酒田
Sakata, Japan







酒田は庄内平野の北の端、日本海に面した街です。
鶴岡が鶴岡城の城下町として栄えたのに対し、
酒田は北前船の貿易によって栄えた商人の町です。

2007年の夏、仙台から陸羽東線、陸羽西線に乗って
東北地方を横断し、鶴岡を訪れた後に酒田に向かいました。

JR陸羽東線の乗車記はこちらです。
JR陸羽西線の乗車記はこちらです。
鶴岡の様子はこちらです。


この日は朝早く仙台を出て、充実した一日でした。
さすがに酒田に着く頃には、さすがに
長い夏の陽も暮れかかっていました。



この日は酒田で一泊し、翌日の
午前中に酒田の街を散策しました。



山居倉庫
(Sankyo Souko Warehouses)


酒田で泊まったホテルが、丁度山居倉庫のまん前で
朝食を食べ終えてすぐに散策に出かけました。



山居倉庫は1893年(明治26年)に建てられた農業倉庫です。

酒田の街の南側を流れる新井田川沿いに
12棟の倉庫が建ち並んでいます。



今でも現役で使われていて、構内には
時折フォークリフトが走っています。

その倉庫の一角に昔ながらの船が置いてありました。



江戸時代から使われていた庄内の内陸部と
酒田港を物資を運んでいた小鵜飼舟です。

山居倉庫の奥には三居稲荷神社が
ひっそりと佇んでいました。



もともとこの地にあった山居稲荷に、
この倉庫群を立てた際に、旧酒井家の太郎稲荷と
徳川家の禎祥稲荷を併祀して、この名になったそうです。

神社に向かう途中の倉庫の側面です。



屋根が二重になっていますが、これは
なるべく風を通して、倉庫の内部の温度が
上がらないように工夫されているようです。

そして倉庫の裏の欅並木です。



この欅並木も夏の西日と日本海からの強風を防いで
倉庫を一定の温度に保つ為に植えられたそうです。

朝陽を浴びて、欅が輝いているようでした。



旧鐙屋と本間家旧本邸
(Old Abumiya Residence & Old Honmake Residence)


山居倉庫を訪れた後は、街中にある
北前船で財を成した鐙屋と
本間家の邸宅跡を訪れました。

山居倉庫から旧鐙屋へ向かう途中、
市役所に大相撲の幟がはためいていました。



夏の巡業で酒田でも大相撲が開かれるようです。

旧鐙屋は市役所のすぐ向かいにありました。



鐙屋は酒田を代表する廻船問屋で、
1608年(慶長10年)には最上義光から
鐙屋の屋号を与えられたそうです。

この鐙屋の繁盛ぶりは井原西鶴の
「日本永代蔵」にも書かれているそうで、
表口三十間、奥行き六十五間もの広さだったそうです。

当時の建物のごく一部の居宅地が
残っているだけだそうですが、
内部には帳場もありました。



こちらは通り庭と呼ばれる土間の様子です。



その通り庭から眺めた庭の様子です。



積み重ねられた火消し用の手桶が
とても印象的でした。

旧鐙屋も、鶴岡の丙申堂と同じように
石置屋根となっていました。



こちらの方が置かれている石の大きさが小さく、
酒田と鶴岡で違いがあるのが興味深いです。
ピンクの花が綺麗でした。

邸内に残る土蔵です。



土蔵は建物の内部に造られていて
外からはそれとはわからない構造になっています。

酒田の商人の繁栄ぶりは、それはたいそうなもので
それを隠す為に、質素な石置屋根や土蔵を
このような造りにしたのでしょうか。

旧鐙屋から東側にある本間家旧本邸に向かいました。
その途中「玉志近江屋三郎兵衛宅跡」の碑がありました。



芭蕉が奥の細道紀行の際に逗留したのでしょうか。

本間家旧本邸は旧鐙屋から1ブロック、
200m程のところにありました。

本間家は初代・久四郎原光が1689年(元禄2年)に
開いた新潟屋がその始まりです。
三代・光丘の代に千石船の商いを始め
財を成したようです。

旧本邸の前、道を隔てて建つ「お店」です。



本間家旧本邸は三代・光丘が幕府巡見使一行の
本宿として荘内藩主の為に新築し、
その後拝領したものという事です。

堂々とした門構え。



玄関の様子も、格式を感じます。



本間家は2000石の士分を有しており、
書院造りの武家屋敷商家造りが一体となった
珍しい造りになっているそうです。

この薬医門も、武家屋敷の一面を伝えています。



質素な感じの庭の様子です。



本間家旧本邸をのんびりと見て回りました。



その他の見所
(Other Sights)


本間家旧本邸を訪れた後、
海晏寺を訪れました。

酒田の街中を歩いていくと、石垣の上に
土塀の連なる古風な雰囲気の
海晏寺に辿り着きました。



海晏寺は1394年(応永元年)に
創建された曹洞宗の古刹です。

この海晏寺には1999年(平成11年)に
建てられた三重塔があります。



三重塔はやや小ぶりな印象でしたが、
つい最近建てられたものとは思えない
風格が漂っていました。

海晏寺界隈は多くの寺が集まる寺町になっています。
海晏寺は元々は向酒田と呼ばれる、
宮野浦に建てられてそうですが、
1613年(慶長18年)に、他のお寺と
共に今の地に移築されたようです。


海晏寺から西に歩き、浄福寺に向かいました。
浄福寺はひっそりとしていて、境内に生えている
雑草からもどこと無く夏の暑さの気だるさを感じました。



この浄福寺は、本間家三代目・本間光丘が
寄進した唐門で知られています。



今から約200年程前、1800年(寛政12年)に
建てられたこの門は京都・東本願寺の
大谷宗祖廟を模して建てられたものだそうです。


海晏寺と浄福寺を訪れ、
山居倉庫近くのホテルに戻りました。

ホテルの近くで思いがけず、
酒田町奉行所跡を見つけました。



冠木門が復元されていて、
当時の面影を伝えています。

この酒田奉行所は1622年(元和8年)に
酒田忠勝が荘内藩主として入封した際に
設けられ、酒田の町の治安の維持や
町政を取り仕切っていたそうです。


酒田の町のごく一部の散策でしたが
見所も多く、充実した街歩きになりました。
当時の北前船貿易の賑わいが
現代にも伝わっているような酒田の街でした。

酒田の街を散策したあと、最上川下りを楽しみ、
その後「きらきらうえつ」で新潟に向かいました。

最上川下りの様子はこちらです。
羽越本線の「きらきらうえつ」の乗車記はこちらです。




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