石清水八幡宮・男山
Iwashimizu-Hachimangu Shrine, Japan
石清水八幡宮は京都府南部の八幡市にある神社です。
御祭神は応神天皇(第15代)、比淘蜷_(ひめおおかみ)
そして神功皇后(じんぐうこうごう)の八幡三所大神の神々です。
創建は平安時代初めの859年(貞観元年)。
大安寺の「行教」という僧が豊前国(大分県)の宇佐宮で、
八幡大神様の御託宣(お告げ)を蒙り、男山の峯に八幡三所の
神々を祀り、時の清和天皇の命で社殿が建てられました。
石清水八幡宮は宇佐八幡宮、鶴岡八幡宮と並び、
日本三大八幡宮といわれてます。
この石清水八幡宮に2006年10月に行ってきました。
2017年4月にも石清水八幡宮を再訪する機会がありました。
二回の訪問の様子を織り合わせて紹介しようと思います。
石清水八幡宮の本殿は男山の山の上にあります。
京阪電鉄の八幡市駅前から男山山頂に向けて、
男山ケーブルが運行されています。
男山ケーブルの終点・男山山上から
石清水八幡宮を目指します。
石清水八幡宮の本宮の裏手にあたるケーブルの駅から
半周するように本宮の下を周り、
真っ直ぐに伸びる参道の途中に出ました。
まずは参道の端にある鳥居に行って見ました。
この鳥居は三の鳥居です。
真っ直ぐに伸びた参道の先が本宮です。
鳥居の前の通りの脇に古い道標がありました。
山を下る道の脇の古い土塀。
周囲の雰囲気が一気に1000年前の
昔に戻ったような感じがしました。
鳥居をくぐって本宮に向かいました。
参道の脇には灯篭が並んでいました。
参道の先に朱塗りの門が見えてきました。
南総門です。
樟の大木と南総門の組み合わせが絵になっています。
南総門の手前には供御所と呼ばれる建物が建っています。
今の建物は慶長2年に造営されたとのことなので、
1597年、今から400年以上も前の建物です。
建物には本居宣長の言葉が掲げられていました。
南総門をくぐるといよいよ本殿です。
2006年10月に訪れた際には、あいにく修理中でしたが
2017年4月の再訪の時にはその姿を拝むことが出来ました。
2006年に訪れた際には重要文化財だった本殿は
11年の年月の間に、宝の指定を受けています。
この社殿は1634年(寛永11年)に、第三代将軍・
徳川家光によって建立されたものです。
10年程に修繕されたばかりなので、
新築されたように輝いていました。
本殿の前の神楽殿です。
本殿の左手には大きな楠がありました。
1334年、楠木正成が必勝祈願をした際に
奉納した楠と言われているそうです。
立派な回廊に沿って本殿の裏に廻ってみました。
左側の築地塀を見た瞬間に、熱田神宮にある
信長塀に似ていると思いました。
本殿の反対側の案内板には、この築地塀は信長の
寄進と書かれていて、我が意を得たりとなりました。
熱田神宮の散策記はこちらです:
本殿の裏側に来ると、まず目につくのは
校倉造りの建物です。
建てられた時期は判っていないそうですが、
京都府の文化財に指定されています。
本殿の背後にはいくつかの別宮がありました。
右が仁徳天皇を祭った、若宮社です。
左が応神天皇の皇女を祭った若宮殿社です。
女の人が若宮殿社の前で、長い時間身動きもせず
熱心にお祈りしていたのが、印象的でした。
石清水八幡宮の本宮の参拝を終え、
男山ケーブルの駅に向かう途中、
展望台に向かいました。
この男山は、宇治川、木津川、桂川が合流する
要衝の地で、南山城平野の西の外れにあります。
展望台からは京都の街から、その南にかけての
地域が一望のもと見渡す事が出来ました。
北の方角には、淀川を隔てて天王山も見えていました。
石清水八幡宮の本宮と男山からの景色に堪能して
ケーブルカーで下山したのですが、男山の麓にも
頓宮殿をはじめとする下宮があります。
この下宮もなかなかに大きな規模の様です。
兼好法師の徒然草には、下宮だけお参りして帰ってしまった
仁和寺のお坊さんの話が載っていますが、男山の本宮だけ
参拝するのも、仁和寺の坊さんと同じだったかも知れません。
またの機会に下宮から歩いて本宮まで行って見たいと思います。
仁和寺の様子はこちらです: