加悦鉄道廃止跡
The Abandoned Line of Former Kaya Railway


撮影: 2012年4月

加悦鉄道は京都北部の旧国鉄宮津線の丹後山田駅
(現在の京都鉄道宮豊線与謝野駅)から加悦に
至る5.7kmのローカル私鉄でした。

加悦鉄道の開業は1926年(大正15年)の事でした。
加悦は当時、丹後ちりめんの産地で、そのちりめんを
京都方面に輸送する目的で建設されましました。

また1940年(昭和15年)にニッケル鉱山が開拓され、
その輸送も担っていました。

しかし、1985年(昭和60年)に丹後山田で接続する
国鉄宮津線が貨物営業を取りやめた為、加悦鉄道の
貨物輸送も廃業を余儀なくされ、1985年(昭和60年)
5月1日に廃線となってしまいます。

加悦鉄道の旧加悦駅には1993年に訪れていますが
2012年4月に再訪しており、その際の様子を紹介します。

加悦鉄道廃線跡
(Kaya Railway Abandoned Line)

加悦鉄道との接続駅だった丹後山田は、1990年(平成2年)に
野田川と改名し、更に2015年(平成27年)に与謝野と改称されています。

2012年4月に与謝野(訪問当時は野田川)で、豊岡行
特急「はしだて5号」を下車し、加悦へ向かいました。

京都丹後鉄道宮豊線の乗車記は こちらです。

2012年4月に訪れた際には、駅前で
レンタサイクルして加悦へ向かっています。

下車した野田川(現・与謝野)駅の駅舎です。


撮影: 2012年4月

駅を出て左手(西)に向かいました。


撮影: 2012年4月

駅前を東西に走る通りに沿って集落が広がっています。
鉄道の全盛期には、この道沿いも賑わった事と思います。

しばらく走って左手に折れると、集落を抜け、
宮福線の線路を越え、田圃の景色となりました。


撮影: 2012年4月

遠くに野田川駅(現・与謝野駅)の構内も見えています。
加悦鉄道の跡を辿って加悦迄行きたかったので、
一旦、野田川駅の方向に向かいました。


撮影: 2012年4月

加悦鉄道のホームは、野田川駅(現・与謝野駅)の
一番南に位置していて、当時の線路跡が
サイクリングロードとして整備されていました。

サイクリングロードは、駅を出て、しばらくの間は
京都丹後鉄道宮福線の線路に沿っています。


撮影: 2012年4月

サイクリングロード沿いに山羊がいました。
山羊の向こうに家並みが見えていますが、
そのすぐ手前に、宮福線の線路が走っています。

この先で、サイクリングロードは集落の中へと入っていきました。


撮影: 2012年4月

その集落を抜けると、田圃が広がる光景となりました。


撮影: 2012年4月

広々とした景色で、気持ちのいいサイクリングです。
この景色を眺めながら自転車を走らせていると
サイクリングロード脇に東屋が見えてきました。


撮影: 2012年4月

野田川休憩所と名前がついていましたが、
ここは当時の水戸谷駅跡と思います。

野田川休憩所を過ぎると、再び
田圃の景色を行くようになりました。


撮影: 2012年4月

元々鉄道路線跡なので起伏は緩やかなのですが、
野田川駅(現・与謝野駅)からはずっと平坦な
地形を走り、自転車の旅も快適です。

そして、次の集落に入りました。


撮影: 2012年4月

民家の庭先の芝桜が綺麗です。

この集落の辺りに、当時の四辻駅があった筈です。
集落の中に鉄道路線跡とは思えない程の
曲がりくねった箇所がありました。


撮影: 2012年4月

当時、この辺りには丹後四辻駅があった辺りです。
廃線から30年以上経ち、駅跡に家が建ち込め、
このようなスペースしか確保出来なくなったのでしょうか?

この先で、再び田園地帯となります。

緩やかにカーブした道が廃線跡だという事を雄弁に物語っていました。


撮影: 2012年4月

下の写真は、ホームの跡と思ってカメラに収めましたが、
この場所の少し手前が加悦谷高校前駅跡の様でした。


撮影: 2012年4月

この先からは集落の中を走るようになりました。

この先の集落で、再びホーム跡がありました。


撮影: 2012年4月

ところどころに咲いている芝桜がとても綺麗でした。
当時の加悦鉄道は、集落が続くこの辺りでは、
500m毎に駅が設けられていたようです。


撮影: 2011年9月

花の名前は分りませんが、ピンク色の
綺麗な花も咲いていました。

集落を抜けると、緩やかにカーブした先に
高層のビルが見えてきました。


撮影: 2012年4月

このビルは与謝野町の加悦庁舎です。
かつての加悦駅跡に建てられています。

与謝野町の加悦庁舎の手前(北側)、
70m程のところに加悦駅舎がありました。


撮影: 2012年4月

この駅舎は、元の場所から曳家され、東西の
向きを真反対にして現在地に据え付けられました。

1985年(昭和60年)に廃止となってから、
既に39年の年月が流れています。

以前、加悦駅にはSL広場が併設されていましたが、
訪れた当時、そのSL広場は3km程南に移設されていました。
レンタサイクルだったので、行こうと思えば行ける距離でしたが、
行かなかったのは、移設された事を知らなかったのか、
知っていても時間がなかったのか。。。
いまでは、ちょっとわかりません。

旧加悦駅舎には、往時の加悦鉄道時代の
様子が分かる資料室が設けられていました。


撮影: 2012年4月

信号機や当時の加悦駅を再現した
鉄道模型もあり、見ごたえがありました。


撮影: 2012年4月

ありし日の加悦鉄道の写真です。

この後、加悦の町並みを散策しました。

加悦の散策記は こちらです。

加悦鉄道鉄道SL広場
(Kaya Railway, Steam Locomotive Square)

2012年に加悦を訪れた際には、移設されていたという
鉄道博物館には立ち寄らずにいてしまいました。

その前に、加悦へは、1991年(平成3年)に訪れています。
この時には、鉄道博物館は営業していましたので
その際の様子を紹介します。


撮影: 1991年11月

上の写真は、2号蒸気機関車です。
製造は1873年(明治6年)、イギリスから輸入され、
大阪 - 神戸間の開業時から走っていたそうです。

このSL広場の開設は、1977年(昭和52年)だったそうです。
加悦町に用地を譲渡する事になった為、SL広場は1996年
(平成8年)に、3km程南の大江山鉱山駅跡に移転しました。

そのSL広場も2020年(令和2年)3月に閉鎖になっています。


撮影: 1991年11月

SL広場には、古いSLや、その昔、加悦鉄道を走っていた
気動車が展示されていて、しかもそれらの車両が綺麗に
整備されていて、とても感銘を受けた記憶があります。


撮影: 1991年11月

このディーゼル列車は、旧国鉄のキハ20系統でしょうか。


撮影: 1991年11月

SL広場が閉鎖になり、これらの車両は
どうなってしまったのか、気掛かりです。

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