四万十川
Shimanto River, Japan







四万十川は四国西部を流れる川です。

日本最後の清流として知られ、
絶滅が確認された日本カワウソが
最後に目撃されたのも、この四万十川でした。

四国で大河というと吉野川を思い浮かべますが、
四万十川は吉野川を抜き、四国最長だそうです。


この四万十川の河口に発展した町が中村です。
(中村は以前は中村市でしたが、平成の
市町村合併の後、四万十市となっています。)

1468年(応仁2年)、関白の一条教房が応仁の乱を避け
この中村に移り、その子の一条房家が京都を模した
町づくりをした事で知られています。

三方を山に囲まれた中村の東には鴨川を模した
後川が、西側には桂川を模した四万十川が流れ、
一条房家が築いた碁盤の目状の街並みが残り、
大文字焼きも行われているそうです。




2009年7月、高知城を訪れた後、
土讃線と土佐くろしお鉄道中村線に乗って
中村に泊まった翌日、レンタサイクルして
この四万十川を遡ってみました。

土讃線の乗車記はこちらです。
土佐くろしお鉄道の乗車記はこちらです。


土佐くろしお鉄道の中村駅から中村の街中を抜けると、
四万十川に近いところに須賀神社がありました。



天保年間(1830年〜1843年)に古からあった
牛頭天王がこの地に移され、明治になって
須賀神社と名を変えたようです。

小さな社があるだけの須賀神社でしたが、
飾られた注連縄は立派でした。



この須賀神社は、中村城址の南の端に当たります。

中村には土佐藩の藩祖となった山内一豊の
弟、康豊が1601年(慶長6年)に2万石を分与されて
この地を治め、その後、1656年(明暦2年)に二代藩主・
忠義の子・忠直が中村藩を再興したと言われています。

中村城址にも立ち寄りたかったのですが、
この須賀神社から更に西を目指します。

すぐに街並みが尽き、
四万十川の流れが現れました。

赤い鉄橋の四万十橋を渡りました。



四万十橋は頻繁に車が行きかっていましたが、
四万十川の滔々とした流れは、
そんな慌ただしい現代の時の流れを
超越しているようでした。


右岸の堤防に沿って川を遡りました。



堤防の西側にはのどかな田園風景が広がっていました。
四万十川の立派な堤防に沿って自転車を走らせていくと
赤とんぼが並ぶように一緒に飛んでいました。



堤防を遡ると、河口付近の平野の端となる
山々が段々と近づいて来ました。

広い四万十川の河原も山間に近づくにつれ次第に狭くなり、
堤防から川面が良く見えるようになりました。



滔々とした四万十川の流れの
対岸には丘陵地が続いています。

季節外れの鶯の鳴き声も聞こえて来ました。


平野が尽き、四万十川が寄せる
山沿いの道を登って行きます。



この辺りは四万十川が大きく蛇行しています。

山沿いの道から眺めた四万十川の様子です。



梅雨の末期で、水量豊富な
四万十川が滔々と流れていました。

この先で、僅かばかりの田畑が開けると
佐田沈下橋が見えてきました。



沈下橋は、河原と同じ高さに架けられた橋で、
増水時には水没し渡れなくなる事を
前提に架けられています。

増水時に洪水の原因にならないように欄干はなく、
梅雨末期の増水で勢いを増す四万十川が、
すぐ足元を流れていくのは、スリルがありました。



佐田沈下橋から眺めた四万十川の流れ。

ダムによる取水が殆どない事もあり
水量豊かな、本来の川の流れです。



佐田沈下橋を往復して、四万十川の
右岸に戻り、更に上流を目指しました。

佐田沈下橋の袂で、老夫婦から声を掛けられ、
この上流、それ程遠くないところに
もう一つ沈下橋があると聞いていたのです。


再び、山に迫る四万十川の流れを避け
山の中腹まで坂道を上って行きました。

そこから眺める佐田沈下橋の様子です。



後で調べてみると、四万十川には支流を
含めると47もの沈下橋があるそうです。

山道を15分程、自転車を走らせると
不意にもう一つの沈下橋が現れました。



三里沈下橋です。

ここは四万十川が大きく蛇行している
箇所に架けられています。


山間や川面に水煙が立ち込め幽遠な感じです。

沈下橋の上で佇んでいると、
上流から屋形船が下って来ました。



小さな屋形船が次第に大きくなり、
足元を通り過ぎていくのを眺めているのは
とても心豊かなひと時でした。


しばらくこの三里沈下橋で時を過ごした後、
中村駅を目指して自転車を走らせました。
帰り道は四万十川左岸の道を走りました。



高い位置から眺める四万十川と佐田沈下橋です。

こうしてみると四万十川の川幅は
かなり広く、よく欄干のないこの橋を
渡りきったものだと思います。


やがて、垂れ込めていた雲から
夕立の様な強い雨が降りだし初めました・・・



四万十川から離れ、トンネルを抜け
後川の流域へと向かいます。

四ヶ村溝の水車という見所があるのですが
全身ずぶ濡れで、とてもその気力は
有りませんでした。



地元の農協の野菜販売店のような
ところで少し雨宿りしていましたが、
雨脚は弱くなりそうもなく、
ずぶ濡れのまま中村駅に向かいました。



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