渋谷は東京の中でも若い人の街と言われているようです。
色々なイベントがあると、駅前のスクランブル交差点が
TVニュースに映る様子も日常になってきました。
幼い頃に渋谷で暮らしたという宮脇俊三氏の著書
によると、今ではビルが立ち並ぶ渋谷も、第二次
大戦前頃までは原っぱが残っていたりしたそうです。
今の渋谷からはとても信じられませんが、
『春の小川』という唱歌は、渋谷を流れる
渋谷川の情景を詠ったものだそうです。
渋谷は、鉄道の乗り換えは何度もしたり、
一時期は通勤途上の駅でもありましたが、
馴染みのない街で、あまり街を
歩いたことはありません。
そんな僕にとっての渋谷ですが、
少しばかり訪れた際の様子を紹介します。
渋谷駅はJR山手線の駅に、JR湘南新宿ライン、
東急東横線、田園都市線、京王井の頭線、
そして東京メトロ銀座線、副都心線が
接続する一大ターミナルです。
山手線の乗車記は こちら です:
東急各線の乗車記は こちら です:
全ての利用者を合わせると一日の乗降客数は
200万人を超える程の人が利用する駅です。
地下鉄の銀座線が高架橋を走り、JRの駅の上の
ホームに到着する様子は、鉄道ファンにとっては
憧れの光景でしたが、時の移りの早い都会では、
この景色も既に変わっている事と思います。
そして渋谷駅北西側のハチ公改札口を抜けると、
東急電鉄の車両が置かれています。
この車両は、東急での活躍を終えると、
全国各地の私鉄で第二の活躍の場所を
得ていて、何度か乗ったことがあります。
その一つ、熊本電気鉄道の乗車記は こちら です:
この脇には名高いハチ公の銅像があります。
ハチ公が渋谷駅を訪れていた当時は
まだこの辺りも長閑な雰囲気が
残っていた事でしょう。
上の写真は渋谷駅東側の様子です。
この辺りも変貌が激しいようで、今では
全く異なった景観になっている事と思います。
渋谷という地名は、現在の神奈川県大和市渋谷に
本拠地を持っていた渋谷氏が、この地を治めた
事から名付けられたと思います。
ビルが建ち並んでいるので、わかり難いですが、
渋谷は地形的には渋谷川が刻む谷に位置しています。
今は、ドブ川のような渋谷川ですが、
この川の流れが、「春の小川」に
詠われたのは隔日の思いがあります。
この谷の東側の坂道が宮益坂、
そして西側が道玄坂になります。
上の写真は宮益坂です。
この宮益坂を登ると表参道にです。
渋谷駅から東に向かうと金王八幡宮があります。
金王八幡宮は周囲よりも一段高い所に位置しています。
この金王八幡宮が創建されたのは1092年(寛治6年)です。
この神社を創建したのは河崎基家で、その子・
重家が鎌倉街道の要所のこの地に館を構え、
以後、重家は渋谷氏を名乗り、金王八幡宮は
渋谷氏の氏神として尊崇されたそうです。
境内には神門や茅の輪がありました。
こちらは金王八幡宮の本殿です。
この金王八幡宮が、渋谷氏の居城・
渋谷城の跡地と言われています。
渋谷城の登城記は こちら です:
渋谷駅から一駅新宿方面に行くと原宿駅です。
原宿も若い人には人気の街です。
この原宿駅の駅舎は1924年(大正13年)に竣工したもので、
都内の現存木造駅舎としては最も古いものだったそうです。
過去形になっているのは、2020年3月21日に以前の駅舎は
現役を退き第三代目の新しい駅舎が開業しています。
原宿を通る山手線の乗車記は こちら です:
新宿の高層ビルから南の方角を眺めると
広大な緑地が広がっています。
この緑地が明治神宮です。
明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社です。
この神社は1920年(大正9年)に
創建された歴史の新しい神社ですが、
境内の広さは70万平米におよび、
お正月の参拝客数日本一を誇ります。
明治神宮の最寄り駅は原宿駅です。
駅舎を出てすぐ右に折れて明治神宮を目指しました。
明治神宮の境内に入ると、
深い木々の間に鳥居があり
参道が続いていました。
参道を歩いていくと深い杜に包まれます。
古くからこの杜があったように錯覚してしまいますが、
大正になって、この地に明治神宮を造るまでは、
このあたりは田畑が広がっていたそうです。
大正の初めに植林した人工林が
この深い杜になっているとは驚きました。
その一角に代々樅の大木があったという
案内板がありました。
この代々樅の大木から代々木という
地名が出来たそうです。
鬱蒼とした杜を歩いていると
御苑の入り口がありました。
この御苑は江戸時代は、彦根藩主の
井伊家の下屋敷だったそうです。
彦根城の様子はこちらです
この時は既に閉門時間を過ぎてしまっていましたが、
面積は25,000坪にも及ぶ広大な庭園だそうです。
この御苑の入り口の先で参道は左に折れ、
大きな鳥居が見えてきました。
高さ12メートル、日本一大きな木造の鳥居だそうです。
鳥居の原木は樹齢1,500年にも及ぶヒノキだそうです。
長い参道を進み、左手に折れると
立派な楼門が見えてきました。
ここから内苑です。
堂々とした外拝殿の向こうに
内拝殿が見えていました。
外拝殿の写真を撮っていたら、警備の方に、
真ん中からは写真を撮らないようにと
注意を受けてしまいました。
明治神宮の更に西側には代々木公園があります。
代々木公園は、第二次大戦前は陸軍の練兵場だった所で、
第二次大戦後は連合軍の宿舎になり、1964年(昭和39年)の
東京オリンピックでは一部が選手村として使用され、
1967年(昭和42年)に公園として一般公開されています。
公園内に入ると広々とした芝生が広がっています。
代々木公園の敷地は54万平米もあります。
東京都内では5番目に広い公園です。
東京は、緑の少ない大都会とも言われます。
海外の大都市と比較すればそうなのかもしれませんが、
日本でば、突出して緑が多い都市と思います。
子供の頃、流行っていた青春ドラマで
この代々木公園が舞台になっていました。
この時は平日だったと思いますが、
広い公園にはのんびりと時を過ごす
人達がいて、豊かな時が流れていました。
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