城ヶ島
Jyogashima Island, Kanagawa

城ヶ島は、三浦半島の先にある島です。
三浦半島南端の三崎から海を隔てて500m程の所にあります。
古来、風光明媚なところとして知られていたそうです。

2012年4月、三崎を訪れた際に城ヶ島に訪れました。
その後、2013年7月にも訪れています。

三崎の集落の東側の高台から、城ヶ島大橋が架かっています。
開通は1960年とのことで、60年以上も前に出来た橋です。

三崎の散策記はこちらです。

当時は、車は有料でしたが、歩行者は無料で渡ることが出来ました。
歩道がしっかり設けられていて、他にも歩く人がいました。
普段から、地元の人の行き来に使われているのでしょうか。


撮影: 2012年4月

城ヶ島大橋から眺める三崎の集落です。
高台の上の白い建物は三崎城址に
建つ三浦市役所です。


撮影: 2012年4月

手前のお寺は、大椿寺です。
この大椿寺が、源頼朝の御所の一つ、
椿御所の跡に建っているそうです。

城ヶ島大橋を渡っているときに、丁度大きな
漁船が三崎港に入港するところでした。


撮影: 2012年4月

10分程で城ヶ島大橋を渡り、
大きな駐車場の脇から散策路を歩きました。
しばらく散策路を歩くと展望台に出ました。


撮影: 2012年4月

城ヶ島の南側の赤羽海岸に面した断崖の上からの眺めです。
この展望台は、ウミウ展望台と呼ばれ、城ヶ島の名所の一つです。

城ヶ島の南側には海岸段丘の断崖が続き、そこに
ウミウが繁殖していて、この名が付いているようです。

散策路に沿って西に向かいます。
木々が生い茂っていて、時折眺望が開けました。


撮影: 2012年4月

次第に坂道を下り、やがて海岸線に出ました。
「馬の背洞門の上には登らないで下さい」
という案内板がありました。


撮影: 2012年4月

馬の背洞門は、城ヶ島のもう一つの名所です。
長年の波の浸食によって出来た洞穴です。


撮影: 2012年4月

馬の背洞門は波打ち際から少し離れ、
波の浸食をあまり受けないように思います。
これは、100年前の1923年に起きた関東大震災で、
この辺りの海岸が隆起した為と思います。

馬の背洞門の西側も、海岸段丘と磯が続いていました。

2012年4月に訪れた際は、馬の背洞門で引き返しました。
下の写真は、確か城ヶ島公園で眺めた菜の花です。


撮影: 2012年4月

城ヶ島へは、2013年7月にも訪れています。
2013年に訪れた際は、京急電鉄三崎口駅から
バスで終点の城ヶ島バス停まで向かいました。

京浜急行久留里線の乗車記はこちらです。


撮影: 2013年7月

海産物のお店を抜けて海岸に向かいました。
岩の地層が筋の様に伸びています。


撮影: 2013年7月

この時、岩場に腰を掛けて、お昼ごはんにと
用意したお稲荷さんを食べようとした時に、
上空を飛んでいた鳶に攫われてしまいました。

磯から、陸の方を眺めた様子です。
手前の白い建物は京浜急行の城ヶ島ホテルだった建物です。
風光明媚なところに建つホテルでしたが、コロナ禍の
2020年5月に営業が終了になっています。


撮影: 2013年7月

ホテルの奥の高台には灯台が見えています。
城ヶ島灯台です。
この後、城ヶ島灯台に向かいました。

城ヶ島灯台に向かう途中の、城ヶ島の集落の様子です。
城ヶ島には220世帯600人程の方が暮らしているそうです。


撮影: 2013年7月

この脇の階段を上ると瀟洒な公園がありました。
モネの庭のような蓮のある池がありました。


撮影: 2013年7月

その奥にある城ヶ島灯台です。


撮影: 2013年7月

1870年(明治3年)、日本で5番目の
西洋式灯台として建てられています。

城ヶ島には江戸時代初期の1648年(慶安元年)に
烽火台が置かれていて、古くから船の航行を
照らす役割を担っていたようです。

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