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鉄道旅行へのいざない



身延・久遠寺
Kuonji Temple in Minobu, Japan







身延山久遠寺。

甲府盆地から流れ出た富士川の中流、
静岡県との県境まで20km程の
山間に位置しています。

久遠寺は日蓮宗の大本山で、日蓮聖人によって
1281年(弘安4年)に創建されています。
身延山の麓に本堂をはじめ、
多くの伽藍が建っています。

そして、本堂から西に向かい女坂を下ると
日蓮聖人の廟所である御廟塔もあります。

桜でも知られる久遠寺を紹介します。



身延駅から久遠寺へ
Feb. 05, '09

三門から本堂・仏殿
Feb. 05, '09

西谷参道から御廟塔・拝殿へ
NEW ! Feb. 06, '09





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身延駅から久遠寺へ





身延山久遠寺は、JR身延駅から富士川を
隔てて西側の山間に入った所にあります。
距離にして3kmあまりです。

身延線を走る「ワイドビューふじかわ」の
乗車記は
こちらです。


JR身延線、身延駅の様子です。



歩くには少々遠いので、身延駅前から
山交タウンコーチの運営する
路線バスで身延山に向かいました。

バスは、毎時ほぼ一本です。
地方を旅していると、毎時一本の
バスの便はとても貴重です。



富士川を渡り、身延川沿いの
山間に入っていきます。

身延川の支流を渡ると、
久遠寺の総門をくぐります。



バスも通れる程の大きなこの総門は
1665年(寛文5年)に三河の刈谷城主
三浦明敬公の母・寿応院殿が
建立したものだそうです。

総門から細い道となり、
行く手には身延山が見えてきました。



総門から500m程の所がバスターミナルで、
久遠寺まで1km弱は参道の両側に続く
お土産物屋さんの間を歩いていきます。

みのぶまんじゅうのお店や食堂も
軒を並べる参道の坂を歩いて行きます。



参道の様子です。
上右の写真は、2008年3月末に
身延山に行ったときの様子です。

参道を抜けると大きな三門が見えました。



見上げるような大きな門で、
京都の南禅寺、知恩院とともに
日本三大門とも言われてそうです。

2008年3月末に訪れた際の三門です。



現在の門は、1907年(明治40年)に建てられたもので
間口23m、高さ21mもの大きさの門です。
三門の仁王像は鎌倉時代と伝えられているようです。
三門に、桜の花が彩りを添えていました。

三門をくぐってすぐ左手に
竹之坊という宿坊がありました。



落ち着いた佇まいのこの竹之坊は
1281年(弘安4年)に日蓮が久遠寺を
開いた時からの宿坊ということです。

三門の先には、菩提梯と名付けられた
急な石段が杉の大木の間に見えていました。



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三門から本堂・仏殿





久遠寺の本堂は三門の先に続く
菩提梯を登った先にあります。

その菩提梯の脇に、
南部実長の銅像がありました。



南部実長は、佐渡へ流刑され、その後
鎌倉に戻った日蓮を身延の地に
招いたこの地の領主だった人です。

何故、南部実長が日蓮をこの地に
招くことになったのだろうという
思いが募ります。

そして仰ぎ見るような菩提梯の石段です。



比高100m程の本堂まで287段の
急な石段が続いています。

菩提梯という名前は一段上るごとに
悟りを開いていくという意味だそうですが、
急な石段を息を切らして上っていくうち、
邪念がなくなっていくような感じがします。

菩提梯を上りきると、右手に大鐘と
呼ばれる鐘楼が建っていました。



大梵鐘は徳川家康の側室、
お万の方が1624年(寛永元年)に
寄贈されたものだそうです。

左手には五重塔の再建中で、
工事用のシートがかけられています。
2009年5月に落慶法要が予定されているそうです。

そして、正面にそびえる本堂です。



総坪数970坪、間口は32mもある大きな建物です。
1875年(明治8年)の大火で焼失したそうですが、
1985年(昭和60年)に再建されています。

本堂の右手には、祖師堂、御真骨堂、
仏殿そして客殿と伽藍が並んでいます。



左端の建物が祖師堂です。

この境内には何本ものしだれ桜があり、
3月末から4月初めにかけて
満開を迎えるようです。

2008年3月末にも身延山を訪れる
機会があり、その際の様子です。



祖師堂の隣にあるしだれ桜です。



生憎、日が翳ってしまいましたが、
大きな枝垂れ桜が咲き乱れる
様子はとても綺麗でした。


仏殿の前にもしだれ桜があり、
そのしだれ桜の木も満開に近く、
多くの人がカメラを向けていました。



この2本のしだれ桜は樹齢400年にもなるそうで、
例年、多くの観光客が訪れるそうです。

仏殿とその奥にある客殿の様子です。



この写真は2007年12月の様子ですが、
冬の身延山は訪れる人もなく、
ひっそりとしていました。

桜の時期の賑わいは
想像も出来ない程です。

2007年12月、境内を散策した後に、
本堂の裏手にある身延山ロープウェーの
乗り場に向かいました。

このロープウェーを使えば、
身延山の山頂にある久遠寺奥の院に
僅か7分で行くことが出来き、
天気が良ければ富士山も眺めるそうです。

ところが、山頂からの富士の眺めを
期待していたのですが、生憎、
年次検査の為に運休中でした。



とても残念だったのですが、
気を取り直して西谷参道と呼ばれる
参道を下って行く事にしました。



この参道沿いには多くの宿坊が並び、
日蓮聖人の遺骨を納めた御廟塔があります。



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西谷参道から御廟塔・拝殿へ





身延山・久遠寺からの帰路は、
身延山ロープウェー乗り場の
横から続く西谷参道の
下り坂を行くことにしました。

この西谷参道に沿って
いくつも宿坊が続いています。
まず目に付いたのは本行坊です。



静かな佇まいの山門です。

鎌倉比企ヶ谷に居を構えていた比企大学
三郎能本公によって開かれたそうです。

山門からの境内の様子です。



この本行坊にも何本も桜の木がありました。
ここも春には綺麗な桜が見られる事でしょう。

続いては清水坊です。



清水坊は日像上人によって
13世紀末頃に創建されたようです。

山間の西谷参道の様子です。



桜の並木も続き、春にまた
ゆっくり散策したい参道です。

参道を下ったところに右に
入る路地がありました。

路地を入ってしばらく歩いた
ところにある日蓮信行道場の門です。



堂々とした冠木門で、凛とした雰囲気で、
中に足を踏み入れるのが憚られるました。
いまもここで僧侶らが修行を
積んでいるのでしょうか。

この信行道場から小川を渡り、
拝殿に向かいました。



2007年12月、すっかり冬の景色ですが
わずかに名残りの紅葉がありました。

小川を渡り、十余段の石段を上ると
拝殿にたどり着きました。



しっとりとした拝殿の様子ですが、
1942年(昭和17年)に建てられたものです。

日蓮聖人は1282年(弘安5年)9月に両親の墓参りと
湯治の目的で、常陸国に向かう途中、武蔵国の
池上宗仲邸で亡くなっています。

池上宗仲邸跡に建つ池上本門寺の
散策記はこちらです。


遺言により、日蓮聖人の遺骨は
庵を結んだ久遠寺に葬られています。

この拝殿の奥に日蓮聖人の
遺骨を納めた御廟塔がありました。



とても静かで落ち着いた空間でした。

すぐ隣には御草庵跡がありました。



日蓮聖人は南部実長公の招きで1274年(文永11年)から
1282年(弘安5年)にかけてここで暮らしています。
御草庵跡の敷地は約18メートル四方の広さです。
数十人の信者とともに過ごしていた事を考えると
手狭な草庵だったと思われます。

日蓮聖人が久遠寺を開いた頃は
ここに伽藍があったそうですが、
1475年(文明7年)に今の位置に
移されたそうです。

拝殿から三門に向かう途中の常唱殿です。



唐風の玄関のある落ち着いた建物でした。



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