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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



AIZU マウントエクスプレス
(鬼怒川温泉 - 会津若松)

AIZU Mountain Express
(Kinugawa Onsen - Aizu Wakamatsu)



乗車日:Dec. 18, 2006






AIZU マウントエクスプレスは、会津鉄道が
東武鉄道の鬼怒川温泉駅から野岩鉄道を通り、
会津若松まで運行している快速列車です。

西若松 - 会津若松間の
JR東日本区間も合わせ、
4社間を直通し95.0kmを走る列車です。

江戸時代の会津西街道にほぼ沿った
山間のルートを走り、95.0kmを
約2時間掛けて走ります。

運行は一日3往復ですが、いずれの列車も
鬼怒川温泉で東武鉄道の特急列車や
JR新宿からの特急列車に接続しており、
浅草や上野から、会津若松まで
約4時間で結んでいます。


東武鉄道・スペーシアきぬがわの乗車記はこちらです。



AIZU マウントエクスプレスが運行を
開始したのは2002年3月23日の事です。

名古屋鉄道がJR高山線に乗り入れていた
特急「北アルプス号」を廃止した際に、
会津鉄道がこの特急用車両を購入し、
快速列車としての運行を開始したのです。

このAIZU マウントエクスプレスには
いつか乗りたいと思っていたのですが、
2006年12月の南東北旅行の際に
それが実現しました。
鬼怒川温泉で温泉に浸かった後、鬼怒川温泉 15:13発の
AIZU マウントエクスプレスで会津若松を目指しました。

鬼怒川温泉の様子はこちらです。

AIZU マウントエクスプレスで使われているキハ8500系は、
JR東海の「ワイドビューひだ」用のキハ85系とほぼ同じ車両で、
広い窓や座席の位置が高く車内からの展望が楽しめる車両です。



先頭車両からは、前面展望も楽しめ、
なんとか一番前の座席に座りたいと思っていたのですが、
15:13発のAIZU マウントエクスプレスは
僅かばかりの乗客を乗せて発車しました。

発車して車窓左手に鬼怒川温泉の
ホテル街を眺めながら進みます。



鬼怒川に沿ってカーブを曲がりながら
鬼怒川公園駅を過ぎしばらく行くと、
新藤原駅に到着です。



この駅は東武鉄道と野岩鉄道との接続駅です。

野岩鉄道は1986年10月9日に開業した
比較的新しい第三セクターの鉄道で、
ここから先は、鬼怒川の渓谷に沿うことは少なく、
長いトンネルで山を貫き、谷を橋で跨いで、
直線的な線路配置になっています。

トンネルが連続し、長い小網トンネルを
抜けたところが川治温泉駅でした。



急斜面の山肌にへばりつくような高架の駅に、
浅草行きの普通電車が待ち合わせていました。

川治温泉駅に停車中の前方の車窓風景です。



鬼怒川の作る渓谷を一跨ぎして、
対岸の山肌に真っ直ぐ突き当たり、
トンネルで抜けて行きます。

渓谷に架かる橋からの眺めです。



下流にダムがある為か、水量豊かな
静かな流れの鬼怒川でした。

そして、トンネルを抜けると川治温泉の
温泉街が車窓右手に見えてきました。
この景色を眺めると、再び長いトンネルに入ります。
長いトンネルの中で列車はスピードを落とし、
駅に到着しました。



トンネルの中にある駅、湯西川温泉駅です。
トンネルの出口はすぐ間近に迫っていて、
五十里湖を跨ぐ鉄橋の向こうに、
次のトンネルが口を開けていました。



ここからもしばらく、トンネルが連続します。
トンネルを抜けると、周囲は雪景色になっていました



針葉樹が雪に覆われ、山肌が雪に煙っています。
山間を越え、雪国に足を踏み入れたようです。

まだ午後3時半頃ですが、どんよりとした天気と
深い山間を走っているせいか周囲は薄暗くなっています。

周囲には集落も少なく、
針葉樹の森が線路際まで迫っています。



暖かな車内から、雪が織り成す
墨絵の様な景色をぼんやりと眺めるうちに、
次の停車駅、上三依塩原温泉口駅に到着です。
駅に停車中の車内からの眺めです。



ここで再び、浅草行きの普通列車と交換しました。
山深い、この上三依塩原温泉口駅の
一日の乗降客数は45人とのことです。

上三依塩原温泉口からは再び、
寂しい山間の景色が続きます。

山はいよいよ深くなり、長いトンネルを越え、
会津の国に入りました。
そして会津高原尾瀬口駅に停車しました。



新藤原から30.7kmの距離です。
野岩鉄道の営業区間はこの会津高原尾瀬口までで、
ここからは会津鉄道の路線となります。

会津鉄道は旧国鉄の会津線だった路線です。
会津線は国鉄再建計画で廃止対象となる
第二次特定地方交通線に指定され、
JR化後の1987年7月16日に第三セクターの
会津鉄道として再スタートしています。

会津高原尾瀬口は国鉄時代は
会津滝ノ原という名前の終着駅で
会津線が会津滝ノ原まで開業したのは
1953年11月8日の事です。

会津滝ノ原まで乗車した事があるのですが、
1両のディーゼルカーがひっそりと
停車する姿の似合う寂しい終着駅でした。

その後、電化され浅草への直通電車が乗り入れ、
名前も会津高原尾瀬口と変わりましたが、
駅舎は当時の様子を残しています。

会津高原尾瀬口からも寂しい山間を走って行きます。
空が少し明るくなり、山間の景色が
良く見えるようになってきました。



野岩鉄道の区間は険しい山間で、
トンネルも多かったのですが、
会津鉄道では、阿賀川に沿う谷間を
淡々と走って行きます。

谷に積もった山の向こうに針葉樹の茂った
山々が連なるという景色が続いています。

会津高原尾瀬口から15分程で、
会津田島に到着しました。



この会津田島で9分の停車です。
ホームの向側には、浅草行きの
普通列車が発車を待っていました。

電化区間もこの会津田島までです。
夏や秋の行楽シーズンには、この会津田島まで、
スペーシアが乗り入れれば、とふと思います。

会津田島を発車したのは、16:21。
車窓も、かなり暗くなり、車内の蛍光灯が
車窓にはっきり映るようになりました。

車窓に流れる雪原の様子です。



やがて夕闇が辺りを包み、
知らず知らずのうちに
居眠りをしてしまいました。

気が付くと、車窓は真っ暗でした。

明るければ、塔のへつりと呼ばれる渓谷や
日本で唯一の萱葺き屋根の駅舎、
湯野上温泉駅も見られます。
湯野上温泉駅は、江戸時代の会津西街道の宿場が
当時のまま残る大内宿の最寄り駅です。

大内宿の様子はこちらです。

真っ暗な車窓に、家々の灯りが見えるようになり、
その数が次第に増え、終着の会津若松に着きました。



鬼怒川温泉から2時間13分の旅でした。


この会津若松へは、新幹線を使うと、
東京駅からは2時間半程度で着く事が出来ます。
特急券と乗車券をあわせ、9020円。

片や、浅草からの東武特急と
AIZU マウントエクスプレスの
乗り継ぎでは約4時間の乗車時間で、
運賃と特急券を合わせ、4140円です。

のどかな景色の楽しめる、
このルートはお薦めだと思います。


この日は会津若松に一泊し、
翌日、会津若松の街を散策しました。

会津若松の旅行記はこちらです。



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