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小泉線は館林を起点に、東小泉を経て西小泉に向かう路線と、
東小泉から枝分かれして、太田へ至る二つの路線の総称です。
小泉線は、1917年(大正6年)3月12日に中原鉄道(ちゅうげんてつどう)が
館林〜小泉町間で営業開始したことから歴史が始まっています。
中原鉄道は紆余曲折の末、1937年(昭和12年)に東武鉄道に買収されました。
その後小泉町駅から路線を延長する形で、仙石河岸貨物線が開業したり、
また1941年(昭和16年)には中島飛行機小泉製作所への輸送を行うため、
太田と小泉信号所(現・東小泉駅)を結ぶ区間が設けられ、
仙石河岸貨物線に西小泉駅が開設されています。
そして1976年(昭和51年)には西小泉から先の
貨物線が廃止され現在の路線に至っています。
現在の運行形態は、館林 - 西小泉間と
太田 - 東小泉間の2系列に分かれていて、
日中は太田発着の列車は桐生線に乗り入れています。
朝には太田から西小泉へ直行する
列車が一往復だけ運行されています。
前日に太田に泊まり、この列車に乗りました。
東小泉からの電車が8:04に到着し、
大勢の高校生が下車してきました。
この電車が折り返し、8:08 発の西小泉行きとなります。
折り返しの電車は、通勤・通学客の流れとは
異なるせいか、数少ない乗客を乗せて発車しました。
高架の太田駅から東に向かい発車した電車は
伊勢崎線のレールと分かれると右に進路を取り、
住宅地の間に田畑が広がる景色の中を走りました。
所々、雑木林や田畑が広がります。
古びた竜舞という駅を発車すると、
車窓左手に広大な平地が車窓を占め、
その向こうに、山々が連なっています。
この広々とした景色が展開すると間もなく、
進行方向右側から線路が現れ、東小泉に到着です。
太田から僅か8分の乗車です。
小さな接続駅の東小泉には、隣のホームに
館林行きの電車が待機していて、
到着した太田からの電車からの乗り換え客が
乗り終えるとすぐに発車していってしまいます。
西小泉行きのこの電車は、
この東小泉で方向を変えます。
反対側の運転台の後ろに移動し、発車を待ちます。
発車すると、先ほど乗って来た太田からの路線が
左に分かれるとすぐに小泉町に停車です。
小泉町を出ると車窓左手に、水掘りの向こうに
雑木林が広がるのが見えました。
これが小泉城址でしょう。
城址が尽き、住宅街が広がると
終点の西小泉に到着しました。
僅かばかりの乗客が去ってしまうと
ホームは閑散としてしまいました。
戦時中には、西小泉から先に伸びていた
仙石河岸貨物線を更に延長し、利根川を越えて
熊谷まで路線を延ばす計画があったそうです。
太田や館林から東京に出るには熊谷から
新幹線に乗るのが最も早いそうなので、
その計画が実現していれば、西小泉駅も
大きく変わっていたかも知れません。
西小泉駅に停車中の2両編成の電車です。
8分後には太田に戻って行くのですが、
ここから小泉城に向かいました。
小泉町駅は何も無い駅で、乗車券も駅から少し
離れた所にあるお店で購入するようになっています。
東小泉を過ぎ、広々とした田畑と、緩やかに起伏する
丘陵地の雑木林が織りなす風景の中を走ります。
住宅地が増え、本中野そして成島と停車し、
乗客が増えてきました。
成島では西小泉行きの電車と交換しています。
成島を出ると、再び広々と田畑が広がって来ました。
やがて、伊勢崎線のレールが寄り添い、
終着、館林駅に到着しました。
館林駅の駅舎はやや古風な建物でした。
館林では、駅前の自転車屋さんで、
自転車を借り、館林城址に向かいました。
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