雲仙・島原
Unzen & Shimabara, Japan
長崎で街歩きを楽しんだ後、雲仙に向かいました。
長崎駅前でレンタカーを借り、
僕には珍しく車での移動です。
長崎を囲む山を長いトンネルで抜け、
長崎半島の付け根を走りました。
海岸線が近づいてきたので、
海水浴場に立ち寄ってみました。
確か、長崎の市域を抜け、
飯盛町に入ってすぐの海水浴場です。
地図にも載っていないような海水浴場でした。
二つの島に囲まれたのどかで
とても風光明媚な海水浴場です。
青い空に、青い海。
海の水もとても澄んでいて、魚や烏賊が
泳いでいるのが手にとるように見えます。
砂浜で海風に吹かれてるのが、
とても気持ちよかったです。
海水浴場を後に雲仙に向かいました。
複雑な形をした長崎県ですが、
長崎半島と島原半島の付け根、
一番半島の幅が狭まったところに
愛野岬展望台という見晴らしのいい
展望台がありました。
海喰崖の上の展望台からは
東シナ海へと続く橘湾の青く広い海、
そして左手に雲仙の山々が見えています。
雲仙は「温泉」がなまった地名だそうですが、
頂上付近に雲を抱いたその姿は、
雲仙という語感ぴったりでした。
雲仙をみながら海岸線沿いを走り、
小浜温泉を過ぎて山道に入り
雲仙を目指しました。
いくつもヘアピンが続き、
時折木々の間から橘湾の青い
海が眼下に広がっていました。
ヘアピンが尽き、雲仙温泉を抜け、
仁田峠循環道路に行ってみました。
片側一方通行のこの道は、
標高も高く、交通量も少なく
快適なドライブウェイです。
遠く長崎半島の山並み、そして橘湾や
有明海や天草諸島の島々の大パノラマが
目の前に広がってきました。
これは天草方面の景色です。
この日も真夏の太陽が照りつける陽気で、
遠くの景色はすこし霞んでいましたが、
はるか遠くまで眺められる
胸のすくような景色でした。
そして、これは雲仙・普賢岳です。
1991年の噴火から約10年が経ちました。
多くの犠牲者を出したこの山は
今は静かに佇んでいますが、
頂上付近や急な崖になっている東側の沢には
今でも噴火や火砕流の傷跡を残しています。
展望台を過ぎ、仁田峠にさしかかりました。
ここからはロープウェーがあり、
普賢岳をさらに間近に見られるのですが、
生憎頂上付近だけ雲がかかっていて、
ロープウェーに乗るのを諦めました。
仁田峠のドライブを終えて雲仙温泉の
ホテルにチェックインしました。
温泉街のすぐ近くに「雲仙地獄」と呼ばれる
温泉の噴出しているところがあります。
その一体は、岩が露出していて、
硫化水素のガスが噴出し、
高温の温泉が湧き出ています。
腐った卵の匂いのする有毒な硫化水素のガスで
このあたりは木が育たず、岩肌が露出しています。
この景観から「地獄」と呼ばれているのでしょうが、
ここでは、17世紀には多くのキリスト教徒が
ここに投げ込まれ、殉教したそうです。
雲仙温泉で一泊した後、島原に向かいました。
まずは2002年7月に出来たばかりの
雲仙岳災害記念館に行ってきました。
ここでは、雲仙普賢岳の噴火活動の様子と、
その被害の状況が克明に記されています。
普賢岳の噴火では、大火砕流だけでなく、その後
雨が降る度に土石流の被害に見舞われたそうです。
僅か10年程前の記憶が薄れてつつある事や、
自然現象のエネルギーの大きさに驚くばかりでした。
そして43名もの犠牲者を出した
1991年6月3日の大火砕流なのですが、
犠牲者の多くは、警告を無視して噴火の様子を
間近で撮影しようと取材を続けた報道関係者と、
危険が迫ったため彼らの説得にあたった警察官
と言う事を知って考えさせられました。
雲仙岳災害記念館は大火砕流が駆け下った
水無川の三角州に建っています。
水無川はその後の土石流の被害の後、
立派な堤防と砂防ダムが築かれていました。
頂上に雲を抱く雲仙普賢岳。
今は山は静まり返っています。
雲仙・普賢岳の噴火災害ならびに復興事業の様子は
国土交通省の
こちらのHPでもご覧になれます。
雲仙・普賢岳の噴火災害の様子を見学した後、
島原の街中に向かいました。
島原は松平七万石の城下町。
今は人口4万人の島原半島の中核都市です。
堂々とした島原城。
均整の取れた綺麗な復元天守閣です。
この島原は1637年に起こった
「島原の乱」で知られています。
島原の乱は松倉重政の過酷な政策に耐えかねて、
島原半島南部の農民が中心となって起こしたものです。
農民たちは、若干17歳の天草四郎時貞を将と仰ぎ
南にある原城に立て篭もったのですが
最後は全員戦死してしまったそうです。
村民の殆どが乱に参加した半島南部の村々では
その後長い間荒れ果てていたそうです。
島原城の天守閣からの眺めです。
有明海の向こう、熊本に近い、金峰山の山々が
淡い墨絵の様に浮き上がっていました。
そして島原では武家屋敷の
佇まいが今でも残っています。
島原城から程近い鉄砲町と呼ばれる一角です。
400メートル程にわたって、石垣が続き、
通りの真中には疎水が流れています。
この一角だけ、時代が逆戻りしたような
雰囲気を残していました。
雲仙 湯元ホテル
〒854-0621 長崎県雲仙国立公園316
TEL: 0957-73-3255
FAX: 0957-73-2126
江戸時代から「湯守の宿」として
知られている由緒ある温泉ホテルです。
雲仙では最も古い温泉宿で、
広い露天風呂でのんびり
くつろぐ事が出来ます。