慶州
Gyeongju, Korea







慶州は韓国の南東部に位置する
人口30万人弱の都市です。

この慶州には紀元前1世紀から10世紀にかけて
栄えた新羅王朝の首都が置かれていました。

郊外ののどかな景色の中や古い街並みに
いくつもの史跡が点在している慶州は
屋根のない博物館と言われているそうです。

2007年9月にこの慶州を訪れました。
その時の様子を紹介します。


慶州までの鉄道の旅はこちらです。




慶州市内 (1) 大陵苑、半月城他
(Gyeongju (1) - Daerungwon Park, Banwolseong Castle, etc.)
Aug. 10, '08


慶州市内 (2) 雁鴨池、芬皇寺他
(Gyeongju (2) - Anapji Pond, Bunhwang-sa Temple, etc.)
NEW! Aug. 14, '08


仏国寺
(Pulguk-sa Temple)
Aug. 04, '08


石窟庵、普門湖リゾート
(Sokkuram Grotto, Pomun-ho Lake Resort )
Aug. 07, '08




Shane旅日記 アジア編に戻る








慶州市内 (1) 大陵苑、半月城他
(Gyeongju (1) - Daerungwon Park, Banwolseong Castle, etc. )




屋根の無い博物館といわれる慶州には
市内に近代的なビルは殆ど建っていません。

慶州駅から1km程南に、新羅王朝の王陵や
当時の史跡がいくつも残っています。



このうち、大陵苑、瞻星台、国立慶州博物館
そして半月城を紹介します。


慶州郷校、雁鴨池(臨海殿址)、芬皇寺は
こちらです。




大陵苑
(Daerungwon Park)


まずは、市街地に隣接している
大陵苑に向かいました。

ここは、芝生に覆われ、こんもりと
盛り上がった王陵がいくつも並んでいます。



この芝生の小山の下に木棺が埋め込まれ
そこに新羅王朝の王達が埋葬されているそうです。

これらの王陵は、木棺の上に石を積み重ね、
さらにその上に粘土を盛るという構造のため、
どれも盗掘の被害にあっていないそうです。

その一つ天馬塚に向かいました。



高さ27.7m、5〜6世紀ごろに築かれたこの墳丘は
数ある慶州の王陵の中では、ごく一般的な古墳です。

その大陵苑の古墳の一つを1973年に
学術発掘したところ、金冠や金の装飾類、
そして天を駆ける馬を白樺に描いた
馬の障泥(あおり)が発掘されました。

天を駆ける馬の絵から名付けられた天馬塚。
副葬品はとても煌びやかでした。
金冠はすぐ近くの国立慶州博物館に
展示されています。

天馬塚も素晴らしいのですが、
大陵苑の南にも王陵が広がっています。



街中に隣接して、このような墳丘がいくつも
並んでいるというのはちょっとびっくりする眺めです。

広々としたこの景色を眺めていると、
悠久の歴史の流れを感じる事が出来ました。



傍らにあった慶州歴史遺跡地区の
世界遺産の碑です。




瞻星台
(Cheomseongdae Observatory)



こんもりとした墳丘の眺めの近くに
レンガを積み重ねたような
古びた塔が建っていました。

7世紀中頃に作られた東洋で
もっとも古い天文台、瞻星台です。



外観は何気ない塔ですが、積み上げられた
花崗岩の数は361個半で、陰暦の年間日数と同じで
塔の上の井形は新羅の子午線になっていて、
井形の面は正確に東西南北を示しているそうです。

また中央の窓は南を向いていて、春分、秋分の日には
塔の内部の底面にまで日差しが入り込み、
夏至と冬至には日が入らないそうです。

7世紀にこのような塔が
作られていたというのは驚きでした。




国立慶州博物館
(Gyeongju National Museum)


この後、国立慶州博物館に向かいました。



あいにく雨が降り出し、雨宿りも
兼ねての博物館行きでした。

歴史の街、慶州にあるこの博物館には
なんと21万点もの文化財を所蔵しているそうです。

館内には先ほど訪れた天馬塚から
発掘された金冠が展示されていました。



写真左手がその金冠です。
1500年以上も昔の精緻な金の装飾が
どことなく不思議な輝きを放っていました。

天馬塚の副葬品の多くも展示されていたのですが
その金装飾品の多さにびっくりしました。

仏教美術品も沢山展示されていました。



この仏像は優雅な姿です。
京都や奈良の古寺の仏像に似た雰囲気でした。

屋外には頭部のない芬皇寺の石像や
仏頭も並んでいました。
頭のない仏像の姿はちょっと異様でした。

そしてこの鐘は聖徳大王神鐘です。



聖徳大王(702〜737年)の功徳を称える為に
作られたこの鐘は771年に完成し、
韓国国宝にも指定されています。

最初に鋳造された鐘は音の響きが悪かった為に
小さな子供を人柱に立ててこの鐘が鋳造された
という逸話が残っているそうです。




半月城
(Banwolseong Castle)


瞻星台から国立慶州博物館に向かう途中、
道路の左手に小高い丘が続き、
土塁のような構造物も見えて
とても気になっていました。



パンフレットで見ると、この丘陵地は
半月城と書かれています。

国立慶州博物館を訪れた後に
この半月城に立ち寄ってみました。


丘陵地へと続く土塁を上って行きます。



遊歩道がよく整備されていて、
家族連れやグループ客の姿が目に付きました。

この半月城は101年に築かれたお城で
新羅の宮廷があったところだそうです。
三日月状をしているので、「新月城」
あるいは「月城」と呼ばれていたそうですが、
朝鮮時代から「半月城」と呼ばれているそうです。

土塁を上って一段高い丘陵地に上ると
広大な平地が開けていました。



この半月城の一角に石氷庫というのがありました。



1738年に作られた石の氷室です。
1000個の石を組み合わせているそうですが
ここまで氷を運ぶ手間も凄かったと思います。

三日月状の城址を東西の
長手方向に沿って歩きます。

湿度が高く、じっとりとしていましたが
コスモスも咲き乱れていました。



この広大な敷地に当時は
宮殿の建物が建ち並んでいたのでしょうか。
それを思うと想像が広がりました。







慶州のページのTOPに戻る





慶州市内 (2) 雁鴨池、芬皇寺他
(Gyeongju (2) - Anapji Pond, Bunhwang-sa Temple, etc.)




慶州市内のPart 2では慶州郷校、雁鴨池(臨海殿址)、
そして芬皇寺を紹介します。

大陵苑、瞻星台、国立慶州博物館、
そして半月城は こちらです。




慶州郷校
(Gyengju Hyanggyo)


半月城から慶州の街中に歩いていくと
古い町並みに足を踏み入れました。

急にタイムトリップしてしまったような雰囲気です。



ここは682年に新羅の国学が置かれたところで、
その後、高麗時代には地方教育の為の
学校が置かれていたそうです。

これらの建物も秀吉の朝鮮出兵で破壊され、
1600年から1614年にかけて再建されたそうです。



慶州郷校はその当時の雰囲気が
そのまま残っているような、
とても静かな空間でした。




雁鴨池(臨海殿址)
(Anapji Pond)


半月城の東側、道路を隔てた
反対側に雁鴨池があります。

雁鴨池は、674年に造成された池です。



宮殿のあった半月城から歩いて5分程の所に
雁鴨池を築いて、その周囲に宴会場や
会議場、接待場を築いたようです。

雁鴨池は1975年に当時のままに
復元されたそうです。



その手前、建物が立ち並んでいたところは
芝生が敷かれ、礎石が残されていました。

この芝生の部分を抜けると池の畔に
建てられた臨海殿に至ります。



この臨海殿が雁鴨池の周囲に建物を巡らした
庭園としたきっかけだったようです。



雁鴨池の畔を半周ほどしましたが
池の周りにいくつもの建物が復元され
その様子をみると当時の雰囲気が
伝わってくるようでした。




芬皇寺
(Bunhwang-sa Temple)


慶州観光の最後に訪れたのは芬皇寺でした。

芬皇寺は634年に創建された大寺で、
統一新羅四大寺の一つだったお寺です。

雁鴨池の辺りから芬皇寺までは2km弱。
湿気の多い天気で、しかも帰りの列車の時刻も
気にかかる時間になってきましたが、
せっかくなので歩いて行く事にしました。

不正確なパンフレットの地図を頼りに歩き出したので
不安だったのですが、途中で学生風の若い男の人達がいて
道を尋ねることが出来て、事なきを得ました。



住宅街を抜け、遠くに半月城やその南に延びる
丘陵地帯が畑の向こうに見え始めたころ、
芬皇寺が現れました。


芬皇寺で有名なのはこの石塔です。



芬皇寺の創建と同じく634年に造られた塔ですが
当時のままの姿ではなく、当時は7〜9層
あったと考えられているそうです。

石塔の近くにあった狛犬(海駝)です。



沖縄のシーサーに似ています。
狛犬(海駝)は日本からの賊の侵入から
護る事を願っているそうです。

そして、石塔の裏にひっそりと
建っている普光殿です。



この建物の中に、薬師如来立像が安置されています。
1774年に作られた仏像ということです。

そして境内の傍らに置かれていた
和諍国師碑趺です。



これは新羅の華厳宗の僧侶だった
元暁を讃える石碑の台です。

往時は広大な敷地に多くの伽藍が
立ち並んでいたという芬皇寺ですが、
今は境内は狭く、訪れる人も
少なくひっそりとしていました。



慶州のページのTOPに戻る





仏国寺
(Pulguk-sa Temple)




仏国寺は慶州の南の山の中に位置しています。
仏国寺が創建されたのは、新羅で仏教が
公認された翌年、528年のことだそうです。

その後、574年に阿弥陀仏と毘慮遮那仏の二体が安置され、
670年に無説殿、681年に大雄殿の釈迦牟尼仏と
次々に伽藍が拡充されていったそうです。

774年には、宰相・金大城が死去したため、
朝廷から大伽藍を授かったそうです。


しかしその後、1593年の朝鮮出兵(文禄の役)で
放火により伽藍が焼かれ、その後復興するものの
朝鮮朝廷の廃仏政策で寺院は荒れ果てたそうです。

1969年以降の復元大普請によって
仏国寺が現在の姿に蘇ったそうです。



現在の仏国寺の伽藍です。
青雲橋、白雲橋から続く紫霞門の奥に
回廊で囲まれた伽藍が続いています。


慶州駅から車で30分程ドライブし、
仏国寺の駐車場に着きました。

駐車場から階段を上り、
入場門へと向かいます。



この門を抜け、しばらく林の中を抜けて行きます。
行く手に天王門が見えてきました。



この天王門には四天王が控えていました。
写真左が東方持国天王と南方増長天王。
そして右が西方広目天王と北方多聞天王です。



綺麗な彩色が施され、琵琶を持つ持国天王の様子は
阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像の立つ
日本の寺院の仁王門とは趣が異なります。


やがて木々の向こうに青雲橋、白雲橋と、
それに続く紫霞門が見えてきました。



青雲橋と白雲橋は1686年と1715年に再建され、
韓国国宝23号に指定されています。
紫霞門も1628年に再建され、
その後改築・改修されています。

紫霞門を抜けると御仏の国。
回廊に囲まれた伽藍が広がっていました。



回廊はソウルで訪れた昌徳宮(Changdeokgung)や
昌慶宮(Changyoungung)で見たような立派なものでした。

回廊には木魚が吊るされていました。



この木魚は修行者を集めるときに
合図として鳴らされたそうです。

確か長崎の興福寺にも同じような
木魚があったのを思い出しました。

長崎・興福寺の様子はこちらです。

回廊に囲まれた内側には
二つの石塔が建っています。



釈迦塔(上)と多宝塔(下)です。



751年に金大城が仏国寺の増築を
行った際に建てられたそうです。

多宝塔は仏教の微緻な世界を
表した構造になっているそうです。

その二つの塔の背後に控える大雄殿です。



釈迦牟尼仏が安置されているそうです。
大雄殿は681年に建てられ、
その後何度も改修されていますが、
現存するこの建物は1765年に
建てられたものだそうです。

釈迦牟尼仏も681年に造られたそうですが
1593年の朝鮮出兵(文禄の役)で焼失し、
1659年に再び作られたそうです。
黄金の福よかな仏像でした。

大雄殿から回廊を抜けると無説殿です。



ここは仏教の講義をする場所だったそうです。
670年に建てられたこのお堂も1593年の
朝鮮出兵の際に焼失してしまったそうです。

現存の無説殿は1973年に
再建されたものだそうです。


無説殿の裏手に急な階段が続いていました。
洛伽橋(ナッカキョ)という名前が付いています。



階段を上ったところから振り返った
仏国寺の伽藍の様子です。



歩いて見て回ると広い境内と思っていましたが、
こうして見てみると建物が立ち並んでいます。

この階段を上ったところに観音殿がありました。
751年に創建され、1973年に復元されています。



観世音菩薩を収めているお堂ですが、
オリジナルの観世音菩薩はいつの間にか
消失していてこの菩薩も1973年に
作られたものだそうです。

この観音殿の高台から下に下り、
無説殿の裏にある毘盧殿に向かいました。



東大寺大仏殿と同じ毘盧遮那仏が安置されています。
金銅の仏像は国宝に指定されています。
この毘盧殿も1593年の朝鮮出兵の際に焼失しており
この際の被害が如何に大きかったかが判ります。

毘盧殿の横には舎利塔がありました。



建物に覆われた小さな舎利塔です。
この舎利塔の起源はよく判っていないそうですが
高麗初期のものと推定されているそうです。


毘盧殿から、大雄殿の隣にある
極楽殿に向かいました。



極楽殿には阿弥陀仏が安置されていました。
この極楽殿は751年に創建され、
やはり1593年に焼失しています。
再建は1750年とのことです。

極楽殿の近くにあった金の猪の像です。



縁起のある像で、多くの観光客に
触られ、光り輝いていました。

極楽殿も回廊に囲まれ、
その南側にある安養門です。



この安養門から紫霞門へと
続く回廊を眺めた様子です。



仏国寺は当時の約1/10程度が
復元されているだけだそうです。

それにしても多くの拝殿があり、
そこに色々な仏像が置かれて
いるのが印象的でした。




慶州のページのTOPに戻る








石窟庵、普門湖リゾート
(Sokkuram Grotto, Pomun-ho Lake Resort )




仏国寺を訪れた後に石窟庵に向かいました。
石窟庵も世界遺産に指定されています。

どこにあるのかよく判っていなかったのですが
車は仏国寺を出てから背後の山へと向かい
ヘアピンカーブの続く山道を
どんどんと上って行きました。



あっという間にかなりの標高まで上っていて
生憎の天気で視界は利かなかったのですが
麓の景色が広がっていました。

石窟庵の入り口にあった世界遺産の碑です。



この後訪れた大陵苑でもこのような
碑を見かけたのですが、仏国寺では
気がつきませんでした。
見落としてしまったのでしょうか。。。

石窟庵へと至る道の様子です。



霧がかかって幽玄な雰囲気でした。

やがて空き地が広がり、その先に
山の中腹に本尊仏が安置されている
石窟の前に立つお堂が見えてきました。



石窟庵は751年、時の宰相・金大城が創建したお寺です。



この石窟庵の奥に花崗岩をドーム上に
積み上げた石窟があり、その中に
本尊仏を安置し、その周囲に天部像、菩薩像
そして羅漢像などが彫刻されています。



石窟の中は撮影禁止なので、せめて、
この案内板で石窟の様子を紹介します。

堂内は石窟部分とはガラスで隔てられていますが
白い石の壁にライトが当たって、
本尊仏が浮かび上がるように見えていました。

石窟庵の前から眺めた様子です。



石窟庵は信仰の対象、吐含山に建てられ
ここからは遠く、日本海も見渡せるそうです。

ここから眺める日の出の様子は
さぞ荘厳な様子かと思います。

この建物は石窟庵の脇にあった
寿光殿の様子です。




石窟庵の後は、麓の普門湖に向かいました。



普門湖は人造の湖ですが、この湖の周囲には
リゾートホテルや遊園地などの観光施設があり、
訪れた際にはもう日暮れも迫っていましたが
家族連れの姿も多く、賑わっていました。

そしてホテルから眺めた慶州近郊の山の様子です。



ガスがかかっている右手の山が吐含山でしょうか。



Hotel Information

Kolon Hotel

慶尚北道 慶州市 馬洞 111 - 1
780-410, 大韓民国

Tel: (+82) 54 - 746 - 9001
Fax: (+82) 54 - 746 - 6331

URL: http://www.kolonhotel.co.kr

仏国寺に近い、吐含山の
麓に建つリゾートホテルです。

今回の旅行ではゆっくりする
時間は無かったのですが、
ゆっくりと仏国寺や石窟庵を訪れるには
いいホテルだと思います。



慶州のページのTOPに戻る

Shane旅日記 アジア編に戻る