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島原鉄道は、JR長崎本線の諫早から
島原半島の東側の海岸線に沿って
島原を通り、約三分の二周して、
終着の加津佐に至る78.5kmの地方私鉄です。
島原鉄道の歴史は、1911年(明治44年)に遡り、
この年に本諫早 - 愛野村(現・愛野)間が開業し、
1913年(大正2年)には諫早と現在の
南島原間の営業運転がなされています。
一方、島原から南へは口之津鉄道が
1922年(大正11年)に開業し、その後営業距離を伸ばし、
1928年(昭和3年)に、諫早と加津佐間のレールが繋がりました。
そして、1943年(昭和18年)に島原鉄道が
口之津鉄道を合併し、現在に至っています。
錆びかけたトタン張りの駅舎を抜け、
ひっそりとしたホームに出て12:21発の
加津佐行きを待っていると
トロッコ列車を連結した臨時列車が
のっそりと言う感じで入線してきました。
この日は曇り空で、風の当たるトロッコの
車両は寒そうですが、こういう車両で風を浴びながら
列車に乗るのは楽しいだろうな、と思います。
トロッコ列車が島原方面に向かった後、
しばらくして加津佐行きがやってきました。
一両編成の気動車で、車内は帰宅途中の高校生が
沢山乗車していて、立ち客が出るほどの混み具合でした。
島原以南のこの区間は朝夕は1時間毎、
日中は規則的ではなく、1時間半から
2時間毎の運転本数です。
島原外港を発車すると家並みの向こうに
普賢岳を眺めながら走って行きます。
二つ目の安徳駅の手前から高架橋となり
立派なトラス橋を渡ります。
1990年から始まった雲仙普賢岳の噴火で
あの1991年(平成3年)6月3日の大火砕流、そして
堆積した火山灰が雨で土石流となって押し寄せた
水無川に架けられた安新大橋です。
この高架橋が完成し、島原外港と深江間の運行が
再開されたのは1997年(平成9年)4月1日の事だったそうです。
火砕流や土石流が流れ下った水無川も
今では立派な護岸に覆われています。
41名もの尊い命を奪った雲仙普賢岳は
曇り空の中、静かにその姿を現していました。
水無川を過ぎると、ビニールハウスの広がる扇状地となり、
深江の集落を過ぎると海岸線を走るようになりました。
線路際まで山が迫り、僅かばかりの平地を
道路と分け合うように走って行きます。
有明湾に突き出た大崎鼻を回り込むと平地が広がり、
海岸線から少し離れて走るようになりました。
海岸線に沿って民家が並び、
時折切り通しを抜けて行きます。
切り通しを抜けると再び浜辺の近くを走りました。
そこには遠浅の海が広がっていました。
この海を過ぎると内陸に入り、
島原半島の南部を占める南島原市の
中心地、有家を過ぎました。
家並みの中を走っていると、
犬が線路上に入って来てしまいました。
運転士さんが警笛を鳴らすのですが、怖がる犬は
一心不乱に線路上を逃げて行ってしまいます。
しばらくノロノロと犬の後ろに附いて徐行していました。
ちょっとのどかな光景です。
西有家を過ぎると再び海岸沿いを走ります。
海の向こうに霞むように見えているのが
駒崎鼻で、丘のようになっているところが
島原の乱の舞台となった原城です。
海岸線を埋め立てて開拓したような
田園地帯が広がるようになり、
車窓左手に迫って山も少し遠くなり
景色が開けると、北有馬。
そして原城駅に到着しました。
ここで6分程停車し、上り列車と交換します。
島原外港からここまで約50分。
その間、列車交換は有りませんでした。
日中の運転本数の少なさがわかります。
島原外港では混みあっていた車内も
ここまで来ると、かなり空いてきました。
原城を過ぎると再び海岸沿いを走ります。
山が迫り海岸線を走っては、
平地が現れ海岸から離れ
田畑の中を走るといった光景が続いています。
線路際に綺麗な菜の花が咲いていました。
やがて再び山が迫ると、長いトンネルに入りました。
抜けると、屋根が織成す集落を見下ろすように走り、
勾配を下り、口之津に到着しました。
ここは天草へのフェリー乗り場が車内から見えていました。
ここで残り少なくなった乗客の半分以上が下車し、
いよいよ車内は閑散としてきました。
口之津を発車すると、いよいよ終着
加津佐への最終アプローチです。
岬の基部を抜けると、再び海岸沿いを走ります。
この辺りは島原半島の最南端の西側に位置していて
海は外洋へと繋がる天草灘です。
遠浅の穏やかだった有明海とは異なり、
波が高くなったような気がします。
三角形の女島が見え、そこを過ぎると、
13:32 加津佐に到着しました。
島原外港から1時間10分程の乗車時間でした。
加津佐駅のすぐ裏側は海水浴場になっています。
季節外れの海水浴場はひっそりとしていました。
加津佐で25分ほど停留した後、気動車は
諫早に向かって折り返して行きます。
その列車に乗って、原城に向かいました。
島原駅の駅前からは、近くの高台にある
島原城が眺められました。
島原駅も、お城の櫓門のような造りです。
日曜日の朝の島原駅。
8:55発の列車を待っているのですが、
乗客の姿もまばらです。
列車も空いているだろうな、と思ったのですが、
到着した列車は一両編成で、席の多くが埋まり、
思った以上に多くの乗客がいました。
この日もどんよりとした空模様で、
今にも雨が落ちてきそうな気配です。
島原駅を発車すると、線路が家並みの
間を真っ直ぐに貫いていました。
家並みが途切れると、ビニールハウスの畑が現れ、
やがて再び住宅地が現れ、駅に停車してます。
車内も段々と混んできました。
時折、線路際に花が咲いているのを見かけます。
花の名前がわからないのですが、春の汽車旅は
こうしたちょっとした景色に心和みます。
そんな光景が繰り返され、
次第に海が近づいて来ました。
海が見える駅で下り列車と交換です。
先に到着していた対向列車の運転士さんがホーム立って
この列車を出迎える様子が印象的でした。
この駅は大三東(おおみさき)駅です。
駅名標の向こうに静かに有明海が広がっています。
大三東を出ると再び、海が遠のき、
のどかな田園風景が現れました。
線路際に菜の花や白い花が咲いています。
しばらくのどかな車窓風景が続くうちに
雨がポツポツと降りだし、窓ガラスを
濡らす様になってきました。
サッカーで有名な国見高校の最寄り駅、
多比良(たいら)駅を過ぎ、次の
西郷駅で下り列車と交換しました。
車窓左手の景色が開け、なだらかな起伏の
丘陵地のその向こうに雲仙岳が聳えている筈ですが
この空模様ですっかり姿を隠しています。
周囲の田園風景をぼんやりと眺めると
春の野花が目に飛び込んできます。
しばらく強かった雨脚も弱まり、
また景色が見えるようになってきました。
折りよく、列車は海岸線を走るようになりました。
島原鉄道の車窓からは何度も海を望む事が出来ます。
天気が良ければ、素晴らしい景色が眺められる事でしょう。
諫早湾を締め切った堤防が現れ、
雲仙市役所の最寄の吾妻駅を過ぎ、
再びのどかな風景に戻ります。
やがて、諫早湾を干拓した耕地が広がるようになりました。
諫早に近づくにつれ各駅から
次々と乗客が乗り込むようになり、
車内はラッシュ並みの混雑になってきました。
これだけ多くの乗客がいるのであれば、
本数を増やして利便性を上げられるのでは、
と思うのですが、島原鉄道の経営体力が落ち
車両を購入する投資が出来ないのでしょうか。。。
そんな思いに耽るうち、車窓に新しい家が増え、
道路沿いにレストランやコンビニが現れ
都市郊外の景色になりました。
諫早市の中心街を抜け、JR長崎本線との
接続駅、諫早に到着しました。
島原半島の東側の海岸線に沿って走る
島原鉄道、南半分の路線が廃止されてしまうのは
本当に残念な事ですが、残る諫早 - 島原外港間は
いつまでも多くの乗客に利用されて存続して欲しいと思います。
諫早からは特急「かもめ」で、吉野ヶ里遺跡を目指しました。
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