東京 / 丸の内界隈
Marunouchi Area in Tokyo




丸の内は東京駅とその東にある
皇居(旧江戸城)との間の一角です。





1914年(大正3年)に東京駅が開業しました。



開業当初、この辺りは野原だったそうですが、
その後、次第に発展し、今のオフィス街が
形成されていったそうです。

東京駅の東側の八重洲口は、雑居ビルが
建ち並んでいるのとは趣を異にしています。

江戸切絵図を見ると、当時東京駅の東側に沿って
南北に外堀があり、堀の東側は町屋、西側は
江戸城の内部・御曲輪内と呼ばれ、親藩や
譜代大名の藩邸が24もあったそうです。


ここでは、東海道本線の西側、大名屋敷が
建ち並んでいた辺りを中心に紹介します。

東海道本線の東側は「日本橋 〜銀座界隈」の
ページで紹介します。

東京・和日本橋 〜銀座界隈の散策記はこちらです。





東京駅〜丸の内界隈
May 28, '09

大手町界隈
May 28, '09

日比谷界隈
NEW ! Feb. 28, '16




"東京"のTopに戻る

関東地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る






東京駅〜丸の内界隈
(Tokyo St. to Marunouchi Area)



東京駅の前には高層ビルが建ち並んでいます。
皇居前広場から眺めるそのビル群です。



明治に入り、大名屋敷の跡地が野原となり
それが今では大規模なオフィスビル街になっています。

年末にはこのオフィス街に綺麗なイルミネーションが輝き、
ロマンチックな街に変わっていました。




丸の内のオフィス街を抜けると
江戸城の馬場先濠が現れ、
和田倉橋を渡ります。



和田倉門跡を抜けると、
都会の雑踏を忘れさせてくれる
綺麗な噴水がありました。



江戸城の和田倉門周辺の様子は
こちらです。



"丸の内界隈 "のTopに戻る





大手町界隈
(Ohtemachi Area)



和田倉門から大手門前を通り、
1ブロック北側の道を入ったところに
平将門の首塚がありました。




オフィスビルが立ち並ぶ中で、
この一角だけは静かな杜があり、
独特の雰囲気を保っています。



江戸時代、この一角は上野厩橋藩主・
酒井雅楽頭家の上屋敷だったようです。



第四代の酒井忠清は、第四代将軍
徳川家綱の代に大老となっていますが、
その時に、「樅ノ木は残った」で知られる
伊達騒動が起きています。

伊達騒動は、幼い伊達綱村が仙台藩の
第四代藩主になると、綱村の叔父で後見の
一関藩主・伊達宗勝と家老の原田甲斐らと、
伊達氏一門の間に対立が生じたものです。

ついには、原田甲斐や、伊達一門の伊達安芸が
大老・酒井忠清の上屋敷に召喚されるのですが、
原田甲斐は、その場で伊達安芸を斬り、
甲斐自身も伊達安芸派の家老・柴田朝意と
斬り合いになってしまいます。

1671年(寛文11年)に起きたその凄惨な現場が、
この酒井家上屋敷でした。

「樅ノ木は残った」は、読み始めてすぐに挫折したのですが、
この酒井家上屋敷跡を訪れて、読み通したいと思いました。


その酒井家上屋敷の一角に、平将門の首塚がありました。
首塚は、屋敷跡に入った右手にひっそりと佇んでいました。



平将門は平安中期の関東出身の武将で
939年(天慶2年)に朝廷に叛き、関東一円を治めて
「新皇」と名乗り、天皇の座に即位した人物です。

その後、朝廷に討たれ、その首は京で晒されますが、
晒されて3日後に夜空に舞い上がり、
関東の地に落ちたと言い伝えられているそうです。

その一つがこの首塚です。

関東大震災後にこの場所に
大蔵省の建物を建てようとしたところ、
関係者に不可解な死が相次ぎ、
将門の祟りと噂されたそうです。

丁重に将門の首塚に手を合わせて
写真を撮らせて頂きました。


平将門の首塚から江戸城のお濠端に出ました。



狭いながらも鬱蒼とした雰囲気の首塚とは異なり、
広々としたお濠の景色が広がっていました。



"丸の内界隈 "のTopに戻る





日比谷界隈
(Hibiya Area)



丸ノ内の和田倉門から今度は
馬場先濠に沿って南に向かいます。

馬場先門を過ぎると日比谷濠と名前を変えますが、
濠は有楽町辺りまで続いています。


撮影: 2010年9月

この濠の向こうは皇居前広場です。
当時の江戸城を彷彿とさせる眺めです。

江戸城の登城記はこちらです。

この広い濠の対岸に日比谷公園があります。


撮影: 2010年9月

日比谷公園はTVのニュースでも良く出てくるところですが、
江戸時代には毛利氏、鍋島氏などの藩邸があったようです。





公園の中に入って行くと立派な石垣がありました。


撮影: 2010年9月

ここには日比谷御門があり、この石垣はその名残です。

日比谷御門は、江戸城に36あった見附門の一つで
枡形の櫓門と高麗門、番所などがあったそうです。
当時の門の一部は、北側を通る内堀通りを
作る際に壊されてしまったと思います。


石垣の西側には池が広がっていました。


撮影: 2010年9月

かつてはお堀だったところです。


撮影: 2010年9月

石垣の東側は土塁になっていて、
その上に上る事が出来ました。


撮影: 2010年9月

かつて堀だった池は、心字池と呼ばれています。
緑多い眺めで、都心にいる事を忘れさせる光景です。

石垣の上にはベンチも置かれています。
都会の喧騒を離れ、ここでのんびりと
時を過ごすのもいいでしょうね。


撮影: 2010年9月

石垣から下り、公園内を歩いていると
一つの像が目につきました。

碑の銘文によるとフィリピンの英雄・
Dr. Jose Rizalの像との事でした。
1888年(明治21年)、この地にあった
東京ホテルに滞在という記載もありました。


撮影: 2010年9月


寡聞ながらJose Rizalの事も知りませんでしたし、
この日比谷公園の地にあったホテルに滞在した
という事だけで,像が建てられるのは、ちょっと
不思議な気もしたので、調べてみました。

山根 一眞さんの秀逸なブログに
辿り着きましたので紹介します:
http://www.web-nihongo.com/shirabemono/sh_p002/

Jose Rizalは当時、スペインやアメリカによる
植民地化に反対した急進的思想家で、1896年
(明治29年)に銃殺刑に処されているようです。

この像が建てられる経緯には、献身的な
日本人女性とのロマンスもあったようです。


ここから南に下ると、日比谷公園の
正門にあたる日比谷門に辿り着きました。


撮影: 2010年9月

日比谷公園は江戸時代の大名屋敷だった土地に
明治以降、陸軍の練兵場が設けられていましたが、
現在の明治神宮外苑に移動後に公園化されています。


撮影: 2010年9月

日比谷門を入ると、噴水が見え
左手には、遠くに公会堂がありました。

近くには石枡もありました。


撮影: 2010年9月

江戸時代の上水道用のもので、この石枡から
近くの大名屋敷に配られていたようです。


日比谷公園の向かいに建つ帝国ホテルです。


撮影: 2010年9月

さすが、都心といった眺めでした。



"丸の内界隈 "のTopに戻る

"東京"のTopに戻る

関東地方のページに戻る

Shane旅日記 日本編に戻る