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Shane旅日記
鉄道旅行へのいざない



越美北線
(越前花堂 - 九頭竜湖)

JR Echizen-Hoku Line
(Echizen Hanandou - Kuzuryu Ko)








越美北線は福井と岐阜県の美濃太田を結ぶ
越美線の一部として建設された路線です。

この越美線は、国鉄時代に、福井県側が越美北線、
岐阜県側が越美南線と分断した形で運営されていました。

国鉄の民営化後には、越美南線が長良川鉄道として
第三セクター化された為、全通が叶う事は無くなりました。


越美北線は、越前花堂でJR北陸本線から分離し、
足羽川に沿って遡り、峠を越え越前大野に入り
その後は九頭竜川に沿って九頭竜湖に至る
営業キロ 52.5kmの全線非電化の路線です。




Yahoo Mapを編集・加筆しました。



途中駅の勝原までの区間は1960年(昭和35年)に開業しています。
その後、1972年(昭和47年)に九頭竜湖までの全線が開業しています。


ところで、この越美北線の起点駅は少々いわくがありました。
現在の起点はJR北陸本線との接続駅の越前花堂駅です。

しかし、越美南線の勝原までの開業当時には
北陸本線に越前花堂の駅は設けられませんでした。

こうした場合、一番近い接続駅の福井になりそうですが
線路が北陸本線から分岐しているのが貨物駅の南福井駅
構内だった為か、この南福井が起点とされてきました。

この事が、当時国鉄の全線乗車を目指していた
宮脇俊三さんを悩ませ、その著書
「時刻表2万キロ」で詳しく述べられています。


この越美北線には2010年7月に越前大野まで再乗しました。
その時の様子を紹介します。



福井 - 一乗谷
(Fukui - Ichijyodani.)
NEW ! Nov. 15, '15


一乗谷 - 越前大野
(Ichijyodani. - Echizen Ohno)
Nov. 06, '15


越前大野 - 九頭竜湖
(Echizen Ohno - Kuzuryu Ko)






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福井 - 一乗谷
(Fukui - Ichijyodani.)







2010年7月11日、一乗谷の朝倉氏館を訪れた後、
一乗谷駅から越前大野に向かい、越前大野城や
市内の史跡を訪れた後、福井駅に向かいました。

一乗谷から越前大野の乗車記は
こちらです。
一乗谷・朝倉氏館の散策記はこちらです。
越前大野城の登城記はこちらです。


一乗谷に到着した際の様子です。



一乗谷から越前大野に向かった際もそうでしたが
この列車にも乗車する観光客の姿はありませんでした…
有名な史跡の最寄駅としては寂しい状況です。

一乗谷を発車すると、広々とした田園風景になりました。



一乗谷駅以東とは打って変わった車窓風景です。
一乗谷が、足羽川の作る谷の丁度尽きるところに
ある事がよくわかりました。

隣駅の越前東郷を過ぎてもこの景色が続いていました。


進行方向右手遠くにちょっとまとまった集落が見え
高速道路の下をくぐると六条です。



六条からものどかな景色の中を走りました。



こうして田園風景を眺めるうちに次の駅に到着しました。
ここが越美北線の起点駅の越前花堂です。



何気ない小駅ですが、左手に立派な
北陸本線の複線の駅が寄り添っています。

旧国鉄時代には、越美北線の起点は
この越前花堂ではありませんでした。

というのも、越美北線が開業した際にこの越前花堂駅が
開業したのですが、その時には北陸本線には
ホームが設けられていなかったのです。


越美北線の越前花堂を発車した列車からの眺めです。



発車して100mもしなううちに北陸本線の線路に合流しました。
福井へ向かう列車は、上り本線に合流した後に、
渡り線を通り、下り本線へと移りました。



下り本線に合流した辺りから、左右に線路が分岐しています。
いくつも側線が現れるようになり、貨物列車も停留しています。



ここが南福井貨物駅で、国鉄時代には越美北線の起点でした。
貨物線の起点であればいざ知らず、貨物駅が旅客線の
起点になっていたとは前代未聞の事だったと思います。

JR発足とともに、越美北線の起点は越前花堂となり、
越美北線の営業キロも0.8km短縮されています。


南福井貨物駅を通過すると、足羽川を渡りました。



美山辺りでは、流れの細かった足羽川も
福井の市街地では大きな流れになっています。

足羽川の鉄橋を渡ると、線路が分岐しはじめ
福井駅の構内となりました。



北陸本線の上り普通列車とすれ違いました。

北陸本線の普通列車も、以前は古い急行電車が
使われていましたが、最近は新しい電車が投入され、
編成こそ短くなったものの、運転頻度も上がって
少しずつ利用しやすいダイヤになっているようです。


福井駅の越美北線の2番ホームに到着した
越前大野からの列車です。



越前大野からの34.0kmを53分かけての到着でした。

この2番線は欠き取りホームになっていて
越美北線の列車専用のホームになっています。


北陸新幹線の延長開業に備えて
整備が進む福井駅の様子です。



この写真は2010年10月に撮ったものですが
今は、西側はすっかり完成しているものと思います。

福井の散策記はこちらです。



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一乗谷 - 越前大野
(Shinagawa - Shinjyuku.)







2010年7月11日、この日は朝に福井駅からバスで
一乗谷へ向かい、朝倉氏館跡を散策しました。

朝倉氏館の散策記はこちらです。


散策を終え、一乗谷駅から越前大野に向かいました。

朝倉氏が本拠とした一乗谷ですが、1573年(天正元年)に
信長軍に攻め込まれると、越前大野に逃れています。

この時の旅は、440年ほど前の朝倉義景の
最期の旅を追っての鉄道旅行になりました。


田圃の中の一乗谷駅です。

朝倉氏館からは1km程離れています。
日曜日というのに観光客の姿はありませんでした。



ホームから東を見ると、朝倉氏の遺構の一つ
西山光照寺跡の仏像群が遠くに見えていました。

ホームでしばらく佇むうちに、15:08 の
越前大野行の普通列車がやって来ました。



一両編成の列車でした。
福井と越前大野間は、一日に7往復の設定で
日中はほぼ2時間に一本の設定です。



一両編成ですが、車内は思ったより多くの乗客がいました。

列車の運行頻度を少なくとも一時間に1本として
毎時の発車時間を揃えれば、乗客はもっと
増える様になるのではと、いつも思います。

越前大野行の列車はすぐに足羽川を渡りました。



ここからしばらく足羽川の狭い谷に
沿って走っていきました。



越美北線の列車は、何度も足羽川を渡ります。

次の越前高田を過ぎると谷間に
田圃が広がり、市波駅に到着しました。



市波を発車すると、再び山間を走るようになりました。



足羽川を渡る鉄橋はどれも立派なものでした。
越美北線は2004年7月の集中豪雨で
多くの鉄橋が流され、その後に復旧しています。

これらの立派な鉄橋は、この時に
架け替えられたものと思います。



雪崩防止柵もあり、思ったよりも山深い光景でした。

こうして17分程で、美山に到着しました。
しばらく停車していると、九頭竜湖からの
上り列車と交換しました。



ホームに出て、対向列車に挨拶する
運転士さんの姿が印象的でした。

美山駅を発車し、駅構内を眺めた様子です。



運転本数の少ない越美北線では、
列車の行き違い設備のある駅は
この美山と越前大野の2駅だけです。

美山を出ると、再び狭い谷の
山間を走るようになりました。



山間の小さな越前薬師駅です。

次の越前大宮を過ぎると
谷が少し広がりました。



青々と育った田圃が綺麗です。
この広がった谷も、計石を過ぎると狭くなり、
越美北線の列車は勾配を上るようになります。



今まで車窓から眺めてきた足羽川水系の谷が
ここで尽き、九頭竜川水系の越前大野に
向かう為、峠を越えて行くのです。

しかし、その峠はそれ程険しくはなく
やがて列車はトンネルへと入って行きました。



短いトンネルを抜けると広い平野に出ました。



大野の盆地です。
現在、大野市の人口は3万3千人。
奥越地方の中心地として栄えてきました。

北大野を過ぎると、東進してきた
越美北線の列車は南へと進路を変えました。

車窓左手には小高い丘の上に
越前大野城も見えて来ました。



周囲に住宅も増え、一乗谷から
40分程で越前大野駅に到着しました。



この日は、越前大野で下車し、
越前大野城へと向かいました。

越前大野城の登城記はこちらです。




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