東京 / 日本橋・銀座
Nihonbashi & Ginza in Tokyo
江戸時代に作られた地図、江戸大絵図を見ると
江戸の7割程は江戸城や大名屋敷が占め、
町民が暮らしていた町屋は
今の神田から日本橋、新橋に
かけてのあたりに密集しています。
江戸の当時の人口は約100万人。
そのうち、武家と町人の人口比が
ほぼ半々だったそうで、町人たちは
町屋で身を寄せ合って暮らしていた筈です。
その町屋の中心、日本橋から
銀座にかけてを紹介します。
日本橋
日本橋は江戸城の外堀から隅田川へと至る
運河のような日本橋川に架けられた橋です。
架けられたのは、江戸幕府が開かれた
1603年(慶長8年)のことだったようです。
日本橋の南詰には、高札場でした。
いまは、その場所に碑が立っていました。
現在の日本橋は1911年(明治44年)に
架け替えられた石橋です。
現在の日本橋は重要文化財に指定されていますが、
その上には、無粋な高速道路の高架橋が
日本橋に覆いかぶさるように通っています。
高速道路の下を流れる日本橋川です。
日本橋は五街道の基点となっていて、
ここから東海道や中仙道を通り
京に向かう人や、日光・奥州へ向かう
人たちが行き交っていたことでしょう。
現在もこの日本橋は国道1号線や
国道4号線の起点になっていて、
橋の中央には「日本国道路元標」の
プレートが埋め込まれているそうです。
橋の袂に、その複製の
プレートが展示されていました。
江戸城に近いこのあたりは、家康が
江戸に移って間もない頃からの
一大商業地だったようです。
日本橋を渡った東には魚河岸が、
西に入ったところには金座があったそうです。
金座跡は日本銀行本店になっています。
また通りには大店や大問屋が軒を並べ、
江戸一の賑わいだったようです。
日本橋の北に立つ、三越です。
松阪商人、三井八郎右衛門高利が
1673年(延宝元年)に開いた呉服店が
発展したものだそうです。
松阪の様子はこちらです。
それまでの掛売りを改め、「現銀掛値なし」の
新しい商法で大いに栄えたそうです。
そのすぐ近くに見かけた鰹節屋さんです。
当時の日本橋界隈には、こうしたお店が
建ち並んでいたのでしょうか。
日本橋から銀座方面へと南に向かうと
高島屋もありました。
今もこの辺りは、江戸時代からの
一大商業地になっているようです。
銀座・有楽町界隈
日本橋から中央通を南に下ると、
次第に人通りも多くなりました。
東京一の繁華街、
銀座四丁目の交差点です。
人混みが苦手なので、写真を
撮っただけで足早に立ち去りますが、
江戸時代は日本橋界隈が一番の繁華街で
銀座付近は場末のような佇まいだったようです。
江戸切絵図を見ると、銀座辺りの東側には
町屋とは比較にならない区画の大名屋敷が
いくつもあったようです。
そんな銀座の東側にある
歌舞伎座に行って見ました。
歌舞伎は江戸時代に流行った演劇で、
この歌舞伎座も江戸時代からあったと
思っていたのですが、後で調べてみると
江戸時代にこの場所には三河西尾藩
松平和泉守の中屋敷だったそうです。
西尾城の様子はこちらです。
ちなみに初代の歌舞伎座は、
1889年(明治22年)に建てられたそうです。
銀座から西に向かうと有楽町です。
有楽町の駅前広場から撮った
東海道新幹線の高架橋です。
江戸時代、この辺りには江戸城の城門、
数寄屋橋門が建っていました。
今では跡形もなく、近くのバス停に
その名が残っている程度です。