土佐くろしお鉄道 中村線
(窪川 - 中村)

Tosakurosio Railway Nakamura Line
(Kubokawa - Nakamura)



乗車日:July 25, 2009





土佐くろしお鉄道中村線は、高知県西部の
窪川から中村に至る43.0qの路線です。

この中村線は、旧国鉄時代の1963年(昭和38年)に
窪川 - 土佐佐賀間が開業し、1970年(昭和45年)に
中村までの全線が開業しています。

国鉄分割民営化により、1987年(昭和62年)4月に
JR 四国に移管されますが、その僅か1年後の
1988年(昭和63年)4月に土佐くろしお鉄道の
路線として開業しています。




中村線は、窪川でJR四国の土讃線と接続し、
次の若井で予讃線と分岐しています。

土讃線の乗車記はこちらです。


JR土讃線からは特急「南風」や特急「あしずり」が
中村まで下り10本、上り9本乗り入れています。




窪川 - 土佐佐賀



2009年7月25日、須崎から特急「南風11号」に
乗車し、窪川に16:49に到着しました。

「南風11号」でも、中村まで行くことが出来ますが
普通列車で中村線を乗り通したいと思い、
窪川で下車しました。

JRのホームから土佐くろしお鉄道のホームへは
中間改札を抜けて行き来する事が出来ますが、
一旦改札の外に出てみました。

土佐くろしお鉄道の窪川駅は
JR土讃線窪川駅の脇にありました。



駅舎を抜けると、中村線のホームがあります。
JR土讃線のホームはその向こうの島式ホームです。


次の中村行普通列車は17:07発です。
窪川 - 中村間の普通列車は、下り7本
上り8本しかなく、比較的接続は良い方です。



改札を抜けると、目の前のホームに
中村行の普通列車が停車していました。



この日は夏休みの土曜日の夕方でした。

平日であれば多くの高校生が
利用するであろうこの列車は
発車時刻になってもガラガラの状態でした。

発車時刻が近づいても、乗客は殆ど
増えず、ガラガラのまま発車しました。



窪川駅を発車した直後に、
列車の後部から眺めた様子です。

土佐くろしお鉄道の線路とJR土讃線の
ホームから伸びる線路がすぐに合流しました。


窪川駅を発車し、カーブを切ると
土佐くろしお鉄道中村線は
四万十川に寄り添う様に走りました。



この辺りは太平洋から直線距離で
5km程しか離れていませんが、
全長196kmもある四万十川の
上流に近い流れです。



人家もほとんど見られない田圃の中を、
滔々と流れる四万十川を車窓から
眺めているのは、とても贅沢なひと時でした。


5分程で、次の若井駅に到着しました。



田園地帯に狭いホームが線路に
貼り付いているだけの小さな無人駅でした。

この若井駅は、JR予土線との接続駅ですが、
1両編成のディーゼルカーは何事も
ないように発車していきました。



黒煙をたなびかせながら、
若井駅を発車しました。

それまでののどかな田園風景から、
四万十川と別れ、急に長いトンネルで
山塊を抜けていきました。



トンネルを抜けると、深い山間となりました。

やがて列車は速度を落とし、
山深い川奥信号場に停車しました。

深い山間にディーゼルエンジンの
アイドリングの音だけが響いていました。



水蒸気も湧き上がり幽玄な雰囲気でした。

この川奥信号場が、土佐くろしお鉄道中村線と
JR四国の予土線の実質的な分岐駅となります。

上左の写真が、停車中の気動車の進行方向を
撮った写真ですが、真っ直ぐ続く線路が予土線で、
中村線は右に分かれて行きます。



しばらく停車していると、上りの
特急「南風」が走り去っていきました。

特急の通過を待って、発車しました。



発車すると列車はすぐにトンネルに入り、
円弧を描きながら急勾配を下っていきます。



トンネルの中で判り難いですが、
ループ線になっています。

トンネルを抜けると、先ほどの川奥信号場の
築堤が山の中腹にわずかに見えていました。



トンネルを抜けると、のどかな
山間の景色となりました。



やがて次の停車駅の荷稲(かいな)駅です。



若井駅から9.4km、特急との待ち合わせもあり、
15分程かかっての到着でした。


荷稲からものどかな景色の中を走り、
土佐佐賀に到着しました。



窪川から29分の所要時間でした。

特急停車駅の土佐佐賀で、
上りの普通列車とすれ違い、
中村に向け発車しました。



土佐佐賀 - 中村



土佐佐賀を発車すると、家々の向こうに
小さな島が浮かぶ港が見えてきました。



やがて、車窓一杯に太平洋が
広がるようになりました。



丘陵地の中腹の高い位置から
海を見下ろします。

トンネルをいくつも抜け、やがて、
海岸線との間に漁家が建ち込む
様になり土佐白浜に到着しました。



土佐白浜からもトンネルを抜けながら、
太平洋の荒波が打ち寄せる
岩場の多い海岸線を走りました。



小さな岬と岬の間の入り江に沿って走ります。
やがて長いトンネルを抜け、海岸線から
少し離れて走るようになりました。

土佐白浜から3駅目の海の王迎駅です。
2003年4月に開業した新しい駅です。



この駅名は、南北朝時代の1331年に、この地に流された
後醍醐天皇の子・尊良親王にちなんでいるそうです。
海から王を迎えた地というのがその由来だそうです。

ちなみに、尊良親王は1年でこの地を脱し、その後、
足利幕府軍と戦い、金ヶ崎で戦死しています。

中村線に乗車した際は、そんな謂れも知らず
変わった名前の駅が出来たものだ、と
思っただけで通り過ぎてしまいました。


海の王迎駅を発車し、のどかな景色の中で、
築堤の上にある浮鞭(うきぶち)駅に到着しました。



この浮鞭駅には列車行き違いの設備があり、
上りの特急「南風28号」の通過待ちの為
数分間の停車をしました。

特急「南風」の通過を待って、浮鞭を発車すると
のどかな田園風景の中を走ります。



車内は窪川を発車して以来、
ずっと数人しか乗っていません。



交通機関は満員よりも空いている方が好ましいのですが、
かれこれ30分以上も、ガラガラの状態で走っていると
人家の少ない車窓風景と共に、寂寥感が募ってきます。


次の土佐入野で、何人かの乗車があり
車内が多少賑やかになりました。

中村行の普通列車は、土佐入野を出ると
田園地帯から山間を走るようになりました。



峠を越えると、再びのどかな田園風景となります。



この田園風景は、始発の窪川の
次の若井駅で別れた四万十川の
河口に広がる平野の光景です。

若井駅から35〜36kmぶりに
四万十川の流域に入った事になります。
その間、四万十川は190kmを
超える距離を流れ下っています。


18:11、暗くなりはじめた頃、
終点、中村に到着しました。



43.0kmを1時間4分かけての到着です。



中村は以前は終着駅でしたが、
今は宿毛線が接続しています。

市の中心部からはやや離れた位置にあり、
駅前は開発の途上という感じでした。

以前は、駅前に寝台列車を使った
トレインホテルがありましたが
既に営業を中止しています。

この日は駅近くのホテルに泊まり、
翌日に四万十川を訪れた後に、
宿毛線に乗りました。

四万十川の様子は
こちらです。
宿毛線の乗車記はこちらです。





土佐くろしお鉄道のTOPに戻る

第三セクター編に戻る

鉄道旅行のいざない - 日本編 - に戻る