永平寺は、道元が開山した曹洞宗の大本山です。
道元が永平寺を開山したのは1246年(寛元4年)の事です。
永平寺は福井市の東側の山の中にあります。
中国に留学した道元は帰国後に京都の深草に
お寺を構えたそうですが、迫害を受け、
越前国の土豪・波多野義重の請いで
この地にお寺を開いたそうです。
永平寺は度重なる戦火に遭い、現在残る堂宇は、
1749年(寛延2年)に再建された山門が最も古いものです。
ここから、大木の並木の中を進んで行きます。
緑が濃くなりはじめる頃の季節で、
陽の光を浴びた葉が輝いていました。
この参道を歩いて行くと、
左手に通用門が見えて来ました。
一般の参拝者は皆、この門を通って行きます。
通用門を過ぎると右手に祠堂殿が見えていました。
ここから参拝者は吉祥閣に入りました。
近代的な鉄筋コンクリート造りの建物で
歴史ある永平寺の印象とは異なります。
この吉祥閣で説明を受けた後に、
祠堂殿(しどうでん)に向かいました。
ここは檀徒や信徒の位牌を納めたり、
納骨するお堂です。
1930年(昭和5年)に新築されたものだそうです。
比較的新しいお堂ですが、内部は威厳があり
お堂には大きな数珠が掛かっていました。
祠堂殿から永平寺の七堂伽藍に向かいました。
その途中に、傘松閣(さんしょうかく)に立ち寄ります。
傘松閣は1995年(平成7年)に建てられました。
この2階は160畳敷きの大広間で
その広間は格天井になっていました。
格式の高い格天井には230枚もの
花鳥図が描かれ、壮観でした。
傘松閣を後に七堂伽藍に向かいました。
永平寺は山の斜面に伽藍が建てられ、
その一番低い麓に山門が置かれています。
斜面に沿って中雀門、仏殿そして<一番高い位置に
法堂が建ち、それらが回廊で結ばれています。
まずは永平寺の正門にあたる山門です。
1749年(寛延2年)に改築された
永平寺で最も古い建物だそうです。
山門は南側からはその全容が見えそうですが
一般参拝者は、山門を横切る通路以外は通れずに
その姿をしっかり見る事は出来ませんでした。
山門の四天王です。
鮮やかな彩色で堂々とした像でした。
山門からは中雀門が眺められました。
山門から回廊を渡って、上に向かいます。
回廊はとても急な階段で繋がっていました。
急な階段を上っていると雲水さんと出会いました。
永平寺では雲水さんを写してはいけない事になっています。
一段高い中雀門から眺める仏殿の様子です。
今の仏殿は1902年(明治35年)に改築されたものです。
間口9間、奥行き5間半の大きな建物です。
仏殿は永平寺の中心となるお堂で、釈迦牟尼仏、
弥勒仏、そして阿弥陀仏の三仏が祀られています。
その左手には僧堂があります。
この僧堂で修行が行われるそうです。
僧堂から急な階段を更に上りました。
回廊の左側外側にも階段が続き、
その先に趣のある門とお堂が見えています。
承陽門とその奥に有る承陽殿です。
開山・道元禅師は承陽大師とも呼ばれていて
このお堂は道元禅師の御真廟です。
承陽殿の内部の様子です。
この正面奥の上段に道元禅師の
お骨が納められているそうです。
承陽殿から一旦階段を下り、そして
一番高い位置にある法堂に向かいました。
法堂は1843年(天保9年)に改築されています。
間口18間、奥行14間の永平寺一大きな建物です。
お堂の正面には聖観世音菩薩が祀られているそうです。
法堂から東側の回廊を通り麓に向かいました。
急な階段が続きます。
麓に近づくと東側の山の斜面に
福井藩主松平家廟所がありました。
石段の上に立派な門があり、その向こうが廟所です。
福井藩第三代藩主・松平忠昌公の五輪塔があるそうです。
この門は永平寺住持の赴任の際や
皇室の方が来られた際に開かれるそうです。
こうして永平寺の伽藍を一通り回ってみました。
新しい建物も多かったのですが、凛とした
佇まいがありさすがに禅宗の大本山です。
一度、ここで禅の修行もしてみたいと思いました。
この時は宝物殿にも足を運びました。
道元禅師直筆の国宝のお経や徳川秀忠の
書状などを見ることが出来て、堪能してきました。