足柄古道は、奈良時代から平安時代にかけ、
足柄峠からは富士山が一望出来るという事もあり、
標高330mの足柄駅から標高759mの足柄峠まで
前日は三島に出張があり、その翌朝に三島から
足柄駅から足柄峠を目指します。
振り返ると遠くに富士山が見えていました。
踏切を渡り、最初の交差点を右に折れました。
先ほどの角の次の角を左に折れました。
急坂を上り、しばらく歩いたところに
古道沿いの神社で、何かしら所縁が
境内からは、富士山が輝くように聳えていました。
嶽之下神社から先は集落は無くなり、
朝日が木々の間から差し込んできました。
雑木林を抜けると、県道との交差点に出ました。
この辺りには竹之下一里塚跡がありました。
この路は古くから箱根を超える主要街道でしたが、
この先で振り返って眺めた富士山です。
竹之下一里塚跡から10分ほど歩くと、
足柄峠へと向かう車道は左の道を進みますが、
この石碑は、栗の木沢題目碑といい、日蓮上人が
このご縁により、地元の人が1862年(文久2年)に、
左手の車道を下ると、再び石碑がありました。
1839年(天保10年)に建てられたものです。
足柄の人々はこれにあやかろうと、南無阿弥陀仏の
この先には朽ちかけた案内標識が2つありました。
左側は、道路標識で、足柄駅まで2.4km、
右の標識は、竹之下合戦の戦ヶ入りの碑でした。
竹之下合戦は、足利尊氏討伐を記した後醍醐天皇の
二つの碑のある辺りは、沢を渡る位置にあり、
道端に古びた案内板が置かれていました。
急坂を往来する旅人がこの沢で喉を
水飲沢からも上り坂を歩いていきました。
この路は赤坂古道と呼ばれ、
古道の傍らには古い仏像がありました。
この路で遭難する人も多く、村人が遭難者の供養と
赤坂古道は雑木林の中を急こう配の山道が連なっています。
行きかう人もなく、少々心細く感じる山道でした。
足柄駅から出発した際には冷え込んでいましたが、
赤坂古道に分け入って15分ほどすると
歩き出した足柄駅では綺麗に見えていましたが、
再び、石畳の道となりました。
やがて、車道に出ました。
再び石畳の山道が続いています。
先ほどの車道から5分程で再び車道に出ました。
ここからはこの車道に沿って歩いていきました。
下の写真は、車道から一段高い所にあった芭蕉の句碑です。
"目にかかる 時やことさら 五月富士"
案内板によると、この句は芭蕉が亡くなった
この年の夏、芭蕉は江戸を発ち大坂に向かっています。
この先には六地蔵が二箇所ありました。
振り返って眺める富士山は、生憎、
そしてこちらは造林記念碑です。
実は、その碑の事よりも、この碑の案内板に、
富士山の東側にある三国山の姿も見えていました。
こちらは、謂れは分りませんが、一切経宝塔です。
一切経宝塔の先では、車道の東側に
この擁壁の上が、足柄城址です。
足柄古道
Old Road to Ashigara Summit
箱根を超える街道として整備された路です。
静岡県のJR足柄駅から足柄峠を通り、
大雄山駅とを、ほぼ東西に結んでいます。
2011年12月に、足柄古道を辿り足柄峠を目指しました。
標高差429m、約5.5kmの道のりを
1時間40分程で上りました。
下土狩までタクシーに乗り、下土狩7:00の
列車に乗り、足柄には7:48に到着しました。
撮影: 2011年12月
西側の駅の改札から踏切を越えて
東へ向かいました。
撮影: 2011年12月
この日は良く晴れ、山頂も綺麗に見えていました。
標識では、クランク状に左側の道を東に向かうと
足柄古道と案内が出ていますが、地図で見ると
この道は途中で消えていたので別の道を進みました。
撮影: 2011年12月
馬喰坂という名の急坂が続いています。
この道を進むと足柄峠まで行くことが出来ます。
撮影: 2011年12月
嶽之下神社がありました。
撮影: 2011年12月
ありそうな神社でしたが、由緒などを
記した案内板はありませんでした。
撮影: 2011年12月
五合目辺りに、うっすら雲が掛かっていました。
雑木林の中を歩くようになります。
撮影: 2011年12月
朝日を浴び、雑木林が輝くようでした。
撮影: 2011年11月
撮影: 2011年12月
一里塚が整備されたのは江戸時代に入った
1604年(慶長9年)以降に整備されています。
箱根路が東海道として整備された後に、
足柄街道と呼ばれるようになったそうです。
次第に雲が出てきているのが、
気にかかります。
撮影: 2011年12月
道が二つに分かれていました。
右の路の先に石碑がありました。
撮影: 2011年12月
1274年(文永11年)に身延山に入山する途中、
また1282年(弘安5年)に池上本門寺に向かう際に
竹之下に泊まり、御本尊を書き残したそうです。
この地に題目碑を建立し、霊場としたそうです。
池上本門寺の散策記は
こちらです。
撮影: 2011年12月
唯念上人が、飢饉と大疫病に苦しんでいた
足柄の人々を救済するため、念仏を唱えたそうです。
名号を彫った碑を建てたと伝わっています。
撮影: 2011年12月
足柄峠まで2.5kmと記されていました。
ここがほぼ、中間地点になります。
宣旨を受けた新田義貞と、足利尊氏との間の戦です。
戦は新暦で、1336年(建武2年)1月に生じています。
車道は一旦下り坂になっていましたが、
再び上り坂となりました。
撮影: 2011年12月
「水呑沢」の案内板です。
撮影: 2011年12月
潤した為、この地名が付いたそうです。
やがて車道の脇に石畳の道が見えてきました。
撮影: 2011年12月
1000年以上も前に開かれた路です。
江戸時代にもこの古道は用いられ、相模国から
甲斐の国に塩を運ぶのに使われた街道のようです。
馬頭観音像です。
撮影: 2011年12月
道中安全を願い、1775年(安永3年)に建立したそうです。
撮影: 2011年12月
それでも、古道は踏み固まれていて
道を外す事はありませんでした。
撮影: 2011年12月
古道を上るうちに汗ばむようになっています。
かなり足に疲れが来ていますが、帰りの時間が
気になるので、ペースを緩めずに歩いていました。
やっと視界が開け、後方に富士山が見えました。
撮影: 2011年12月
湧き出した雲が厚くなり、山頂に迫っています。
勾配は緩くなり、歩きやすい道です。
撮影: 2011年12月
赤坂古道を横切るように車道が造られたようで、
車道を渡った反対側に、古道が続いていました。
撮影: 2011年12月
周囲の木々の様子は、先ほどと比べると、
心なしか鬱蒼とした感じが少なくなって来ました。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
この車道に沿ってはいくつもの碑がありました。
撮影: 2011年12月
1694年(元禄7年)夏に詠まれたそうです。
芭蕉が最後に眺めた富士の様子を詠んだ句なのでしょうか。
芭蕉は、この旅で向かった大坂で亡くなっています。
撮影: 2011年12月
雲が頂上を覆ってしまっていました。
撮影: 2011年12月
元々は高台にある足柄城二の丸にあった碑を
1986年にこの地に移転したそうです。
撮影: 2011年12月
この碑の現在地が、足柄城の西の出丸という
事が記載されていて、興味を惹きました。
三国山は、駿河、甲斐そして武蔵の三ヵ国の国境です。
撮影: 2011年12月
撮影: 2011年12月
高い擁壁が続くようになります。
撮影: 2011年12月
ここから足柄峠は目と鼻の先です。
麓の足柄駅から約1時間半かけて到着しました。
足柄城の登城記はこちらです。
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