|
|
|
甘木鉄道は1939年(昭和14年)に開業した
国鉄甘木線だった路線です。
太刀洗にあった陸軍の飛行場への路線として
当時の国策で作られた路線です。
国鉄再建法に伴う特定地方交通線として
甘木線が廃止対象になった為、
地元の甘木市(現・朝倉市)と三輪町(現・筑前町)の働きかけで
1986年4月1日に第三セクターに転換しています。
起点の基山から甘木まで、営業キロは13.7kmです。
国鉄当時はわずか7往復だった運転本数を
現在は44往復まで増やしています。
それ以外にも駅の数も増やしたりして
利便性を向上させ、乗客を大幅に増やしています。
この甘木鉄道には1990年に一度乗った事がありますが、
2005年8月西日本鉄道甘木線に乗る際に再び乗ってみました。
博多から鹿児島本線の快速電車で南に向かい
27分程で、甘木鉄道の起点の基山に着きました。
階段を上り、甘木鉄道のホームに向かいます。
鹿児島本線の隣に甘木鉄道の線路があります。
国鉄時代には、基山駅の博多側で繋がっていた
レールも、今はプッツりと途切れてしまっていました。
この日は朝から気温が上がり、
ホームで待つだけでも汗が出てきます。
しばらく待つうちに甘木からの列車が到着しました。
平日の朝に郊外に向かう列車だったので、
発車を待つ車内は空いていました。
そんな甘木鉄道のディーゼルカーの脇を
長崎行きの特急「かもめ」が疾走していきました。
基山を発車するとしばらく
鹿児島本線に沿って南下しました。
やがて次第次第に鹿児島本線のレールと別れ、
国道をオーバークロスし、高速道路の築堤下にある
立野駅を過ぎると、のどかな景色が広がりました。
非電化の甘木鉄道では線路際に架線柱がなく、
先頭車両からの景色が広々としていました。
写真は、甘木鉄道に転換後に新設された
大原信号場の手前で撮ったものです。
第三セクター転換後はこうした施策で、
それまで見向きもされなかった鉄道が、
乗客を増やして黒字に転換した事は、
やり方によって、鉄道を再生出来る事を
実証していて、とても嬉しく思います。
やがて再び高速道路の下をくぐり、
左手に高速道路が併走するようになると
まもなく小郡です。
西日本鉄道の大牟田線を小郡駅の
すぐ東側でオーバークロスしています。
ここで上りの基山行き列車と行き違いです。
乗車した列車と行き違い列車の塗装が異なっていますが、
行き違い列車が甘木鉄道のオリジナルの塗装で、
乗車した列車は確か、宝くじか何かの宣伝用の
カラーリングだったと思います。
松崎からものどかな景色を走ります。
青い空に綿雲が浮かび、
夏そのものといった感じの光景でした。
甘木鉄道はいくつもの駅を新設した事もあって
短い間隔で、次々に駅に停まりました。
そして、甘木線建設の理由となった
太刀洗駅に到着しました。
この太刀洗駅の交換設備が国鉄時代に
取り払われたものを復活したものです。
以前は飛行場の跡地に出来たビール工場に
引込み線もあったようですが、今では
貨物の営業はもう行われていません。
太刀洗を出ると、景色も開け、
田圃が広がり、とてものどかな景色です。
甘木鉄道の小さなディーゼルカーに揺られながら、
♪踏み切りのそばに咲く・・・♪と、
「思えば遠くにきたもんだ」のフレーズを
思わず口ずさんでいました。
のどかな景色を眺めながら、
やがて進行右手に線路が見えてきました。
宮の陣から甘木へと向かう
西日本鉄道の甘木線のレールです。
基山から13.7kmの距離を32分程かけての到着です。
甘木鉄道の甘木駅の駅舎です。
貫禄のある堂々とした駅舎です。
甘木鉄道は、1986年の第三セクターへの転換後
1994年には国鉄時代末期の約2倍近くまで乗客数を伸ばし、
毎年黒字を計上する第三セクター鉄道の
中でも優等生的な存在でした。
しかしその後、乗客数は毎年減少傾向にあり
しかも2006年7月には、豪雨で宝福川に架かる
鉄橋に被害を受けて5ヶ月間ほど
部分運休を余儀なくされたそうです。
経営環境はとても厳しいと思いますが、
なんとかいつまでも運行を続けて欲しいと思っています。
終着の甘木は、秋月城の最寄り駅なので、
いつか秋月城を訪れる際に、再び
この甘木線に乗ってみたいと思っています。
|
|
|