東京湾クルーズ・安宅丸
(日の出桟橋 - 船の科学館前)
"Atakemaru", Cruising in Tokyo Bay
(Hinode - Museum of Maritime Science)
安宅丸は、江戸時代初期の1634年(寛永11年)に、
江戸幕府が建造した軍用船です。
当時、最も大きく豪華な船と言われ、安宅丸が
廃船となった30年後の1711年(正徳元年)に記された
「安宅御船仕様帳」や「安宅御船諸色注文書」によると
全長62m、幅16.2mもの大きさだったそうです。
その安宅丸を模した船が観光用に改造され
2011年から、東京・日の出桟橋からお台場の
船の科学館前迄のコースで運行が開始されました。
安宅丸には運行開始して程ない、2011年8月に乗船しました。
日の出桟橋は、「ゆりかもめ」の
日の出駅からほど近い所にあります。
「ゆりかもめ」の乗車記はこちらです。
日の出桟橋のターミナルビルに入り、
安宅丸の乗船時間を待ちました。
2021年1月時点で、日の出桟橋から浅草や
豊洲、お台場海浜公園などへの船が出ています。
乗船時間となり、桟橋に進みます。
安宅丸の記録は残っていないそうですが、
他藩の御座船などの記録を基に外観を復元したそうです。
別の桟橋には浅草行のフェリーも停船していました。
下の写真は安宅丸の船内の様子です。
下の写真左が一階、右が二階の様子です。
この安宅丸の建造にあたっては、「ななつ星」など、
JR九州の観光用列車のデザインで名を馳せた
水戸岡鋭治さんが監修に携わっているようです。
船内を巡るうち、船の科学館前行きの安宅丸は出航しました。
振り返って眺める日の出桟橋の様子です。
反対側には、これから進むレインボーブリッジや
月島周辺の高層ビル群が見えていました。
下の写真は安宅丸の2階デッキの様子です。
乗船した2011年8月は、3月に発生した東日本大震災の後で、
デッキには「がんばれ東北」「がんばれ東京」、
「がんばれ日本」などの旗が掲げられていました。
日の出桟橋を出航した安宅丸は、南に進路を取り
レインボーブリッジの方向を目指しました。
船首の先にレインボーブリッジが見え、それが
次第次第に大きく見えるようになりました。
やがてレインボーブリッジの下を通過しました。
「ゆりかもめ」で何度も渡った事がある橋ですが、
下から見上げるその姿は迫力がありました。
この日の夕方、レインボーブリッジを歩いて渡っています。
レインボーブリッジの南側には
幕末に江戸幕府が築いた台場があります。
お台場の海浜公園に近い第三台場は近くで見る
機会も多いかと思いますが、沖に築かれた
第六台場はなかなか眺める機会はなく、
この安宅丸からの眺めは貴重なものでした。
第三台場の様子はこちらです。
振り返って眺めるレインボーブリッジの様子です。
右側の橋台の辺りに見える木々の生い茂った
小島が第六台場になります。
この辺りから西側を眺めるとビルの間から
東京タワーも見えました。
高いビル群は品川駅周辺のビルでしょうか。
東側を眺めると、お台場のビル群が見えてきました。
安宅丸は、更に南に進路を取ります。
進行右手は、大井コンテナふ頭となり、
特徴的なクレーンが幾つも並んでいました。
この辺りで安宅丸は左に大きく舵を切り、
お台場の青海旅客ターミナルを目指しました。
青海旅客ターミナル到着時の様子です。
この桟橋の左手に船の科学館があります。
2011年8月に安宅丸に乗船した際には、
青海旅客ターミナルの隣の埠頭には
旧青函連絡船・羊蹄丸が停泊していました。
羊蹄丸は船の科学館の展示施設の一つでしたが、
安宅丸に乗船してまもない2011年9月末で展示が
終了し、2013年4月に解体されてしまいました。
船の科学館・羊蹄丸の様子はこちらです。
日の出桟橋と青梅旅客ターミナルを結ぶ安宅丸の
運行も、2019年4月12日の運行が最後となりました。
今、安宅丸は日の出桟橋を発着する
クルーズ船として運行されています。
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