、列車ダイヤの工夫も必要なのでしょう。
大善寺から再び単線区間に入りました。
5km程先の試験場から再び複線区間となり
西鉄久留米に到着しました。
西鉄久留米も、西鉄柳川と同じように
2面2線の配線になっていました。
一日の乗降客が4万人に達する
天神大牟田線の中心駅です。
この西鉄久留米駅で多くの乗車がありました。
しばらく走り、筑後川を渡ります。
筑後川を渡りきったところが宮の陣で、
西鉄甘木線との分岐駅です。
のどかな景色を走るうちに住宅が増え、
西鉄小郡駅に差し掛かりました。
写真に写っている車両は2000系といい、
この8000系がデビューする前は
特急電車に使用されていた車両です。
西鉄小郡を出ると、甘木鉄道の線路の下をくぐり、
再び、田園地帯を走るようになります。
写真は2005年8月に乗車した時のものですが
これはJR筑豊本線の築堤です。
筑豊の山が迫るようになってきました。
のどかだった景色も次第に住宅が増え、
西鉄二日市に到着しました。
大牟田から59.6kmを45分程で到着です。
単線区間もありながら、評定速度は
79km/hにもなり、なかなかの俊足です。
2006年11月に乗車した際は、この二日市で
特急電車を折り、太宰府に向かいました。
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