加悦、京都府
Kaya, Kyoto

加悦は、丹後半島に位置し、丹後ちりめんで栄えた町です。
以前は、与謝郡加悦町でしたが、2006年(平成18年)に
近隣の市町村と合併し、与謝野町となっています。

かつて、加悦の丹後ちりめんを京・大阪方面に輸送するために
旧国鉄宮津線の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道宮豊線
与謝野駅)から加悦に至るローカル私鉄が存在していました。

加悦鉄道の廃線跡の散策記はこちらです。

2012年4月に、加悦鉄道の廃線跡を訪れ、
その際に加悦の町並みも散策しました。

旧加悦鉄道の終点近くに、旧加悦駅の駅舎がありました。


撮影: 2012年4月

当時の加悦駅跡からは60m程離れていますが、
駅舎自体は当時のものです。

この旧加悦駅舎から西に向かうと加悦の町並みがあります。
府道との交差点周辺にも古い建物が多くみられました。


撮影: 2012年4月

この交差点から西に足を踏み入れると、
古い建造物が建ち並ぶ一角になりました。

下の写真は、旧下村与七郎家住宅で、
以前は茅野郵便局だった建物です。


撮影: 2012年4月

周囲は古い住宅が多いように見えましたが、
織機が稼働している音が聞こえてきました。
加悦では今もちりめんの生産が続いているようです。

写真では、ちりめんの織機の音は伝わりませんので、
動画を撮ってみました。織機の音がかすかに入っています。

その昔、小学生の頃住んでいた岡崎も昔は紡績の町で、
小学校への通学路の脇に大きな紡績工場があり、
学校帰りに、織機の音が響いていました。

加悦の街中に響く音は、小学生の時に聞いた
織機の音で、とても懐かしく思い出しました。

この先の高台に実相寺がありました。


撮影: 2012年4月

ここは古い集落が集まる地区の南端に位置しています。
周囲には、他にもお寺や神社がいくつもあり、
城下町の寺町のような佇まいです。

調べてみると、加悦の町は、丹後宮津領主だった細川藤孝が
重臣・有吉立言に1580年(天正8年)に加悦の北にある
安良山城の城下町として、整備させたそうです。

安良山城は3年ほどで廃城になり、加悦の城下町としての
役割は終わっていますが、その時の名残のようです。


撮影: 2012年4月

実相寺は石段を上がったところに建つ鐘楼門が印象的でした。
鐘楼門から眺める加悦の町並みです。


撮影: 2012年4+月

実相寺から北に続く道沿いに、古い民家が建ち並んでいます。
北に続く道は「ちりめん街道」と名付けられていて、加悦鉄道が
開業する前はこの界隈で生産された丹後ちりめんが
この道を通って京都方面に運ばれたことでしょう。


撮影: 2012年4月

上の写真左側は、旧尾藤家住宅です。
旧尾藤家は、江戸時代末期の1863年(文久3年)に建てられています。
尾藤家は、生糸ちりめん問屋で、庄屋も務めたそうです。


撮影: 2012年4月

上の写真は、一階の座敷の床の間の様子です。
襖の絵や生け花が優雅な雰囲気を醸し出していました。

そして、下の写真は2階の客間と2階からの眺めです。


撮影: 2012年4月

旧尾藤家の建物がいくつも折重なっている様子や
中庭の様子が良く判ります。

旧尾藤家を訪ねた後、ちりめん街道を北に向かいました。
ゆるやかな起伏に従って家々が続いています。


撮影: 2012年4月

加悦の家並みは、製織町の特徴を色濃く残す町並みとして
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

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