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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



飯田線
JR Central, Iida Line







飯田線は豊橋を起点に辰野に至る195.7kmの路線です。
豊川に沿い、愛知県、静岡県そして
長野県境の険しい山岳地帯を抜け、
そして、天竜川の作る細長い谷を抜けていきます。

この飯田線が全通したのは1937年のことです。
JRの路線ですが、その前身は3つの私鉄です。

豊橋 - 大海間が豊川鉄道、大海 - 三河川合間が鳳来寺鉄道、
そして三河川合 - 辰野間は伊那電気鉄道が運営していました。

前身が私鉄だけに、旧国鉄の路線としては駅数が多く、
195.7kmの区間に94もの駅があります。

飯田線はその歴史や車窓の素晴らしさで
人気の高い路線です。


豊橋 - 佐久間 (Toyohashi - Sakuma)
Revised ! Nov. 23, '11

佐久間 - 飯田 (Sakuma - Iida)
Dec. 16, '06

飯田 - 辰野 (Iida - Tatsuno)









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豊橋 - 佐久間

(Toyohashi - Sakuma)







乗車日: Oct. 09, 2006


2006年10月に高根城と飯田城を訪れるために
久しぶりに飯田線に乗りました。

この日はJR東海が開催する「さわやかウォーキング」という
ハイキングのイベントが佐久間駅で開催されているので、
飯田線は混み合いそうです。

豊橋 9:08発の「ワイドビュー伊那路1号」に乗車しました。
下の写真はワイドビューを待つ間の豊橋駅のホームです。



「さわやかウォーキング」に参加する多くの
ハイカーを載せて満員の状態で発車しました。
発車してしばらく東海道本線や名鉄名古屋線と併走し、
豊川放水路を渡たり、飯田線の線路に分け入っていきます。


2011年11月13日に、上り電車の小坂井 - 船町間の
前面展望の様子を動画に撮りました。




この日は秋晴れのいい天気で、
遠く本宮山が良く見えていました。



名鉄の線路と別れると小坂井駅を通過し、
ここからしばらく豊川市の市街地を走ります。

三河一ノ宮を過ぎると市街地を抜け、
豊川沿いに広がる田圃が車窓に広がりました。



次第に谷が迫り、田圃が畑へと変わっていきました。
のどかな風景が続き、飯田線らしい景色です。

長山駅停車中の様子です。




2011年11月13日に乗車した、上り電車の
野田城 - 東上間の前面展望の様子です。



この区間では武田信玄が、生涯で最後に
攻めた野田城址のすぐ近くを通ります。

野田城の登城記は
こちらです。


そして、新城駅に到着です。
ここで「さわやかウォーキング」の
臨時快速を追い抜きました。
4両編成の電車は立ち客もいる程の混みようです。

新城を出て、しばらく走ると三河東郷駅を通過しました。
2011年11月に、三河東郷で下車した時の様子です。



この三河東郷は、設楽原の古戦場の最寄駅です。

長篠・設楽原(したらがはら)の戦いは
1575年(天正3年)5月に、織田・徳川連合軍と
武田軍との間で行われた戦いです。

設楽ヶ原古戦場の訪問記はこちらです。


三河東郷を出ると、大きく右に左にと
カーブを曲がり、豊川の支流、
寒狭川を鉄橋で越えます。

進行左手に長篠城址が見えてきます。
長篠城は設楽原の戦いの前哨戦となる
攻防が行われいます。

長篠城址から眺める飯田線の電車です。




長篠城の訪問記はこちらです。

ここからはいよいよ谷も狭くなり、
列車は宇連川に沿って走ります。



長篠城から三河槙原まで、5キロ以上の距離にわたって
宇連川に沿うこの区間は、飯田線南部の見所の一つで、
車内放送でも案内がありました。

別名、板敷川と呼ばれるこの宇連川は、
一枚岩の川底に清流が流れる渓谷になっています。


昔の鳳来寺鉄道の終着駅、三河川合を出ると、
愛知県と静岡県境の山間を走ります。



狭い谷間を走り、短いトンネルが続きます。
山間を抜け、狭いながら谷間に
平地が現れると浦川です。



険しい山間からまた、のどかな景色になりました。

天竜川と寄り添うように走り、
中部天竜駅に到着です。
この中部天竜で、豊橋を8:12に発車した
普通電車を追い抜きます。

普通電車しか停まらない向市場に行く予定だったので、
普段ならこの中部天竜で普通に乗り換えなのですが、
この日は「ワイドビュー伊那路1号」は
次の佐久間に臨時停車するので、
もう一駅乗り続けました。

中部天竜 - 佐久間間で、天竜川を渡ります。



辰野に向けて天竜川を遡る飯田線ですが地形の関係で、
この中部天竜 - 佐久間間は川の流れと逆に走ります。
地理感覚がちょっとおかしくなりかけた頃、
佐久間駅に到着しました。



多くのハイカーと一緒にホームに下ります。
目的地に向かうハイカーが去ってしまうと
ホームは急に静かになりました。


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佐久間 - 飯田

(Sakuma - Iida)







乗車日: Oct. 09, 2006


佐久間駅でハイカーを見送り、ホームに佇んでいると、
先ほど中部天竜駅で追い越した普通電車がやってきました。



ホームの端で出迎えたのですが、
なかなか絵になる光景でした。
確か6両程繋いでいたのですが、多くの乗客はこの
佐久間で下車し、車内はガラガラの状態で発車します。

佐久間を出ると、小さな川を渡り、
やがて長い峰トンネルに入ります。

以前は、天竜川の谷に沿って走っていたのですが、
佐久間ダムの建設で、1955年に線路が付け替わった区間です。

線路の付け替えといっても、険しい山を越えた
隣の谷にレールを敷設するという大規模なもので、
この山を貫く峰トンネルは3km程あるそうです。

峰トンネルを抜けると水窪川の
清流に沿って走るようになります。
水流の少ない川の河原が日の光を浴びて
きらきらと輝いています。



清流に沿い、相月・城西を過ぎると
鉄橋を渡ります。



しかしこの鉄橋は、川の対岸へ渡ることなく、
再び渡り始めた川の岸に舞い戻ってしまいます。

いかにも不思議なこの線路配置は、険しく流れる川に沿って
線路を敷くには避けて通れない線路配置だったと思いますが、
それにしてもユニークな配置だと思います。

この渓谷を眺めるうち、車窓右手に小高い丘が見え、
その先の向市場に到着しました。



向市場駅で一旦下車し、高根城に向かいました。
高根城はこの向市場から歩いて30分程でした。

高根城の訪問記はこちらです。


高根城の散策を追え、向市場駅に戻り、
再び飯田線の普通電車に乗って飯田を目指します。

水窪を出ると、再び長いトンネルに入り、
険しい山脈を越え、天竜川沿いの渓谷に戻りました。

駅前に、橋があるばかりの大嵐駅。
山間の小駅ですが、この駅の天竜川の対岸は、
愛知県豊根村(旧・富山村)です。
富山村時代は、この橋を渡って静岡県に出るのが
富山村の唯一のアクセスだったようです。

ここから天竜川に沿って走ります。
10km以上も下流の佐久間ダムで堰き止められていて
川の流れは緩やかになっています。

この景色は、小和田駅前から眺めた天竜川の様子です。



時折川の周囲に僅かな平地が広がり、
天竜川に沿う道路も見えてきました。



深い山間に、緑の水を湛えた天竜川。
この光景がしばらく続きました。



水量豊かな川が、浅瀬を流れるようになると
再びダムにより堰き止めがあり、
緩やかな流れになってしまっています。

なかなか天竜川の清流の流れを写真に収めることが
出来なかったのですが、飯田からの帰路に
やっと写真に撮れたので、それを載せておきます。



天竜川下りの終点、唐笠で何人かのグループ客が乗り込み、
今まで静かだった車内が賑やかになりました。

天竜川を下る観光船にも遭遇しました。
各駅に停車し、向市場から一時間で天竜峡に到着です。



この天竜峡で、上り「ワイドビュー伊那路2号」と交換するのですが、
その後21分も停車し、次の上り普通電車の到着を待ちます。

一旦、駅舎から出たりして時間を潰していました。

天竜峡からは、渓谷が尽き、伊那谷と呼ばれる
天竜川に沿った広く長い谷間を走るようになります。



遠く、南アルプスを眺めるように飯田を目指しました。

天竜峡から飯田までは僅か13kmあまり。
各駅での乗車も増え、やっと飯田線も
公共交通機関として活用されていると実感出来ました。

小高い丘の上に建ち並ぶ飯田の街をぐるっと
囲むように回り込み飯田駅に到着しました。



この写真は、飯田城を見学した後に乗った
「ワイドビュー伊那路3号」の373系電車です。

飯田城の訪問記はこちらです。



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