八代は熊本県南部の有明海に面した街です。
明治以降は八代港が整備された事で
2011年5月に、八代城を訪れた際に
八代城本丸跡の北側に松井神社があります。
神社の境内にある臥竜梅です。
丁度、キショウブが綺麗に咲いていました。
松井神社の小さな本殿です。
松井神社があった所は、八代城の北の丸だった
松井神社から西に向かい、道路を
1688年(元禄元年)に、八代城代・第三代の
松浜軒は池泉回遊式の大名庭園です。
池の淵に建つ、母屋の佇まいが落ち着いた風情でした。
松浜軒にはいくつか石塔がありました。
こちらは園内の稲荷神社です。
京都の伏見稲荷を勧請して創建されたと
大名行列に参加する武士の人数が、
松浜軒を訪れた後、八代の街中を南に向かいました。
澤井家は、1621年(元和7年)に細川忠興の
現存の母屋は幕末の1865年(慶応元年)に建てられました。
澤井家住宅のある辺りは、江戸時代には
澤井家住宅から球磨川と前川に挟まれた中洲の
前川の堤防の袂に、河童の像がありました。
ここは当時、札の辻があったところで、肥後と
上の写真の河童の像は、仁徳天皇の時代に、
この日は小雨模様の天気で、前川の流れには霞が
川辺の葦の景色が、今では懐かしい
八代
Yatsushiro, Kumamoto
江戸時代には、八代城が置かれていました。
薩摩藩への抑えとして肥後藩では熊本城との
一国二城が許されていたようです。
工業都市として発展しています。
市内も史跡も立ち寄ってみました。
八代城の城代だった松井氏を祀る神社で
1881年(明治14年)に建立されています。
草の緑に紛れて見難いですが、細川忠興が
八代に居住した際に、植えたと伝えられています。
撮影: 2011年5月
祭神は松井氏初代で、肥後細川家の
筆頭家老だった松井康之、二代・興長です。
江戸時代には、松井家代々の居館がここにありました。
撮影: 2011年5月
所で、境内には石垣も残っていました。
撮影: 2011年5月
渡ると松浜軒という庭園があります。
撮影: 2011年5月
松井直之が母・崇芳院尼の為にお茶屋
として建てたものだそうです。
撮影: 2011年5月
九州にはこのような大名庭園が他にも幾つか残っているようです。
柳川の松濤園、熊本の成趣園(水前寺公園)、鹿児島の仙厳園、
そしてこの松浜軒がその代表です。
仙厳園の様子はこちらです。
撮影: 2011年5月
撮影: 2011年5月
言われているようです。
いつも一人多く、それがこの神社の
狐の仕業だったと伝わっています。
ここに澤井家住宅と長屋門があります。
撮影: 2011年5月
六男・岩千代が松井家の養子になった際に
澤井清三郎が松井家に派遣されて以降、
松井家の家臣になっています。
上級武士の屋敷が多く建っていたそうです。
ような麦島へ向かおうと更に南に向かいました。
この中洲には麦島城址があります。
撮影: 2011年5月
薩摩を結ぶ薩摩街道の要所でもあったそうです。
中国から九千匹の河童が海を渡って
この地に上陸した事が由来だそうです。
撮影: 2011年5月
かかり、河童が現れてもおかしくない雰囲気でした。
撮影: 2011年5月
なかなか見られない光景でした。