東京 / 六本木界隈
Roppongi Area in Tokyo
TVでは、よく東京の地名を耳にしますが
実際にその地名がどこを指しているのか、
地方に住む僕にとっては、分かり難いものです。
六本木もそのひとつで、地図でみてみると、
すぐ近くに赤坂や青山という地名があり、
六本木とはどの範囲をさす地名なのか、
よく分かりません。
六本木一丁目の地下鉄の駅は、
虎ノ門や東京タワーのある神谷町からは
目と鼻の先で、歩いてもすぐに行ける距離です。
また六本木駅から程近い、東京ミッドタウンや
乃木坂は町名は赤坂になっています。
本来なら赤坂界隈で紹介すべきでしょうが、
この六本木界隈で紹介しようと思います。
手元にある元禄江戸図を見ると
六本木という地名が記されています。
ごく狭い地域を指していたようで、
当時は、六本の木があったのでしょうか。
周囲には武家屋敷が連なっていたようです。
六本木一丁目
東京メトロ・南北線の六本木一丁目駅東側には
高層のオフィスビルが建ち並んでいます。
寛永・慶応の江戸切り絵図によると、
六本木一丁目周辺は相馬(中村)藩主・
相馬大膳亮の下屋敷だったようです。
ちなみに有名な丹下左膳は相馬大膳亮の
家臣という設定だったようです。
神谷町駅から坂道を上っていくと
綺麗な街路樹の小道がありました。
ビル街の中に、こうした街路樹を見ると
いつもホっとしか気持ちになります。
この日は、六本木1丁目近くの
高層ビルで仕事がありました。
仕事が始まる前にビルから写真を撮りました。
ビルとビルの間に新宿の
高層ビル群が見えていました。
手前左の高層ビルは
東京ミッドランドだと思います。
そして、南西の方角には
六本木ヒルズが見えていました。
スモッグがかかり、高層ビルが
浮き上がっているように見えました。
仕事を終えると、その景色が
茜色に染まっていました。
赤く染まった空に高層ビルがシルエットと
なっている夕暮れの東京の景色も
なかなかいいものだと思いました。
地下鉄の駅に向かう途中の景色です。
黄昏の空に、灯りがともるビルの景色も
心に沁みるような景色でした。
乃木坂
2008年の7月末に、国立新美術館近くに
出張の機会がありました。
この近くに乃木神社があったので、
お昼休みに行ってみました。
東京メトロ千代田線の乃木坂駅を
出たところの陸橋からの景色です。
起伏が激しい地形で、陸橋から
見える道路は、左に折れて急勾配となり
東京ミッドランドへと続いています。
この辺りは、江戸時代には丹波福知山藩主・
朽木近江守上屋敷だったようです。
福知山城の様子はこちらです。
そして、この西側は美濃郡上藩主・
青山大膳亮の邸宅だったそうです。
徳川家康が江戸の街づくりを始めた際、
家臣の青山常陸介忠成が、家康から
「馬に乗って一回りした範囲の土地を与えよう」
といわれ、広大な土地を拝領したそうです。
青山という地名は、この青山氏の
名前が由来になっています。
上の写真の右手に見える杜に
乃木神社と旧乃木邸があります。
陸橋から階段を下ると、
乃木神社の一の鳥居が聳えていました。
乃木神社は、日清・日露戦争で活躍した
陸軍大将・乃木希典大将を祀った神社です。
鳥居をくぐり、右手の階段を上がっていくと
乃木神社、左手に向かうと旧乃木邸に至ります。
乃木希典は、この乃木坂に程近い所にあった
長府藩主・毛利邸で生まれ、その後下関の
長府に移り住んでいます。
長府の乃木邸跡を訪れた事がありますが
あまりに質素な家で、驚きました。
下関の様子はこちらです。
乃木将軍は1879年(明治12年)から、
この地に居を構えたそうです。
現存する乃木邸は1902年(明治35年)に新築されたものです。
フランス軍隊の建物を模して建てられたという
乃木邸は無骨で、そして質素な佇まいでした。
2階建ての建物の一番奥の部屋で
乃木将軍は、明治天皇の崩御に殉じて
妻とともに自刃したそうです。
1912年(大正元年)の事だったそうです。
旧乃木邸の隣に乃木家祖霊社がありました。
とても厳かな雰囲気の社で、
ここには乃木希典の祖先と
子息を祀っているそうです。
旧乃木邸の敷地内には、
乃木大将と辻占売り少年像
という像もありました。
この像は、1891年(明治24年)に乃木少将(当時)が
金沢を訪れた時に、8歳で辻占売りをしながら
家計を支えていた今越清三郎少年に
出会った場面を伝えています。
乃木少将は今越少年の様子に感銘を受け
金弐円を渡して励ましたという
エピソードがあるそうです。
旧乃木邸を訪れた後に
乃木神社に向かいました。
静かな境内で、熱心に参拝を
している女性を見かけました。
乃木神社の境内には正松神社もありました。
この正松神社の祭神は玉木文之進と
吉田松陰だそうです。
玉木文之進は松下村塾を創設した人で
吉田松陰の叔父にあたります。
吉田松陰は、密航の罪で蟄居している際に
松下村塾を玉木文之進から引継ぎ、
高杉晋作や久坂玄随など多くの
人物を輩出しています。
この正松神社を見て、
萩の様子を懐かしく思い出しました。
松下村塾ある萩の様子はこちらです。
また都内の松陰神社はこちらです。
乃木神社から乃木坂を上っていくと
東京ミッドタウンの高層ビルが見えてきます。
ここは長府藩主・毛利家の中屋敷だったところです。
乃木大将が生まれたのも、この場所です。
当時からは想像もつかない変貌と思います。